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導聞(ダオウェン)。  作者: ボルボ
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第二章 皇女襲来〈8〉

 気がついた時には、導聞(ダオウェン)の足は『熙禁城』へと訪れていた。


 星火(シンフォ)を森に残して帝都へ戻り、大通りを北へ真っ直ぐ進み、巨壁にくり抜かれたように存在する大門の前へ到着するまで、随分とかかったと思う。


 しかし、今の導聞にはほんの四、五分程度の長さにしか感じられなかった。


 人間、強い感情に支配されると、時間の感覚が狂うものだ。


 導聞の胸中に燃える感情は、憤りだった。


「おい、何だ貴様? 止まれ!」


 大門を守護する番兵が居丈高に立ちはだかった。


 導聞はジッと睨み、


「通してください」

「何? ふざけるな。貴様いかような権利があってそう吐かす?」

「通してください」

「帰れ!」

「通してください」

「この……!」


 番兵が持っていた槍の先をこちらへ向ける。聞き分けの悪い庶民を脅すつもりだろう。


 しかし、導聞は顔色一つ変えぬまま槍の柄を掴み、勁を発した。極めて小さな体術で生み成された螺旋状の勁が槍を介して番兵の肉体へと伝達され、そのがっちりとした体躯が風車のごとく旋転。地面に倒れ伏した。


