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導聞(ダオウェン)。  作者: ボルボ
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第一章 祥武堂〈2〉


 すすけた木の正門をくぐり、中庭へと入った。


 周囲は石灰の漆喰を塗られた塀によって囲まれている。地面はむき出しの土。石畳ではないため整備や取り替えの必要はないが、雨の後にはぐちゃぐちゃになるのでそこは困りどころかもしれない。


 向かい合うのは、赤髪の美少年と、亜麻色の髪の優男。臨虎(リンフー)導聞(ダオウェン)だ。


 星火(シンフォ)は危ないので隅っこに立たせている。


 互いに素手。拳法を用いた勝負だ。


「言っておくが、ボクは手加減できるほど器用じゃない。あんたも本気でかかってこい」

「君次第かな。もしマジで追い詰められそうだったら、その時は僕も本気を出すよ」


 互いに挑発の香りのする台詞を発する。しかし、それで燃えたのは臨虎だけだった。


「その余裕な顔……すぐに焦った顔に変えてやる」


 少年は右拳を左手で包むように握り、鼻の前へ突き出した。『抱拳礼(ほうけんれい)』という挨拶だ。


 導聞もそれに倣った。


「【虎形把(こけいは)】、臨虎」

「【空霊把(くうれいは)】、導聞」


 互いに名乗りを上げ、


「それじゃあ……始め!」


 星火のかけ声とともに、始まった。


 当然ながら、最初に動いたのは臨虎だった。獲物を見定めた虎のように鋭く、迷いのない歩法で距離を一気に縮めた。


 その両手の指を、虎の爪をかたどったような形にし、指の筋を張りつめさせる。『虎形手(こけいしゅ)』という手形だ。


(ハイ)還還還還還還還還還還還還還ッ!!」


 爆竹のような発声を伴わせて、虎爪手(こそうしゅ)を幾度も繰り出してくる。


 正面。真横。真上。真下。斜め上。斜め下。あらゆる方向から虎の爪が襲い来る。


 息もつかせぬ連打の数々を、導聞は必要最低限の体さばきと手法で躱し、受け流す。


「還還還還還還還還還還還還還還還還還還還還還還還還還還還還還還還還ッ!!!」


 しかし、臨虎は攻撃の手を休めるどころか、さらに勢いを強めてきた。


 素人目から見れば、腕を滅茶苦茶に振り回しているだけに思えるだろう。しかし相対してみれば分かる。この虎爪手の一撃一撃には意念(いねん)と発声による気の練りが込められており、まともに当たれば死なないまでも凄まじく痛いはずだ。下手をすると皮膚の肉が剥がれ、手の骨が砕けるかもしれない。


 その攻め手をやりすごしながら、思考を働かせた。


 ――典型的な【虎形把】の戦法だ。


 もともとは、今は滅んだ大国『大華国(たいかこく)』の兵士用に作られた武術。


 いつ戦に駆り出されるか分からない兵士たちには、比較的簡単に覚えられ、かつ効果的な武術が求められた。


 それがこの【虎形把】。


 基本戦術は、ただひたすらに怒涛の連撃を繰り返し続けるというものだ。


 それは攻撃のためであり、同時に隙を作るためでもある。


 手数を多くして攻め続けることで、敵の防御を強引にこじ開け「隙」を作る。そこへ強力な発勁(はっけい)を叩き込んで倒す。まさに軍隊向きな、荒々しく豪快極まる拳法だ。


 回避を繰り返しているうちに、導聞は塀に背中を打った。下がり過ぎたようだ。


(ボン)ッ!!!」


 好機とばかりに、臨虎が気迫を強めた。斜め下へ滑り込むように踏み込み、上半身を前傾させて掌打を真っ直ぐ発してきた。『虎撲(こぼく)』という技だ。沈む力と進む力が同時にこもった激甚たる発勁。小柄な少年が放つものでも、当たればひとたまりもない。


