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導聞(ダオウェン)。  作者: ボルボ
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第二章 皇女襲来〈10〉

 ——さっきは少し危なかった。


 最初は一太刀に全てを賭けるような捨て鉢の戦法に見えたが、まさか土壇場で太刀筋を変化させるなんて。「後の先」を取られかけた。


 茅藍(マオラン)に付けられた、左頬の切り傷を撫でる。とても浅く、血の量もごく微量だが、傷である事実は変わらない。


 傷一つ負うこと無く終えよう、などと傲慢なことを考えていた自分を恥じた。


 若くてもやはり親衛隊だ。侮れない。もしあのまま精進を続ければ素晴らしい武術家になれるだろう。


 導聞(ダオウェン)は気持ちを切り替え、玉座の皇女を見据えた。


「四人全員に勝利しました。約束通り、金輪際我が門への余計な干渉はしないでいただきたい」


 淡々と言い放つ。


 皇女はギリギリと切歯し、燃えるような眼差しでこちらを睨む。


「導聞……そなたという男は……!」

「約束は約束です。受け入れてください」

「誰に向かってそのような物言いをしておるっ!!」

「あなたです、皇女殿下。約束事は身分の貴賎に関係なく尊ぶべきものであると、僕は思います」


 終始落ち着いた口調で、子供に言い聞かせるように告げる。


 途端、皇女はカッとなったように、勢いよく腰を持ち上げた。周囲を見回しながら、


「誰ぞ! 誰ぞおらぬか! いるならばこの無礼者に——」

「殿下っ!!」


 稲妻が落ちるような導聞の一喝に、皇女がひゅっ、と喉を鳴らして押し黙った。


「このような所業、道理に(もと)ります!! あなたはご自身の持つ強大な御力を理解しておりません!! 青き血を持つお方ならば、もっと慎重に発言を行うべきです!!」


 皇女は導聞のかつてない剣幕に一歩退き、玉座へ落ちるように座った。


 しかし、辛うじてとばかりに重々しく口を開いた。若干上ずった声で、


「……まだ分からぬか? この国は今、力を付けなければならぬ段階にある。ここで成長を止める事は、そのまま凋落(ちょうらく)の道を歩み始める事へと繋がるのだ」

「たしかに、大切なモノを守るためであれば、剣を取るのは当然でしょう…………しかし!その剣は今のように相手を恫喝し、従わせるためのものであってはならないのです! 今のようにっ!!」


 皇女は何かに気づいたように目を見開いた。


 ガシィン!と、右手の剣を床に突き刺す。


「相手を侵そうとする者は、自らも侵される覚悟を持たねばなりません!! 皇女殿下、あなたにその覚悟がお有りかっ!!!」


 槍のように鋭い眼光で射すくめられ、皇女は目に見えて狼狽する。


 幼い唇がカタカタと震えをきたしている。


「わ…………妾は……」


 皇女が何かを口にしかけた、その時だった。




「そこまでよ」




 上品でいて、荘厳な女の声が背後から聞こえてきた。


 導聞は振り向く。


 外と謁見の間を繋ぐ両開き扉の前には、先程の声通り気品のある美女が悠然と佇んでいた。


 天女と見紛うほどの美女だった。美しい焦げ茶色の長い髪は毛先の付近で波打っており、真ん中で分かれた前髪の下には憂いを帯びたような造作の美貌。肩だけを露出させた丈長の衣装は、最高級の絹を主な素材にした上品なものだ。さらけ出されている顔、首肩、胸元、手の素肌は静脈が透けるほど真っ白……というわけでもなく、ほどよく日に焼けた色合い。外に出て仕事する人の肌によく見られる色だった。