「き、貴様ぁ!!」


 もう一人の番兵がこちらを睥睨し、槍を向けて構えた。


 その槍にも手を伸ばしかけた瞬間、番兵の背後から大きな影がヌッと現れた。


「通してやれ。その男は皇女殿下の客人だ」


 以前茅藍(マオラン)とともに『祥武堂』を訪ねてきた、角刈りの親衛隊員だった。


 それを聞き入れた番兵たちはやや不服そうにしながらも、黙って門の端へと下がった。


 導聞はやや非難の色を帯びた瞳で角刈りを見つめる。


「……僕が来るのを分かっていたみたいですね」

「正確には、殿下がな」


 ぎぎぃ、と堅牢な大門が動き始める。


「さあ、付いて来い。奥で殿下がお待ちだ」





 導聞が憤ったのは、武館の屋台骨(やたいぼね)を折られたからではない。


「意思ある者」の邪魔をしたからだ。


 弟子たちは各々の「意思」を持って自分に師事してきた。


「意思」とは、己の「幸せ」のために、己自身が生み出したもの。より良い未来を作るための「幸福の種」。それを大事に育てることで、「幸せ」を手にできる。


 それを不当に摘み取られたのだ。権力の濫用(らんよう)という、この世で最もあってはならない事の一つによって。


 無論、国家を敵に回すつもりは皆無。意味も勝ち目も無いことを分かっているからだ。


 けれども、あの賢くも幼い皇女に対し、一言申すつもりではいた。


 大切なのは、「結果」ではなく、「主張すること」だ。


 たとえ言って通じなくても、そもそも言わなければ世界に伝わらない。


 嫌なものは嫌、ならぬ事はならぬ、それを口にすることさえ出来なくなったら、その国に未来は無い。


 間接的に聞いただけでは決して伝わらない、人民の持つ(なま)の意思を、あの皇女にぶつけなければならない。


 権力を持った子供を「大人」にしなければならない。


 ……時間が経つにつれて、導聞を駆り立てていた憤慨は、「年長者としての使命感」へと変化していた。


 同時に、『混元宮』にある謁見の間へと入っていた。


 贅の限りを尽くしたような、豪奢な大空間である。けれどすでに二回目なので、最初の感動は無い。まして、今はそこへ興味を向けられる余裕はなかった。


 導聞の意識は、奥の玉座に座する一人に集中していた。


「久方ぶりだのう、導聞。そろそろ来る頃だと思って、ここに座っておったわ」


 皇女が金眼を光らせて妖しく微笑む。その隣には、角刈りも合わせて左右二人ずつ親衛隊員がひかえていた。無論、茅藍の姿もある。


 普通なら、ここで跪き、恭しく挨拶でもするのが礼儀だろう。


 けれど導聞は、膝も付かなければ、挨拶もしなかった。代わりに、彼女の仕組んだ企みの概要をそのままぶつけた。


「旗族を使って、僕の門弟に圧力をかけましたね」

「うむ」


 悪びれる様子一つ見せず、幼い皇女は肯定した。


 導聞の視線がさらに険しさを増した。それに合わせ、四人の親衛隊が身構えた。


「ああいった無意味な事は、今すぐにやめて頂きたい」

「無意味? はて、そうかのう? 妾が何故このような事をしているのか、聡いそなたならばすでに分かっていよう?」


 愛らしくも妖艶な微笑みで訊いてくる皇女に、導聞は答えを出した。


「……『祥武堂』での伝承を成り立たなくするため。さらに、そうして稼ぎに困らせて、軍の教官にならざるを得ない状況に追い込むため」

「きゅふふっ、流石じゃのう。ますますそなたが欲しくなってしまった。これ以上、美味そうな匂いを発さないでくれ。強引にでも奪いたくなってしまうからのう」

「すでに強引な手に出ているかと。それに、僕は奪われません。今の貴方では、僕の欲する物は決して出すことは叶わないでしょう」


 殿下に向かって何と無礼な物言いか! と親衛隊の一人が怒鳴った。


 皇女も瞳を鋭く細める。


「それはどういう意味かのう?」

「言葉通りの意味です。貴方の用意して下さった武術教師の任では、僕の目的は達成することはできません」


 皇女は「ふん」と一笑すると、


「「幸福のための武術」の伝承、だったかのう? 言っているではないか。その願いは軍に入っても実現可能であると。軍を強くすることが、国の平和と安寧をもたらすのだと」

「確かに国は安泰となるかもしれません。けれど、軍とは個々人の生命や意思が最も軽んじられる場。僕が求めるのは、個々の人間の幸せ。それを実現させる場は「武館」であっても、「軍」では決してありません」

「これも以前に告げたことだが、「綺麗事」だ。武徳で敵の矛を払えるのか? 幸福論で敵の盾を破れるのか? 結局そなたは、軍に協力したくないだけではないのか? 『安風村(あんふうそん)』の導聞よ」


 導聞は眉をひそめた。


「……やはり、調べていましたか」

「乙女が懸想(けそう)する男の事を知ろうとするのと同じくらい当然の事だ。十一年前、煌国西方の国境が覆国の侵攻にあった。駆けつけた国軍によって退けたものの、いくつかの村落は壊滅的被害を受けた。その一つが『安風村』……そなたの故郷だ、導聞。そなたは十一年前の侵攻の生き残りなのだ」


 皇女は足を組み替え、道徳倫理を教える教育者のように言った。


「そなたの境遇はよく分かる。そなたが戦と兵を(いと)う気持ちも理解できる。しかし、だからこそあえて妾は言う。「協力せよ」と。我が軍がもっと強くなれば、もう十一年前のような事は繰り返されなくなるだろう。そのために導聞、そなたの力を、どうか妾に貸してはくれぬか」


