第三章 愛を尊び、愛を弄ぶ者〈1〉
「——その話は誠か、郭嵐」
驚愕の響きを持った声が、部屋の空気をぴりぴりと揺らした。
円柱状の空間。円い天井の中心点に吊るされた『晶灯』の燐光がその部屋を照らし出しており、壁の東西南北にある扉、その扉と扉の間に置かれた龍の彫像、その四体の龍が見つめる中央の円卓、その円卓を囲んで座する「幹部」たちの姿を明確にしていた。
郭嵐は、今の問いを投げかけてきた幹部の一人に対し、目を向けないまま淡々と告げた。
「間違いない。俺は奴をずっとこの目で見続けてきたんだ。奴こそが……」
「我々の『秘法』を持ち逃げした裏切り者、ということだな」
他の幹部が、郭嵐の言葉に繋げる形で言った。
彼の言う「我々」とは、郭嵐を含むここの全員が幹部として所属している『組織』の事を指す。
さらに『秘法』とは、この組織において伝承されている武術の奥義である。
武術や戦いの常識を、根底から覆すほどの力を持っている。
最強の技と呼んでも、大袈裟ではない。
組織の中には様々な武術が伝わっているが、『秘法』に関しては伝承対象を厳選している。さらに、その『秘法』を満足に覚えられなかった者、あるいは内容を他言した者に対しては、「死」という名の重い制裁が待っている。
それほどまでに慎重を期して伝承してきたはずの『秘法』が、なにゆえ外へ漏れたのか。
「……忌々しい事を思い出す。あの男がつまらぬ感傷に惑わされなければ、伝承が洩れたりなどしなかったというのに」
さらに他の幹部が毒づいた。
「あの男」とは、かつて『秘法』の伝承責任者だった人物のことだ。
その人物は、組織の構成員の一人に天賦の才を見出し、『秘法』の時期伝承者として英才教育を施した。
「秘法」の伝承に甘えは許されない。間違った伝承が受け継がれることは、武術家が最も嫌う事に一つだ。ゆえに、厳格な修行と、明確な上下関係が求められた。
しかし、「あの男」は伝承の過程で、その弟子に対して愚かにも父性を抱いてしまった。
結果、「あの男」は弟子を組織から逃した。それを追いかける刺客ともたった一人で戦い、それらを道連れにしてこと切れた。
それから七年が経った現在、郭嵐はその弟子の姿を帝都で偶然見かけた。
成長していたが、面影はしっかり残っていた。
郭嵐が幹部連中を招集して伝えたことは、その情報だった。
『秘法』にまつわる内容なので、全員騒然とした様子。
郭嵐の狙い通りの反応だった。
「見つけたのならば話は早い! さっさとひっ捕らえて、『秘法』を搾り取ってしまえ!」
過激で血の気が多いことに定評のある幹部の一人が、円卓を叩いてそう気炎を吐いた。
彼の声のデカさに郭嵐は眉をひそめつつも、平坦な口調で訊いた。「搾り取って、それからどうする」と。
「殺せばいい! もしくは兵隊どもの練習台にでも慰み者にでもなんでもしてしまえ! 所詮、一度我らを裏切ったのだからな!」
「お前も幹部だろう。少しは脳みそを使え。強引に吐かせてどうにかなるほど、伝承は甘くない。伝承とは、教える側に意思があってこそ成り立つ行為なのだ」
「何だと! ならば貴様の意見を聞かせろ、郭嵐!」
円卓が叩かれ、唾が飛ぶ。
うるさい奴だと心中で毒づきつつ、郭嵐は己の考えを口に出した。
「――俺の『神絲功』を使えばいいだろう」
幹部全員がざわついた。
ドンッ、とさっきより強い力で円卓が殴られた。
「何を言っている!! それは『秘法』の一つではないか!! その伝承責任者の一人に名を連ねる身である貴様が、自ら伝承を明かすと!?」
この組織は、強力な『秘法』を持ちつつも、それをみだりに使わず俗世には隠している。
もともとは一つの武術門派から生まれた組織なので、奥義の伝承における秘密主義な面も受け継いでいる。
結構な話だが、それでは手に入らないものもある。
「だが、取り戻そうとしているモノもまた『秘法』だ。ならば、多少の代償は支払ってでも確実に手に入れるべきである。違うか?」
その郭嵐の発言とともに、押し込めたような沈黙が訪れる。こちらの意見に一理あると思いつつも、この組織が長年守り続けてきた慣習を破ることに抵抗を感じているのだろう。
やがて、幹部の一人が沈黙を破った。
「……目には目を、『秘法』には『秘法』を、というわけか。お前に出来るのか、郭嵐?」
「出来なければこんな話は持ち掛けんよ」
郭嵐はニィッと嗤った。