 導聞は直撃寸前に体をひねり、まさしく獲物に爪を伸ばす若虎のごとく突き進む臨虎を横切った。


 臨虎の一撃は目標を失い、空を切る。


 背後に回り込んでいた導聞は、その背中を足裏で踏むように蹴飛ばす。


 臨虎は前のめりに崩れ落ちるが、一瞬のことだった。すぐに前に体を転がしてから流れるように立ち上がり、鋭く振り向いて構えを取った。


 その様子を、導聞はふっと称賛の笑みを浮かべつつ、


「やるじゃないか。その歳でそれだけできれば大したものだよ。さ、もうやめよう」

「吐かせ! まだそちらは一度も攻撃を仕掛けていないぞ! 舐めてるのか!」

「やめた方が良いよ。死ぬほど痛いから」

「覚悟の上だ! その覚悟ができずして、どうして武術家を名乗れる!」


 導聞はどうしたものか、と大きめの溜息をこぼした。


 臨虎はその仕草を挑発と取ったのだろう。再び雄叫びを上げて向かってきた。


 虎の爪に見立てた両掌で、再び連打を始めようとする。


 しかし、そのときすでに導聞は「するり」と少年の懐中へ侵入していた。


 左足で地面を捻じりながら蹴り込む。大地から湧き出した螺旋状の勢いが脚部、腰部、背部、腕部へととぐろを巻いて駆け上り、外側へ振った右腕に(ちから)を与えた。


 少年の腹に、導聞の腕刀がドスン!と埋もれるように突き刺さった。


「かふっ……!!」


 かすれた呻き声。


 導聞の発勁(はっけい)をマトモに食らった臨虎は、まるで"後ろへ落下"するような勢いで大きく吹っ飛んだ。


 壁に背中から激突。しかし発勁の勢いはなおも続いており、壁面に(はりつけ)の状態となる。


 しばらくして、ぺりっ、と壁から剥がれ落ち、うつ伏せに着地。


 動かなくなった。


「…………死んでないよね?」


 やっておいて今更、そんな台詞が出る。


 ぐったりとしている臨虎に駆け寄り、触れようとした瞬間、ガバッとその赤い頭が持ち上がった。おお、良かった、生きてた。


 さらに臨虎は腰を勢いよく上げる。


 まだやるのかと思いきや、少年が行なったのは――跪いて右拳左掌の抱拳礼を掲げた姿勢。


「感服致しました! なんという入神の功夫(ゴンフー)! 先程は花拳繍腿だなどと無礼な事を……どうかお許しください!」


 先程までの好戦的な態度はどこへやら。臨虎はその大きな瞳を輝かせて、恭しくそう訴えてきた。


 その急変ぶりに導聞はたじろぎながら、


「別にいいよ。気にしてないし」

「ありがとうございます! もう一つ、厚顔無恥とは存じますが、何卒、叶えていただきたい願いがございます!」

「な、何かな?」

「ボクをどうか――あなたの門下にお加え頂けないでしょうか!」


 突然のその申し出に、導聞は目を大きく見開いた。


 幾ばくかの間を置いてから、ようやく「弟子が出来た」と認識した。破顔してその肩に手を当てて頷く。


「いいよっ! なら、たった今から君は僕の一番弟子だ! これからは僕の事は「師父(しふ)」と呼ぶように!」

「はい、師父!」


 臨虎は花が咲かんばかりの笑顔を浮かべ、素早く立ち上がった。


「では、早速掃除などをやらせていただきます!」

「え? べ、別にいいよ」

「遠慮なさらず。何でしたら、今日の夕食もお作りしますよ」


 やる気満々の様子だが、弟子にそこまでさせるのは気が引けた。


 そこへ星火がのほほんとした声で、


「ホントにー? じゃあ、お願いしちゃおうかしらー」

「星火!?」

「いいじゃない、あなた。せっかくやってくれるって言うんだから、お言葉に甘えちゃいましょうよ」

「えぇー」


 困った声を上げる導聞をよそに、臨虎はピシリと背筋を伸ばし「分かりました、奥様!」と威勢良く言って、両開き扉が開け放たれた家の中へと走っていった。


 星火は片頬に手を当ててうっとりした顔をする。


「やだー。奥様だなんて。照れちゃうわ」

「……うん、そだね」


 一応、同意する。


 ……何はともあれ、導聞は早速弟子を一人獲得したのだった。


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