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導聞(ダオウェン)。  作者: ボルボ
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第一章 祥武堂〈3〉

 あっという間に日は没し、夜になった。


 結局、導聞(ダオウェン)星火(シンフォ)の夫妻は一番弟子が作ってくれた料理をご相伴にあずかった。


 嬉しい誤算だったのは、彼の料理がめちゃんこ美味しかったことだ。なんでも臨虎(リンフー)の父は宮廷料理人で、一時期、料理の手ほどきを受けたことがあるのだという。


 夕食はいつも導聞が作っていた。けれど本職の人とは比べるべくもない普通な腕前なので、今日の臨虎の料理は実にありがたかった。……ちなみに星火は料理が凄まじく下手っぴで、作らせたら不味いを通り越して必殺級のシロモノが出来上がる。作らせてはいけない。


 完食して、何度も振り向いて手を振りながら帰る一番弟子の姿を見送ってから、二人は今日一日を終える準備を始めた。


 同じ湯船に浸かり、寝間着に着替えて同じ寝台へ横になった。


「ふふふ、素直で可愛い子だったわねー。まるで息子が出来たみたい」


 吐息がかかるくらいの距離で、星火が言った。


 導聞は苦笑しながら返す。


「冗談。まだそんな歳じゃないよ。息子っていうか弟なんじゃないかな」

「でもわたし達、もう子供は作れる歳よ?」

「……まぁ、一般的にはそうだけど」


 導聞は少し気まずく言葉を濁した。


 それを見て申し訳なさそうな顔をした妻は、強引に話題を逸らしてきた。


「今日は……寒いわね」

「うん」


 頷いて同意する。季節は一応春だが、冬が過ぎたばかりなのでまだ少し肌寒い。


「ほら、あなた……もっとこっち寄って。あっためてあげる」


 星火は毛布の中で両腕を広げ、いじらしい微笑みとともに招いてくる。


 導聞は言われた通りにすそすそと近寄る。薄い胸板に彼女の双丘が柔らかくぶつかるとともに、背中に両腕を回された。


 嗅ぎ慣れた、しかしいつまでも味わいたい妻の香りが全身を包み込んだ。


「んふふっ。あったかいでしょ」


 耳元でくすぐったそうに笑われ、導聞もまたくすぐったくなる。


「うん。あったかい」


 極楽に浸るような満面の笑みで頷いた。


 さらに近づいた二人の顔。


 そこから口づけに向かうのは、自然な流れだった。


 ついばむような軽いものを三回、ねじ込むような濃いものを長く一回。


 しばらくして、ようやく離れた。唾液の糸がつうっと伸び、落ちる。


 星火はこちらの胸に顔を押し付け、ささやくような小さい声で、


「今日で……二年なんだね、あなた」

「……うん」


 小さく首を振り、妻を抱きしめる力を少し強める。


 胸の底では、遠い日に味わった喪失感が思い起こされていた。


「もう、「爺さん」が亡くなって二年が経つんだ。時の流れって早いものだね」


「爺さん」。


 その代名詞は、導聞にとっても、星火にとっても、大切な育て親の事を指す。


 戦で親を亡くし、この世に絶望しながら生きていた導聞を養子にし、武術や生きる術を授けてくれた父であり恩師。


 星火も、同じような理由で「爺さん」の娘となった。


 その「爺さん」が天寿を全うしたのは、ちょうど二年前だ。


 二人とも、一生分泣いたかもしれない。


 けれど、いつまでも悲しみに耽溺(たんでき)したりはしなかった。「爺さん」は自分たちがきちんと生きていけるようにと、いろんなことを教えてくれたのだ。その努力を無駄にするのは親不孝者のすることだ。


 ――星火に結婚を申し込んだのも、「爺さん」の命日だった。


「二人で幸せになろう」。そんな飾り気の欠片も無い愛の言葉に、彼女は二つ返事で頷いてくれた。


 二年前は、大切なものを一つ失い、一つ手に入れた日。


「あなたは……爺さまの意思を受け継ぐんだよね」

「うん」


 導聞は少しの間も置かずに肯定した。


「爺さん」は、言った。

「武術とは争うためではなく、幸せになるためにやるのだ」と。


 武術は、確かに殺人のために研究し尽くされた技の集まりだが、それは一つの側面に過ぎない。


 武術は、いろんなことに使える。自分やその大切な人を守ること、好敵手と競い合うこと、武術そのものを好む心を満たすことなど、使い方を挙げようと思えばたくさん見つかる。


 さらに、武術は高い健康効果も持つ。「弱い者が強くなる」というのが武術の本質だからだ。病弱な子供が名だたる達人になった例も歴史上たくさんある。


 ただの武術でも、突き詰めればいろんな可能性にあふれている。


 幸せになる——それが「爺さん」の武徳、すなわち武を学ぶ上で果たすべき義務であった。


「僕は……「爺さん」の武術と武徳を受け継いだ、ただ一人の人間だ。だから、それを多くの人に広めたい。僕みたいなロクデナシをここまでまっとうにしてくれた「爺さん」の遺産を、いろんな人に知ってほしい。そのために武館を開いたんだ」

「ばか」


 ぺち、と軽く頬っぺたを叩いてくる。


「あなたはロクデナシなんかじゃない。どうしようも無いほど荒んでたわたしがここまでお淑やかな女の子になれたのは、「爺さん」だけじゃなくて、あなたのおかげでもあるんだから」


 それを聞いて、胸にじわりと温かいものが生まれた。けれど、なんとなくそれが照れくさくて、つい茶化すようなことを言ってしまう。


「お淑やかかなぁ」

「あー、どういう意味かしらぁ」


 意地の悪い笑みを浮かべながら脇腹をくすぐってくる。


 導聞は魚みたいに身をくねらせながら笑う。「あは、あははは。やめてってば」


 だがそれもすぐに止まり、再び間近で見つめ合った状態に戻る。


 二人はまた唇を重ねた。


 吸い付くように。ねばりつくように。溶け合うように。


 そのまま抱き合いながら寝台の上で身を何度もよじらせ、やがて星火が導聞の上に覆いかぶさるような体勢となる。唇を離し、ひどく熱っぽい眼差しとなった星火がすがるように訴えてきた。


「あなた……しよ?」


 その甘いささやきは、導聞の心をこの上なくくすぐった。


 内緒だが、自分は以前、街の酒場で知り合った美女に過激な誘惑をされたことがある。けれど、その誘いに心を乱されることは少しもなかった。


 ――だというのに、星火の誘惑に対しては、全く抗えない。


 抱きたい。その邪魔くさい寝間着を引っぺがして、極上の裸体を露わにしたい。その白皙(はくせき)の素肌の隅々まで、自分の手跡を刻み込みたい。獣の雄として先天的に刻まれた欲望が(せき)を切ったように溢れ出す。


 雄になった。


「――星火っ!」


 覆いかぶさり、強引に唇を奪う。豊かで形の良い乳房を揉みしだき、その奇跡のような柔和さを手のひら全体で楽しむ。


 妻も一切拒絶を見せない。それどころか逃がさないとばかりに腕と脚を回してきた。女として、男の欲望の全てを受け入れる姿勢。




 二人は燃えるような夜を過ごした。


本日の分はこれにて終了。

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