 今までの言葉の中で、最も表現が柔らかく、へりくだった言い方。


 相手の境遇を理解しつつ、その上で最も受け入れられやすい文脈と言い回しを用いている。説得としては、芸術的とも言っていい。


 けれど、どれだけ甘露な糖衣に包まれていようと、ソレに内包されている意味は変わらない。


「戦に加担しろ」という意味だ。


「申し訳ありません。お断りさせていただきます」


 導聞は、ここ最近で何度目かになる言葉をもう一度口にした。


「な……!? ま、まだそのような事を申すかっ!?」


 途端、皇女は焦りとも怒りとも取れる感情を露わにして、勢いよく玉座を立った。


 薄々気づいていたが、やはりそうだ。この皇女、賢くはあるが、予想から外れた行動をされると取り乱すところがある。その辺はまだ年相応といったところか。


 かと思えば、急に何か思いついたように口端を吊り上げる。悪どい微笑みだった。


「……良かろう。そなたの望みを聞き入れてやる。もう武術教師として招くことも、旗族どもにも圧迫を止めさせよう。――ただし、条件がある」


 皇女は片手を扇状に振り、自分の近くに立った四人の親衛隊員を示した。


「ここにいる四人と試合をして、そなた一人で全員倒してみせよ。さすればそなたの望みを叶えよう」


 親衛隊四人が同時に驚きの声を上げた。


「殿下!? いきなり何を仰るのです!」


 特に声を張り上げたのは茅藍だ。


 しかし皇女は構わずに続けた。


「どうだ導聞よ、このような条件を突き付けられてもなお、かぶりを振れるか?」


 下すようにそう告げ、微笑む。その表情からは得意になっているような感情がかすかに読み取れる。


 皇室親衛隊は、いずれも猛者ぞろいだ。茅藍はともかく、他の三人の実力は謎なので、勝てるかどうかは分からない。


 皇女もきっと、それを狙ったのだ。「強者だらけの親衛隊を一人で全員倒す」などという無茶苦茶な条件を突きつければ、素直に引き下がると思ったのだろう。


 けれど、導聞は首を縦に振った。


「分かりました。受けて立ちましょう」


 それを聞いた皇女は、唖然とした顔になる。


 が、すぐに澄ました表情によってかき消される。


「……本当に良いのだな?」


 頷く。


「いいだろう……では、図楷(トゥーカイ)! まずはそなたから出よ!」


 主の名を受けて渋々動き出したのは、あの角刈りの隊員。


 真っ直ぐこちらへ歩み寄る。


 こちらと接触するまであと約四歩分という距離で止まると、重鈍な声質で問うてきた。


「なにで勝負したい?」

「ご随意に」

「そうか。ならば、拳法の勝負といこう」


 言うや、おもむろに構えた。右足を退けた半身の体勢。前に出した左手と左膝で体の中心を隠している。


 導聞は自然体で構える。


 張りつめた沈黙を数秒ほど続けてから、


「始め!!」


 皇女の高らかな宣言とともに、それは破られた。


 角刈りの男は、弾かれたような速度で一気に近づいた。右足の踏み込みとともに右正拳。


 鋭く突き進んできた突きを、導聞は右手で上から押さえて防ぐ。


 そのまま懐へもぐりこんで反撃だ、と考えたその時、今度は左拳で突いてきた。


 今度は左腕で攻撃を外へと払う。それから素早く全身で勁を作り、右掌底として放った。


 導聞の発勁が直撃する寸前、角刈りの姿が消えた。


 かと思えば、背後から強い殺気を感知。頭部の位置を下げた途端、直前まで頭があった高さを暴力的な空圧が通過した。


 ちらりと一瞥し、その正体が角刈りの擺脚(はいきゃく)——内から外へ払うように蹴る回し蹴り——であると確信した。角刈りは回転して跳びながらこちらの後ろへ回り込み、後頭部へ擺脚を振ってきたのだ。その蹴りは【四路砲捶】の脚法の一つ『騰空擺脚(とうくうはいきゃく)』である。


