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導聞(ダオウェン)。  作者: ボルボ
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第二章 皇女襲来〈6〉

「はい、それじゃ、あと五分そのままね」


 導聞(ダオウェン)がそう命じた瞬間、弟子たちから落胆のような雰囲気が漏れた。


 朝日の下、馬の鞍にまたがったような中腰の姿勢『築基站』を維持する集団。


 彼らの顔は真顔だが、額に浮かぶ大粒の汗が、内に秘めた苦痛を物語っていた。


「はい、前かがみにならないで背筋は真っ直ぐ。……はい、胸は張らないで、内側に呑み込むような感じで緩めて。……はい、膝を爪先より前に出さないで。そうすると上手く重心が安定しないよ。……はい、膝と爪先が開いてるから閉じてちゃんと『馬歩』を作って」


 弟子一人一人の体に現れた「クセ」を、師である導聞は修正していく。


「し、師父、師父! も、もうヤバイです! 足がガタガタ言ってます! あと五分とか、今の俺の脚力じゃ無理ッスよ!」

「うん、無理だね。きっと脚力だけで支えるのは僕でも無理だ。君の体もその事をよく分かっている。分かっているから脚力以外の方法、つまり肉体の芯である骨格で支えようと勝手に体が動くはずだ。そうして出来上がった形が正しい姿勢だ。そうすればかなり楽になる。それまでの辛抱だよ。大丈夫、怪我したら治してあげるから。ガンバ」

「うひー!!」


 質問にも丁寧に、論理的に答えていく。


 その一方で、他の修行をしている弟子たちの面倒も見る。


 各々で『大架』を練っている集団へ近づき、動きの修正をしていく。


「震脚を行うときは、膝を緩めるんだ。踏み込んだ時、大地に足が吸い込まれるような見た目が理想だ。膝を力んだら踏み込みの時に足が弾んでしまう。下手をすると膝を痛める恐れがあるから、気をつけて」


「緩と急、柔と剛、虚と実を意識して。緩やかな動作と激しい動作を明確にして、蓄勁と発勁を分明にして、重心が乗った足を把握するんだ」


「下半身を意識して。勁を生むのは下半身で、上半身はただ動かすだけ。上下の動きを終始同調させるんだ。でなければ人を倒せる力は出せない」


 そのようにあちこち移動しながら指導する導聞に、星火(シンフォ)は歩み寄ってクスリと微笑む。


「ふふ、頑張ってるわね、導聞師父」

「いやー、結構大変だよ。こんなに人が多いと、あちこち回らなきゃいけなくなっちゃうし」

「嬉しい悲鳴?」

「かもしれないね」


 二人顔を見合わせて笑い合う。


 武術の伝承において、出来の悪い弟子は放置される傾向がある。出来が悪い弟子は主に二種類いる。自己流に走って墓穴を掘っている者や、ただ単に覚えが悪い者だ。

 そんな者に時間を割くくらいなら優秀な弟子を気にかけた方が合理的だ、なので出来の悪い弟子は金だけ貰って捨て置こう……そんな考え方である。


 しかし導聞は、ここに来た弟子には平等に教えたいと思っていた。分からないなら分かるまで教え、出来ないなら出来るまで教えたい。だって、お金を払ってまで学びに来たという事は、「学ぼう」という意思がある証なのだから。


「そういえば、皇女さまに呼び出された日から二日経ったけど、あなたの身の回りで変わった事ってなかった?」

「どうして?」

「だって、皇女さまのこと、怒らせちゃったんでしょ? 帝都でいじめられたり、冷や飯食わされたりしてないわよね?」

「してないって」

「ふーん、なら良いけど。……それにしても、あなたが国軍の武術教師に、ねぇ」


 意味深な上目遣いで見つめてくる妻。


「何かな?」

「ううん。ただ、その話に乗ってれば、ウチの家計も安泰になったかもねー、って思っただけよー」


 うぐ。胃袋を直接殴られたような気分になる。


「ご、ごめん……僕もそう考えたんだ。武術教師の話を引き受ければ、星火に頼りきりな現状を変えられるって。けど、やっぱり……」

「戦争に手を貸すのはイヤ?」

「……うん」


 悪いことをして叱られた子供のように、尻すぼんだ返事をする導聞。


 対し、星火は「はぁーっ」とでかい溜息をついたかと思うと、諦めたような笑みを浮かべて言った。


「世話の焼ける夫を持ったわー。ホント、わたしがいないとダメダメなんだから」

「……ごめんなさい」

「ううん、良いの。わたしもあなたが軍に入るのって、何か「違う」と思ったし。それに今のあなた、すごくイキイキしてるし。だから、これからもあなたは「導聞師父」でいなさいな」