 導聞が誰何(すいか)するよりも早く、


「は……母上……なぜここに…」


 皇女がその人物を見て、震えた声で呟いた。ひどく怯えた様子に見えた。


 母上。皇女の母上。すなわち、皇后。


 導聞の片膝が、見えない手に引っ張られるかのように床へ付いた。


 気絶した茅藍を除く他の親衛隊も一斉に跪いた。


 たおやかな足音が両開き扉から近づいてきて、導聞のすぐ前で止まった。


「顔を上げて下さい」


 穏やかな響きを持つ声が、頭上からそう命じてきた。


 それに従って顔を起こす。申し訳なさそうな微笑を浮かべるその美貌は、近くから見ると余計に神々しく感じられた。


「導聞さま、だったかしら?」

「はい」


 どうして僕の名前を? と思いながらも、返事をした。


「ごめんなさいね。娘の我が儘で、貴方には多大な迷惑をかけてしまったわ。皇族として、あの子の母として、謹んで謝罪するわ」


 そう言って、天女のごとき皇后は深くこうべを垂れてきた。


「いえ、良いんですよ」という忖度(そんたく)の言葉さえ出す余裕が無かった。彼女が放つ高貴な気に、押しつぶされそうな感じがあったからだ。


 頭を上げると、もう一度導聞に笑いかけてから、その横を通り過ぎる。


 導聞は自身の向きを逆に変える。


 皇后は真っ直ぐに、皇女へと歩んでいる。その歩容からは、怒りを静かにくすぶらせているような感じがした。


「は……はわ、はわわ…………」


 その裏付けに、皇女は顔を蒼白にしながら、口を金魚みたいにパクパク開閉させている。


「は、母上……ず……随分とお早いご帰還でありますね……」


 しかし、どうにかそう言葉を形に出来た。


「ええ。予定よりも早く帰って来れて嬉しいわ。だって、貴女の馬鹿な行いを現行犯で目撃出来たんだもの」


 こちらから見れば、皇后は後ろ姿なので、どんな顔をしているのかは分からない。


「帰ってきてすぐ、宮家の息女の森森から全て聞いたわ。貴女、(わたくし)達の留守中に随分と勝手気儘に振舞っていたそうじゃないの」


 けれど、ポキリ、ポキリと、指を鳴らす手つきからして、大層お怒りであらせられる事だけは理解できた。


「ひ、ひぃっ!!」


 皇女はとうとうたまらなくなったのか、玉座から脱した。猫のような俊敏さを活かし、皇后の横を通り過ぎて逃げようとする。


 しかし、通過する直前、片手を掴まれてしまった。皇后はそのまま重心を鋭く後方へ下げ、その勢いで皇女を引き寄せると、もう片方の手で背中を押して床に叩きつけた。


「ぷぎゃ!」


 うつ伏せで組み伏せられた皇女は、カエルが潰れたような呻きをもらす。おおっ、見事な身のこなし。何か武術の心得がある様子。


 かと思えば、皇后は娘の腰を右腕で抱えて持ち上げた。尻が前、頭部が背中側という位置関係。


 ……その体勢から鑑みて、導聞はこれから何が起ころうとしているのかを理解した。してしまった。


「皇室とは、国家の象徴であり、最高決定機関。ゆえに決定と(ちょく)は熟慮に熟慮を重ねて行うべし。軽はずみな考えと判断で勅を出すべからずと………………何度も言ってんだろうがコラァ!!!」


 バシィン!! 皇女の小さな尻に、皇后の左張り手が炸裂。見事な音が鳴った。


「あひぃ!?」


 苦痛の声。


「オシメ取ってもう何年だテメェコラ!! 未だに下穿きにションベン垂らすのやめられねぇ年頃のつもりか、あぁ!?」

「ひぎぃ!!」


 炸裂。


「そのチンカス以下の記憶力で思い出してみやがれ!! 「皇族の軽はずみな一言が万人を不幸にする事だってある、だからキチンと考えて言葉を発しろ」、私は全部そのケツの穴にぶっ込んだつもりなんだけどなぁ!?」

