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導聞(ダオウェン)。  作者: ボルボ
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第二章 皇女襲来〈7〉

 最初は、たまたまだと思った。


 一人二人三人、弟子が武館を出て行くことは覚悟の上だった。


 しかし――次の日だけで十人以上ごっそり出て行った時には、さすがに何か変だと思った。


 それでも導聞(ダオウェン)は、残った弟子に精一杯指導した。別れを惜しむより、今いる弟子を育てるのに心血を注ぐ方が建設的だからだ。


 しかし。さらに翌日の朝。


「導聞師父……今日限りで出て行かせていただきます」


 ――コレと同じような台詞を、一日で八回聞いた。


 中庭へ入ってくるやすぐにそう告げ、去って行った弟子。


 昨日と合わせると合計十八人。ここまでくると笑いすら出てきそうだ。


 武館を去った弟子の九割は、『築基站』の修行者だった。その修行に耐えかねて落伍したという可能性も高いが、本当にそれだけだろうか? これほど一気に出て行ったのは尋常ではないので、何か裏で見えない力が働いているような気がしないでもない。


 ——いや、こういう考えはやめよう。


 もしかすると、師として自分に何か至らぬ点があったのかもしれない。存在するかも分からない第三者に責任転嫁するのは控えるべきだろう。


 導聞は気を取り直し、今いる弟子に指導を続けた。――新しい自主破門者を三人出しながら。


 その日は結局、十一人が破門となった。



 翌日には、七人。

 そのまた翌日には、五人。

 さらに翌日には、臨虎(リンフー)を除く全ての弟子がいなくなっていた。

 ここ最近でようやく賑やかになったはずの『祥武堂』には、以前の風通しの良さが戻っていた。






 折り重なった(こずえ)の隙間からこぼれる木漏れ日を、見るともなく見ていた。


 濃い草と土の匂い。鳥のさえずりや叫び。隆起した木の根で凸凹を持った獣道。


 そんな森の中を踏み進む二つの足。


「たまには二人きりでこういう場所に来るのも良いと思わない? あなた」

「……そうだね」


 手に持った編み(かご)を振り回しながら前を歩く星火(シンフォ)の言葉に、導聞は気の無い返事で同意した。


 現在、二人は帝都の南西に広がる森林地帯にいた。


 星火は今日の仕事を休みにし、この場所へ薬草などを採りに来たのだ。導聞はそれに半ば無理矢理付き合わされている感じである。


 ……理由はそれだけではないだろうけど。


「あ、いいもの見っけ。あなた、この山菜、灰汁抜きしたら美味しいの。今夜これで何か作って欲しいなぁ」


 妻は獣道の端っこに繁茂している短い野草を指差しつつ、ことさらに明るい声で訊いてきた。


「……うん」


 しかし、導聞は無味乾燥な返事をするだけだった。


 対して星火はむぅっと唇を尖らせ、お小言のような口調で呟いた。


「もー、まだ気にしてるの? いい加減気持ちを切り替えましょうよ。人生長いんだから、こういう事もあるわよ。今日はわたしの薬草採りを手伝うことに集中して欲しいわ」


 彼女は消沈していた夫を見かねて、その気分転換のためにこうして自分の用事に付き合わせたのだ。


 導聞が沈んでいた理由はひとえに、弟子が一気にいなくなったことだ。


 数人やめるならまだしも、全員一気に去ったと考えると、少し落ち込むものがある。


 自分が大事にしていた武術が、世間から否定された気がしたからだ。


 けれど一方で、弟子がいなくなった要因は自分の教え方に問題があったからかもしれない、という考え方もあった。


 自分は「爺さん」から受けた指導をそのまま弟子たちに行ったわけだが、それはもしかすると人を選ぶやり方なのかもしれない。


 もしそうだとしたら、早々に新しい指導法を考えなければならない。


 けれど、どうやって?

