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導聞(ダオウェン)。  作者: ボルボ
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第二章 皇女襲来〈9〉

 

 趙茅藍(ジャオ・マオラン)は驚愕を隠せなかった。


 腕が立つとは思っていた。手前味噌も含まれるが、若干十六歳で親衛隊入りした自分を二度も惨敗させるほどの腕前なのだ。


 しかし、それでも自分の実力は、親衛隊の中では下から数えた方が早いと理解している。


 だからこそ、あの先輩三人の功夫を尊敬していた。

 だからこそ、導聞(ダオウェン)など倒せると思った。

 だからこそ、今の惨憺(さんたん)たる結果が信じられなかった。


 二人はあっさりと敗北。今拳法の勝負をしている三人目も、相当に苦戦している様子。


 薄ら寒さを感じる。


 このままでは、親衛隊の威信を地に堕とす結果となりかねない。


 親衛隊とは、皇族の盾であり剣。一介の庶民に遅れを取るなど、あってはならないのだ。自分たちが敗死することは、そのまま皇族の死を意味するからである。


 もし、あの男が皇女の命を狙う賊徒だったとしたら? 今の自分たちは、主人を死の危険に晒している無能ということになる。


 腹に剣が突き刺さってこと切れた有様の皇女を想像するだけで、背中に冷たいものが駆け上った。吐き気さえ覚えそうだ。


 ――茅藍と皇女は、主と臣下であると同時に、幼馴染でもあった。


 趙一族は、国家を動かすほどの力を持つ高級旗族だ。そういう家柄であるため、皇族との距離も近かった。二人が出会ったのもそのためである。


 幼い頃から皇女はあのようなお転婆な性格だったが、自分は今とは真逆で人見知りであった。


 他の兄弟と比べて出来が良い方でもなかったので、両親から受ける愛情の量にも必然的に差が出た。その事が茅藍からさらに自信を奪う要因となった。


 そんな自分を変えてくれたのが、皇女であった。


 皇女は様々な遊びに、茅藍を嬉々として巻き込んだ。大抵が無茶苦茶な内容ではあったが、茅藍はそれが不思議と嫌ではなかった。


 その過程で、皇女は自分の学んでいた武術を半ば強引に教え込んだ。それが【四路砲捶】であった。


 最初は遊びの延長のつもりだったが、続けるうちにのめり込んでいった。

 基礎という骨格を作り、その上に技という肉を付け加えていくその地道な作業は職人芸にも似ている。勉学で兄達と競い合うより、一人で砂の城をコツコツ作る方が好きだった当時の茅藍にとって、その作業は楽しく感じられた。