「ぷぎぃ!!」


 炸裂。


「何だ今の返事はぁ!! ブタかテメェはぁ!? テメェはブタじゃなくて人間だろ!!そいつを証明してみせろや!! 人間様の言葉でキチンと謝ってみせろコラァ!!」

「ぷぎゃ!! ご、ごめ、ごめんなさい!! ごめんなさいぃぃぃぃぃ!!」


 炸裂。炸裂。炸裂。炸裂。


 永遠に続くかと思えるほどの百烈尻叩き。


「………………」


 導聞は頭の中が真っ白になっていた。


 天女のごとき美女の艶やかな唇から発せられる、下品極まる怒声。


 一撃一撃に気合がこもった張り手。

 芸術的なまでに清々しい破裂音。

 涙目で苦痛を叫び続ける皇女。


 玉座の間という高貴な空間に相応しいモノとそうでないモノが入り混じったその混沌な光景に、導聞はただただ唖然としていた。




 ~~~~しばらくお待ちください~~~~




「ごめんなさいねぇ。見苦しいところを見せてしまって」


 ふふふ、と雅な笑みを浮かべる皇后。


 その仕草や表情は、つい数分前まで口汚い痛罵をぶちまけていた人物と同一であるとはとても思えなかった。


「うっ、ひぐっ……えぐっ……」


 一方で、母と手を繋いだ皇女は嗚咽をもらしつつ、泣き顔を見られまいと深くうつむいていた。


「私はもともと将軍でね、今の皇帝に見初められて皇后になった身なの。そういう経緯のせいか、この子のしつけの時は兵をシゴいてた頃の口調が蘇っちゃうのよぉ」


 頰に手を当てて苦笑する皇后。なるほど、だからあれほど見事な武術的動作ができたわけか。


 跪いた体勢を維持した導聞はそう納得する。


「それよりも……この度は、私達の娘が迷惑をかけてしまって申し訳ないわ。貴方の弟子、全員いなくなってしまったらしいわね。本当にごめんなさい」


 皇后は柔らかい口調をやめて、張り詰めた表情で再度謝罪してきた。


 導聞は恐縮しながら、


「い、いえ、もう結構です。あなたの謝罪の意は受け取りましたから」


 ――皇女殿下のオシリを叩く音で。


「ほら、貴女ももう一度謝りなさい」


 皇后に促され、皇女も涙でにごった声で「ご、ごめんなさい……」と言った。


 先程まで堂々としていたのがウソみたいにしおらしかった。


 しかし、その可愛らしい顔にシュワクチャな泣き顔は似合わない。身分に関係なく、一人の大人としてそう思った。


 導聞は優しく微笑みかけ、撫でるような声で言った。


「皇女殿下。どうか涙をお拭きください。せっかくの美しい御尊顔が勿体ないです」


 皇女はその大きな金眼を見張った。その顔は泣き腫らして赤みがかかっていた。


「……導聞、そなた、妾の事が嫌いなのではないのか?」

「嫌いだなんてとんでもない。僕は殿下の事、好きですよ?」


 ひゅっ、と幼い姫の喉奥から笛のような声が聞こえた。心なしか、顔の火照りが増している気がした。


 皇女は権力の使い方こそ間違えた。けれども、それは私利私欲のためではなく、国を守りたいという思いから生まれた行動なのだ。一介の民として、ソコに好感を抱くのは当然だと思う。


「不敬を覚悟で申し上げます。——今回、殿下は「失敗」しました。ですが、失敗とは「痛い経験」のこと。武術において、技の姿勢の歪みを修正するのと同じように、人も失敗によって己の生き方を修正していくものです。殿下はこのたびの失敗の味を臀部の痛みとしてしっかりと味わいました。ですから、もう大丈夫。あなたは一層素晴らしい権力者として成長しておられると思います。どうか、涙をお拭きになって、前を向いて、我ら民をより善き未来へとお導きください。それを頑張ってくださるのなら、今回の僕の不利益など些事でございます。…………身の程をわきまえぬ差し出口の数々、失礼致しました」


 言って、導聞は深く頭を下げた。


 沈黙。床とにらめっこし続ける。


 これは流石に生意気だったかな……と懸念し始めたところで、皇女の弾んだ声が沈黙を破った。


「そ、そうであるな! 妾は優秀なのだ! 同じ愚を二度も犯す愚か者ではないのだ! な、なかなか見る目があるではないか!」


 頭を下げたまま、上目遣いで皇女を見る。心底満足げにニンマリ笑っていた。


 良かった。泣き止んでくれたみたいだ。


 だが、どういうわけか、その顔はさっきよりもさらに真っ赤っかだった。


 傍らの皇后が「あらあら」と困ったような笑みを密かに浮かべていた。


「ところで導聞、貴方、彼らをたった一人で打ち負かしたそうね」


 言って、親子の両端でそれぞれ二人ずつ控えた親衛隊四人へ視線をなぞらせた。


 主からの眼差しを受けた四人は、重々しい表情でうつむいた。


「一応、私からも頼んでみるわ。……導聞、軍で働く気は無いかしら?」


 皇后のその申し出に対し、


「——大変有り難い話ではありますが、お断りさせていただきます」


 やはり、そのように答えたのだった。


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