 『築基站』をもう少し易しくするか。……いや、それだけは譲れない。アレは最も大切な訓練だ。それを妥協してしまったら、基礎的な功夫が養われない。形ばかりの、仏作って魂入れずな有様になってしまう。

 『大架』が難しいのかも。……それこそ不可能だ。套路を改変するなど言語道断。套路は先人達の知恵の結晶。むやみやたらに改変したら、武術として無意味なものになり下がってしまう。

 他に何か、変える余地のある要素はあるだろうか――


 目の前に虫が現れた。


「うわぉ!?」


 導聞は思わず飛び上がり、尻餅を付いた。


 うにうにと多脚を振り乱すその虫を持つのは、妻の白い手。彼女は虫を宙へ逃がすと、喝破してきた。


「もう悩むのはやめ! 後ろばっかり見てないで前行こ、前!」

「星火……」

「どうせ、「爺さん」の武術が受け入れられなかった気分だとか、教え方をどうやって変えようかとか、そんなことで堂々巡りに悩んでるんでしょ?」


 的確に図星を突かれ、導聞は言葉に詰まった。さすがは妻、こちらの考えなどお見通しのようだ。


 彼女はふんす、と鼻息を吐き出し、威勢良く言い放った。


「あなた、ううん――導聞(・・)


 妻が久しぶりに自分の名を呼んだ。導聞は思わずドキリとする。


「「爺さん」の教えを信じなさい。導聞の目的は、「爺さん」の教えを広めることでしょ?それなのに「爺さん」の教えを疑ったり、みんなにウケるように改変してどうするのっ。本末転倒じゃないの」


 その言葉を叩きつけられた途端、導聞の心に取り憑いていた憑き物が落ちた。


 目が覚めたような気分となる。


 そうだ。星火の言う通りだ。僕が武術を教えるのは金のためじゃない。爺さんの武術、武徳を多くの人に伝えることだったはずだ。その僕が、爺さんの教えを疑って変えるなんてどうかしている。


 胸がスッとする。思考のドロ沼から這い上がれたような開放感。


 それをもたらしてくれた星火の事が、どうしようもなく愛おしくなった。


 気がつくと、彼女の背中に両腕を回していた。


「きゃ!? ちょ、ちょっとぉ?」


 抱きつかれた星火は、困惑の中に嬉しさが混じった声を上げた。


 耳元で囁く。


「そう、だね。うん。確かに君の言う通りだ。僕は少しどうかしてたよ。でも、もう大丈夫。星火のお陰で、目が覚めた。ありがとう」

「……ううん。どういたしまして」

「星火が僕の奥さんでよかった」

「おばか、気づくの遅すぎよ」


 くすぐったそうに笑声をもらす星火。


 そうやって抱き合うこと数十秒後。


 カサカサと、草を掻き分ける音が聞こえた。


「!?」


 導聞は反射的に離れた。音のした方向を振り向く。


 草の塊のような茂みの奥で、何かがうごめいている。


 その「何か」は、黒い影に包まれていて視認出来ない。


 けれど、音が近づくにつれて、その姿形が明らかになっていく。


 まず現れたのが、丸太のように太い脚。丸みを帯びた四本の短い指からは、鋭い鉤爪が伸びている。歩くたびに裏側の肉球をちらつかせるその脚はどう見ても猫の仲間だ。


 のっし、のっし、という張り付くような重量感を感じさせる足音が近づく。


 すぐに全身が露わとなった。


 瑠璃色の虎である。


 一律に流れた見事な毛並みは、海の水面のような色をしており、木漏れ日を受けるたびにキラキラと美しく輝く。


 おまけに、大きさも普通じゃない。四つ脚立ちの状態でさえ、導聞を超えるほどの高さがある。


 美麗かつ荘厳な大虎。


「……綺麗」


 妻が惚けた顔で呟く。


 導聞も同じ感想を抱くと同時に、この虎の正体を思い出す。


 『奐海虎(かんかいこ)』という、珍しい虎だ。


 この虎の毛皮で作った衣装は大層美しいが、一昔前にそれが原因で乱獲が発生し、今や絶滅危惧種。国がそれを見かねて狩猟、飼育の一切を禁止にしているが、もともと繁殖能力が低い種であるため、個体数は相変わらず少ないらしい。