「うん。ありがとう、星火。愛してる」

「知ってる」


 ついばむような軽い口付けを交わす二人。


 その時だった。




「たのもぉぉーーーー!!」




 気合いの入った叫びとともに、正門が外から勢いよく開かれた。


 全員の視線が、そちらへ集中。


 現れたのは、


茅藍(マオラン)? どうしてこんな所に?」


 誰あろう、皇室親衛隊の若き女隊員、茅藍であった。


 また皇女殿下から呼び出しだろうか、と一瞬思ったが、今彼女は制服を着ていなかった。


「今日は休暇を貰った。大事な用事ゆえにな」


 彼女は挑戦的に口角を持ち上げ、胸を叩いて今の衣服を示した。


 長袖裾長の上下衣であった。首周りを上品に覆う詰め襟に、その下へ垂直に走る留め具の羅列。上下ともにゆったりとした作りだ。

 黒一色のその服装は、年頃の娘がする格好にしては飾り気に欠ける。代わりに、動き回ること、すなわち武術を行う上で適している服だ。


 さらに片手には、中身の入った剣袋。


 導聞は察してしまった。茅藍が言う「大事な用事」の正体を。


「導聞、貴様に再戦を申し込みに来た」


 ……やっぱり。


 導聞は目頭を数秒揉んでから、疲れた口調で告げる。


「あの……その件は先日も断ってるよね」

「確かに。だが、今日こそは剣を交えてもらうぞ!」


 言うや、茅藍は剣袋に入った二本の木剣を取り出す。そのうち一本を導聞に投げて寄越した。


 その様子を見ていた弟子たちの視線は、強い緊張と期待がこもっていた。


 彼らの視線の意味を知る導聞は、物分かりの悪い子供を諭すような言い方で、


「あのね茅藍、今の君のやってる事って、相手の武館そのものを敵に回すって事だよ? 師匠を狙うわけだからね。そこのところ、ちゃんと理解してるのかい?」

「あ、当たり前だ! 一昨日のように、私を弄んで楽しむ気か!?」

「いや、あれは――ヒッ!?」


 言いかけた瞬間、背後から黒々とした気配を感じ取った。


 恐る恐る振り向くと、そこには予想通り、暗黒微笑を浮かべる妻の姿が!!


「あ・な・た? 今の話、詳しく聞かせてもらえないかしら? 誰が、誰を弄んだって?」


 ガチガチガチガチガチガチ。歯の根がうまく合わない口のまま、導聞は懸命に弁解し始めた。


「し、星火さま? ち、ちちち違うのですよ。弄んだっていうのは言葉のアヤであってわきゃぁぁぁーーーー!!?」


 脇腹をおもっくそ抓られて、サルみたいな悲鳴を上げる導聞師父。


「おおっ、あの師父があんなに容易く手玉に取られている!」「やはり奥様が最強か……」「ウチのカミさんよかおっかねーぞ」弟子たちが口々に言う。いや、見てないで誰か助けて、お願いだから。


 脇腹から痛みが消えた、と思ったら、星火は門の前で立つ茅藍へ歩みを進め、毅然とした態度で言った。


「茅藍さん、でしたっけ? あいにくですけど、彼は貴女との立ち合いを拒否するそうなので、帰っていただけるかしら? 見ての通り、今は取り込み中なの。あまりシツコイと平定官(おまわりさん)を呼ぶことになるわよ」

「誰だお前は?」

「わたしは彼の妻、星火といいます。生誕祭で貴女の剣を紙のようにスッパリと斬った、髪の毛の持ち主よ」


 星火の挑むような口調に、茅藍は眉をひそめつつ、


「お前に用はない。退け」

「うっふふふ。夫に近づく悪い虫を妻が見過ごすわけないじゃない。ねぇ? 髪の毛に負けた親衛隊の茅藍さん?」

「な……き、貴様、私を侮辱する気か!?」

「侮辱ぅ? とんでもない。わたしは本当のことを言っただけよ。証人もここに山ほどいるし。ねぇ? 髪の毛に負けた親衛隊の茅藍さん?」

「うぐぐぐぐ……!」


 目の前で激化していく女の闘いに、導聞は肝を冷やしていた。


 このままだとマズいことになりそうだ。そう思った瞬間、再び正門が開かれた。


 導聞と同じくらいの歳の若い男。彼は以前入門した導聞の門弟の一人だった。


「遅かったね。何かあったのかい?」


 導聞は彼へと近寄り、挨拶も兼ねてそう尋ねた。


「……その……師父……」


 よく見ると、彼はひどく怯えているように見えた。もしかして、遅れたことをそんなに気に病んでるのかな? 別に気にしなくて良いのに。


「さ、そんな所に立ってないで、早く入りなよ」


 導聞が門前に立つ彼を奥へ導こうとするが、まるで足をその場に縫い止められたかのように動かない。


「どうしたの?」


 さすがに何か只事ではないという匂いを感じたため、そのように問いかける。


 すると、彼は消え入りそうな声でこう言った。


「……申し訳ありません、師父。俺……今日限りで『祥武堂』を去らせていただきます」


 いきなりのその言葉に、導聞は息を呑んだ。


 しかし、すぐに涼しげな微笑みを作る。


「そうか、分かった。そうしたいなら、そうすればいいさ。もしまた気が向いたら、戻って来ればいい。僕はいつでも待ってる」

「……はい。すみません」

「良いんだ。さようなら」


 コクリ、と小さく頷くと、彼はトボトボと外へ出て行った。


 その覇気の無い後ろ姿が消えるまで見送った。


 いつの間にか隣に来ていた星火が、そっと寄り添ってくる。ささやくような声で、


「ちょっと、寂しいわね」

「仕方がないさ。武館の主になる以上、こういう展開は覚悟していたよ」


 自分の弟子が去ってしまう。


 そのような出来事は、弟子を持つ身にとって避けては通れない。


 「落伍しただけ。次の弟子を探せばいい」と言えばそこまでだ。師となって間もない導聞には、まだそこまで割り切れなかった。寂しいものは寂しい。


 けれど、来るもの拒まず去る者追わずが武術の伝承というもの。意思のない者にやらせても無意味どころか害にすらなる。


 残念だが、彼とはもうお別れだ。


 夫婦ともに寂しげな眼差しを正門へ送る。




 ちなみに、茅藍との勝負には結局応じた。わずか十秒未満で負けた茅藍は「これで終わったと思うなよ!」という捨て台詞を残して悔しそうに走り去った。


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