【四路砲捶】は、皇室親衛隊の間で必修となっている拳法だ。


 その持ち味は、敵の速やかなる打倒と制圧。


 原型は、煌国北方に伝わる拳法の一派【砲捶(ほうすい)】である。

 その【砲捶】から無駄な部分を削ぎ落とし、最も有効と思われる技術を四つの套路に凝縮させたのが【四路砲捶】。


 創始したのは昔の親衛隊長だ。そのため、迅速に敵を制する速度、あらゆる環境で戦える適応性という、護衛任務において最も有効な技能が必然的に組み込まれている。


 角刈りは着地。またも急加速して距離を縮め、腕を外側へ鋭く振った。導聞は後ろへ下がって直撃を免れる。


 だが角刈りは幾度も腕を振り回して猛然と攻めてくる。


 その腕刀の間合いからひたすら退く導聞。


 導聞がようやく次の攻勢を見せたのは、内から外へ薙ぐ腕を両掌で受け止めてからだった。すかさず角刈りの前足のスネを踏むように蹴り、後方へ滑らせて重心の安定を崩した。


 崩れたのはほんの一瞬。

 が、されど一瞬。


 導聞はその「一瞬」を見事に掴んだ。重心の後退とともに、受け止めていた角刈りの腕を後方へ引っ張った。飛び込んできた大柄な体躯が視界を覆い尽くす。


 後足で床を撃発し、勁を生み、肘へと伝え、叩き込んだ。


「がはっ……!」


 角刈りの呻き声。


 急所は外した。けれど引っ張られた勢いに逆らう形の衝撃を受けたため、臓腑がひっくり返りそうなほどの痛覚を味わったことだろう。


 骨太な肉体が跳ね、背中で着地。


 導聞は立ち上がろうとする前に素早く近づき、その顔面に拳を寸止めさせた。


 角刈りが戦慄の表情でゴクリ、と喉を鳴らす。


「ま、参った……」


 他の親衛隊がざわつく。


「次! 早う出よ!」


 皇女が苛立ち任せに命じる。


 すると、三人の中から一人前へ出てくる。背中に大きな刀を差した男だ。


 ぎこちなく歩く角刈りはすれ違いざま、その仲間に小さく訴えた。「気をつけろ、只者ではないぞ」と。


 次なる敵は、しゅらん、と背中の刀を右手で引き抜いた。柳の葉に似た刀身を持つソレは『柳葉刀(りゅうようとう)』と呼ばれる刀だ。


 導聞は傍らから歩み出てきた女官が、同じ『柳葉刀』を差し出した。柄を右手で握って鞘から抜き放ち、勁を込めて試し振り。……細工はされていない。むしろ、なかなか良い刀だ。


 互いに同一の得物を構える。


「始め!!」


 皇女の一喝。


 刀使いの白刃が駆けた。


 導聞はそれを自らの刃で難なく受け流す。


 刀使いは体を回転させ、その勢いを刀身に乗せた。導聞は斜め上から円弧軌道で振り下ろし、刃同士の摩擦でいなす。


 またも回転。今度は袈裟がけの太刀筋でやってきた敵の柳葉刀に、導聞は逆袈裟斬りをぶつけた。互いの刃が耳障りな金属音を立てて擦れ合い、その軌道を変えて虚空を切る。


 男の攻めはまだ続いた。振り下ろした刀の切っ先を斜め上へ向けると、沈めていた軸足の蓄勁を開放。脚の瞬発で作った勁を受け、刃が稲妻のような速度で駆け昇った。


 導聞は踊るように反時計回りに旋回し、立ち位置を右へズラした。発勁の刺突が空気の壁を貫く。そのまま旋回を維持し、右手の柳葉刀を刀使いの男へ横薙ぎ。


 男は先程の刺突と同様、稲妻のような速度で自らの刃と体を手前へ引っ込めた。それによって導聞の刀の間合いからギリギリで脱する。


 その縮こまった体勢は、回避と同時に蓄勁の意味も持っていた。先程と同じ刺突を再び導聞へと走らせてきた。遠心力の法則に従って、導聞は現在背中を見せている。刀使いの男から見れば隙だらけだったに違いない。


 見事。


 しかし【空霊把】は「無形」の武術。定形を持たない水のごとく変幻自在である。


 導聞は、左足を鉤爪のように後ろへ跳ね上げた。靴裏で、真っ直ぐ迫ってきた刀身の表面を横から蹴り、弾いた。


「うおっ……」


 男は弾かれた剣に引っ張られるように、一瞬だけ体勢を崩した。


 体勢を整えた時には――すでに導聞の刀が男の喉元の一寸先で止められていた。その気になれば、いつでも首を分断できる。そんな構図が出来上がっていた。


「……俺の、負けだ」


 苦い食べ物を噛み締めるような顔で、敗北を認める男。


 導聞は柳葉刀を引っ込めると、駆け寄ってきた女官の持つ鞘へ刃を納めた。


 苦々しい顔をした皇女と、残り二人となった親衛隊の方を向き、訊いた。


「次は誰ですか」


 皇女は悔しげに切歯し、血を吐くような声で命じた。


「何を棒立ちしているっ!! 誰でも良い!! 早う行け!!」


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