 ゆえに、こうしてお目にかかれることは極めて稀なのである。


 だが『奐海虎』は希少動物であると同時に、危険生物の一種でもある。なにせあの巨体だ。あの脚で殴られたら人の頭部などゴッソリ削り取られてしまうだろう。


 だからこそ、導聞はいち早く我に返り、星火を後ろに庇って立った。


 のっしのっしと緩慢に歩いてくる『奐海虎』。


 襲って来たら、まずは注意を自分に引きつけて星火を逃がそう。それから脇腹へ勁を打ち込んで怯ませてから、自分も別の方向へ逃げるのだ。妻だけは絶対に守る。


 しかし、妙だった。瑠璃色の大虎からは、敵意や警戒のようなものが見られない。


 それどころか、その長い尻尾をピュオン、ピュオンと左右に振っていた。まるで導聞たちと出会った事を喜んでいるかのように。


 さらに、大虎が出てきた藪の中から、もう一つの音が近づいていた。


 まさか子虎でもいるのかと思ったが、姿を現したソレは、人間だった。


「こらっ、こんな所まで出てきて。あまり遠くまで行くんじゃないぞ」


 しかも、見覚えのある顔だ。


 手首足首までの素肌を覆う、黒に近い紫色の上下衣。服の輪郭から分かる女性的曲線美。後頭部で一束にした長い焦げ茶色の髪の下に、やや鋭い翡翠色の眼が光っている。


森森(センセン)さん……?」


 そう。それは誰あろう、帝都有数の大武館『仙踪林(せんそうりん)』の総師範にして【刮脚(かっき

ゃく)】の名手、(ゴン)森森だった。


 彼女もこちらに気づいたようで、その鋭い翡翠色の眼を若干見開いた。


「ん……? 貴公らは……」

「えっと、こんにちは、森森さん」

「ああ。久しいな、導聞。それと、その妻も」

「ええ。ちなみにわたしは星火って名前だから、これからはそう呼んでね。森森さん」


 森森は首肯すると、ここからが本題だとばかりに踏み込むように訊いてきた。


「それで、何故貴公らはこのような場所に来ている?」


 ……その顔には、少しばかり警戒心が含まれている気がした。


「ウチの家内は薬草を取りにここへ来たんです。僕はその付き添い兼荷物持ちかな」

「……そうか。分かった」


 『奐海虎』がごろろろろ……と喉を鳴らしながら、森森の胸にその巨大な頭を擦り付けてきた。驚くべきことに、彼女にひどく懐いているらしい。


 しかし次の瞬間、もっと驚くべき光景を目の当たりにした。




「やーん、もぉ、可愛い奴めー♪ どうしておまえはそんなに可愛いのだぁ? もしかして何か欲しいエサがあるからねだってるのかぁ? ほらほら、買ってやるからお母さんに言ってみろぉ♪」




 …………はい?


 なんと、目の前にいる『仙踪林』総師範サマは、大虎の巨大な顔に頬ずりしながら猫なで声でそう言っ

たのだ。


 ものすごく良い笑顔であった。


「あん、こーらぁ。んもぉ、大きくなっても甘えん坊だなぁおまえはぁ♪ そんなんで野生でやっていけるのかぁ? お母さんは心配だぞぉ♪」


 そう。あの冷静沈着かつ自他問わず厳格なあの森森が、である。


「もふもふもふもふぅ♪ もし野生に帰れなかったらぁ、お母さんが面倒見てやるからなぁ。あんまり深刻に捉えるなよぉ。ふふふ、もふもふー♡」


 そう。あの冷静沈着かつ自他問わず厳格なあの森森が、である。


 その信じがたい光景に、夫婦揃って硬直していた。


「ん? 何か?」


 森森はこちらの視線に、真顔で小首を傾げた。


 これまた夫婦揃って「あ、いえ、何も……」と言葉を濁す。どうやら今のダダ甘な態度に対して何の恥じらいも持っていない様子。


 なので、今の光景からは意識をそらすことにした。


「あの、もしかして森森さん……飼ってるんですか?」


 導聞がそう尋ねると、森森はその翡翠色の瞳を気まずそうに逸らしながら、


「……そう見えるか?」

「えっと、はい。その子の懐き方が普通じゃありませんでしたから」

「そうか」


 観念したようにため息をつくと、語り始めた。


「貴公の言う通り、私はこの子の育ての親だ。昔、この森の中でひとりぼっちだったこの子を見つけた。大方、どこかの密猟者が親を殺したのだろう。いかに屈強な『奐海虎』といえど、子供だけでは生きていくことはできない。だから私はこの子を、この森でこっそり育ててきたのだ。最初は野生に返すまでのつもりだったのだが、見ての通り、思いのほか懐かれてしまってな」