 その様子を見て、皇女は言ってくれた。「そなたは妾より才能がある」と。


 嬉しかった。今まで何かを褒められた事などなかったのだから。大泣きして、彼女を困らせてしまうほどだった。


 その時、自分は確かに思った。皇女が与えたもうたこの武をもって、皇女に尽くしたいと。


 親衛隊に入った理由は、ひとえにソレが理由であった。


 入隊後も、茅藍は精進を忘れなかった。練功を欠かした日は一日も無いし、どうすれば相手を適切に制圧、殺傷できるかを常に考えた。


 導聞にあんなに絡んだのも、皇女の守護者である自分が、一介の庶民に負けた事実が許せなかったからだ。だからこそ、打倒導聞を目指してこの数日間努力した。


 しかし、目の前の光景を見ていると、その努力など付け焼刃のように思えてきた。


 格が違う。

 武術家としてのあらゆる要素や技能が、自分のはるか上をいっていた。

 一体どんな師に就き、どんな経験を積めば、あんな怪物が出来上がるのか。


「……降参だ」


 その亜麻色の髪の怪物は、とうとう三人目も負かしてしまった。


 うつ伏せに押さえつけた状態から三人目を解放すると、その瞳がこちらを向いた。穏やかではあるが、深淵のように底知れない眼に捉えられた瞬間、総身が震えをきたした。


 しかし、唇の内側をギュッと噛み、その痛みで恐怖を誤魔化した。


 血の味が口に広がったことで、冷静さが多少戻った。


 恐れるな。確かに功夫ではあの男の方が遥かに上だろう。けれど、心まであの男に屈してしまえば、自分は今度こそ守護者の資格を失う。


 矛として敵わないなら、肉の盾になる。


 それこそが親衛隊の生き様であり矜恃(きょうじ)なのだから。


「私が出ましょう。殿下」


 命じられる前に、茅藍は言った。その声には驚くほど冷静な響きがあった。


 その迫力に圧されたのか、皇女は一瞬こちらを見る目を剥いた。しかし、すぐに表情を引き締める。


「頼むぞ」

「はっ」


 茅藍の靴が毅然(きぜん)とした足音を刻む。


 直前まで戦っていた隊員と入れ替わる形で、導聞の前に立つ。


「剣の勝負を申し込もう」


 茅藍が言うや、すぐに女官がこちらと同じ形の剣を導聞へ持ち寄った。導聞は軽く会釈すると、その剣を引き抜き、刺突を虚空に放った。勁を受けてビリリィィィィン……と震えた剣身をしばらく見つめ、良質であるとばかりに頷いた。


 茅藍も自らの剣を鞘から解き放つ。


 これで、両者の条件と準備は整った。


 柄を握る手の内側に汗がにじむ。


 勝てない、かも知れない。


 けれど、一矢報いることは出来るはずだ。


 武術とは本来、弱者が強者を出し抜くための「技術」。力と力のぶつかり合いが全てであるならば、そもそも存在価値は無い。ちっぽけな蛇に百人を殺せる毒があるように、力の差を埋めるための「技術」は存在して然るべきなのである。


 茅藍は、右手の剣を左脇へ抱き込むように引いた。右足を前に出して腰を落とし、重心の乗った左足の膝に勁を溜める。


 シン……と、一瞬最小限まで静まり返った後、


「始めっ!!」


 皇女の合図から全く間を作らず、茅藍の左足底が弾けた。


 足底の蹴り出しは茅藍の重心を前へ送ると同時に、骨格に勁を走らせた。その勁を、体を横へ展開させる勢いによってさらに増幅させ、右手の剣に送り込む。鋭い力を受け取った剣身は電光にも等しい速度で弧の軌跡を描いた。


『転身摔捶』の体術を用いた薙ぎ払い。


 これに全てを賭ける、という燃えるような気概を、群青の瞳に表す。


 それを見た導聞は、驚きも呆れもせずに、自身の剣を立てた。驚くほど自然な動きであった。


 あと一寸で、自分の一振りはあの剣に受け止められる。あるいは自分以上の勁を込めた一振りをぶつけ、こちらの剣身を真っ二つにされる。生誕祭の時のように。


 だが、己の刃がその「一寸」の先へ進む直前――茅藍は「この一撃に賭ける」という気概を消した。


 一瞬だけ柄から手を離し、逆手(さかて)に握り直した。


 さらに目線以外、全身を真横へ向けた真半身(まはんみ)の状態になって体の表面積を縮め、導聞の剣の延長線上から体を外す。


 動きを中断させたせいで勁は消えてしまったが、逆手に生えた剣身は導聞の刃と押し合うことなくその横を滑り、奥、すなわち導聞の懐まで侵入した。


 こちらの刃はこのまま行けば、導聞の顔または首へ到達する。


 茅藍の刃は導聞の頰に触れ——




 導聞が消えた。




「かはっ……!!」


 消えたのではない。極限まで腰を沈め、こちらの間合いの内へ潜り込んでいた。この鈍痛と鋭痛の間を取ったような痛みは、導聞がこちらの脇腹に打ち込んだ肘の勁力のせいだ。


 数瞬ののち、勢いが己の役割をようやく思い出したかのように吹っ飛んだ。


 謁見の間の床を無様に転がり、玉座のすぐ近くでようやくうつ伏せに止まる。


 薄れゆく意識の中、這うような姿勢で導聞を見る。

 自分は負けた。

 けれど、一矢報いた。

 その証拠に、導聞の頰には——細いながら傷が出来ていた。


 そこから溢れる赤色を見た茅藍は、満足して意識を手放した。


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