 森森はしみじみ言いながら、大虎の頰をサラサラと撫でる。ごろろろろ……と気持ち良さそうに喉を鳴らす。


 なるほど。人間に慣れていたから、こちらに敵意を示さなかったのか。


「『奐海虎』は飼育禁止であるため、表立って飼う事は出来ない。しかし、こうしてたまに会って餌を与える程度なら飼育には入らない。そうは思わないか、導聞?」

「うーん……まぁ、そう言えなくもない、かな?」


 若干、屁理屈である事は否めないが、一応頷くことにした。


「あの、触っていいですか? 触っていいですか?」


 星火が眼を輝かせながら、許可を求めてきた。


 森森は顔つきを優しく緩め、


「大丈夫だ。この子は優しい。余程のことをしない限りは人間に危害を加えることはない」

「じゃ、じゃあ……!」


 ワクワクをこらえながら、星火はソッと虎の頰に触れ、静かに撫でた。


 目を細め、ごろろろろ、と喉を鳴らす。


 星火は感動したように表情を明るくし、


「わあぁ……すごくもふもふ。気持ちいい」

「だろう!?」


 森森が凄く嬉しそうに同意してきた。どうやらこの虎の事となると人間が変わるみたいだ。


 だが、すぐに表情を引き締めたかと思うと、深々と頭を下げた。


「どうか二人に頼みがある。この子の存在は秘密にしておいてはくれないだろうか? もしこの子の存在が知れたら、毛皮を狙う糞虫共がやってくるかもしれん。頼む」


 夫婦は顔を見合わせ、笑う。


 森森の方を向き直り、二人で同時に言った。


『分かりました』

「……感謝する。また一つ、貴公らには借りができてしまったな」

「気にしなくていいですよ」


 導聞が首を横に振る。


 森森はふと、何かを思い出したように目を広げた。こちらから見て左側を指差すと、


「そうだ、貴公らは確か薬草採りに来たらしいな。あちらに真っ直ぐ進んだ先に、結構な量が生えている。美味い山菜なんかも一緒にな」

「本当にっ? ありがとう、助かるわ。ほら、あなた、行こっ」


 導聞は手を引く妻に逆らわず、流されるように立ち去ろうとしたが、




「そういえば、貴公の『祥武堂』、最近弟子が激減したりはしなかったか?」




 森森がそう発した途端、夫婦ともに歩く足が止まった。


 導聞は驚きの目を向ける。


「どうしてそれを知っているんですか?」

「……やはりか。実はな、帝都を根城にした高級旗族(きぞく)どもが——『祥武堂』の門弟に圧力をかけているのだ」

「え……?」


 更なる驚愕。


 どうして……旗族が?


「私も知ったのは今朝が初めてでな。今朝、偶然兄上と会ったのだが、その時に『祥武堂』のことを話題に出してきたのだ。「『祥武堂』の弟子に、武館を自ら出て行くよう圧力をかけている旗族がいる」とな」


 訳がわからなかった。


 なぜ旗族が、ちっぽけな武館一つのためにそこまでするのだろうか。


 恨みを買った? それは無い。自分たちは帝都の旗族と一度も揉めたことがないのだ。


 ……いや、一回だけあった。森森とだ。だが彼女とは一戦交えこそしたものの、「『祥武堂』の弟子に、武館を自ら出て行くよう圧力をかけている旗族がいる」と言う口ぶりから察するに、宮一族は圧力をかけてはいないようだ。


 なら、一体何処の誰が……


 混乱がさらなる混乱を呼び、思考が渦を巻く。


「私も気になって、兄上にさらに聞いた。一体なぜ旗族たちはそんな真似をしているのか、と。曰く、ある御方のお命じである、との事。その命令者の名は——」


 その名前を聞いた瞬間、導聞の中で全てが腑に落ちた。




「——煌蓮(ファン・リェン)。すなわち、皇女殿下に他ならぬ」

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