序章
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少年は、世の中を恨みながら生きてきた。
少年が天涯孤独の身となったのは去年、つまり七歳のころ。
『煌国』西方の国境付近にあった生まれ故郷の村は、隣国である『覆国』の侵攻によって更地と化した。
少年を含む数人を残し、村人たちはみんな殺された。
仲の良かった友達、よく畑で取れた野菜を分けてくれた近所の老夫婦、厳しくも面倒見の良かった村長、自分を愛してくれた両親。
みんなみんな殺された。
知っている人が物言わぬ屍となって転がっているのを見るたびに、何度も腹の中身を吐き戻しながら泣いた。
敵の軍勢は、駆けつけた国軍によって撤退させられた。
自分を含む生き残り達は保護された後、国からそれなりの保障を受けた。
大人や所帯持ちは新しい仕事と仮住まいを与えられ、戦争孤児たちは孤児院へ引き取られた。少年は後者だった。
孤児院の先生たちは優しかった。突然転がり込んできた自分たちに、まるで本当の親のように接してくれた。
だけど、本当の親ではない。父も母も死んだのだ。もう帰ってこないのだ。「これからは私たちを本当の親だと思ってね」という台詞を投げられて、どうして割り切って頷けるだろうか? その無神経さに憎しみのようなものさえ覚えた。
先に住んでいた孤児たちも性悪ぞろいだった。先生たちの前でこそ「素直な良い子」を演じていたが、裏では突然転がり込んできた自分たちをいつもいじめていた。「とっとと出ていけ穀潰し」と、何度も殴られた。
そんな場所に馴染めるはずもなく、少年はすぐに自分から出て行った。
天涯孤独となった少年の生活は、野良犬のソレと大差なかった。
生きるためには何だってやった。殺し以外の、あらゆる犯罪に手を染めた。
住処はその日その日で変えた。居場所を固定していたら、盗みを働いた相手から寝込みに報復されるかもしれないからだ。
少年は、自分しか信じていなかった。
バカな大人たちのせいで自分はこんな目に遭ったのだ。年代が近い子供もまた、自分以外の事などこれっぽっちも考えていない。
みんな自分勝手なのだ。
なら、自分もそう生きて何が悪い。
そんな考えに支配されていた。
少年は世の中を恨みながら、獣のように生きていた。
否。「獣」そのものだった。目つきも性格も行いも、「人間」ではなかった。
――ある男を相手にスリを行い、失敗するまでは。
少年のスリの腕は実に達者だった。わざとぶつかってその箇所に注意を引き付け、その間に手早く財布を抜き取る。武術において『虚実』と呼ばれている技術だ。
その巧みな技術を用いて今日も稼いでやろうと、ある男に狙いを定めた。六十を超えるであろう年寄りだが、体格が良く、着ているモノもそれなりに品が良い。良い育ちをしている可能性が高い。大物を見つけた気分だ。
少年は財布の位置を確認してから、いつも通りの手順でそれを奪い取ろうとした。
が、相手が悪かった。
後になって知ったが、その年老いた偉丈夫は武術家だった。少年の虚実の匂いをいち早く察知し、手を先回りさせた。
財布へ伸ばした腕を掴みとられた。
石のようにごつごつした大きな手の感触を覚えた途端、少年の血の気がさーっと引いた。
老人は腕を引っ張って少年を暗い路地裏へと引っ張り込んだ。
血の気が引き過ぎて、極寒のような寒気に襲われた。
殺される。そうじゃなくても、ひどい目に遭わされる。何か月か前、黒幇の男から財布をかすめ取るのに失敗して半殺しにされた苦い記憶が思い起こされた。
ここに来るまでずっと背中を見せていた老人が、ゆっくりと振り返る。
きっと、地獄の鬼のような顔をしているのだろう。
「――坊主、良い『虚実』だな。感服したぞ」
だが、老人が浮かべていたのは、子供のような笑顔だった。
その笑顔は、皺に沿って作られていた。笑い皺。つまり、よく笑う人物であることを示唆している。
それどころか、こちらの背の高さに合わせてしゃがみこみ、ねぎらうように頭をポンポンと叩いてさえきた。
引いた血の気が幾ばくか戻る。多少の冷静さを取り戻す。
「……あんたは、僕を殴らないのか」
そう言って、伸ばしっぱなしな亜麻色の髪の下から、狼のように荒んだ目を向ける。
老人は何をいわんやとばかりにかぶりを振り、断言した。
「子供をいたぶる大人は、くそったれだ」
――違った。
この人は違った。
戦争で親を亡くして以来見てきた人間たちとは、よく分からないが「何か」が違った。
心の中に、もやもやとした謎の気持ちが生まれる。
実態がつかめない。しかし、遠い昔に忘れていたものを思い出したような、懐かしい感じがする。少なくとも、嫌な気持ちではない。
なんだろうか、これは。
老人はすんすんと鼻を嗅ぎ、顔を少ししかめた。
「……坊主、お前さん、随分臭うぞ。風呂入ってるのか」
「入らないよ、そんなもん」
「なぜだ? ばっちいだろうに」
「家が無いんだもん」
老人は目を丸くした。
が、すぐに何かを察したような顔となる。
どうせ、可哀想とか、くじけないでとか、きっとそのうち良い事あるよとか、そんな美辞麗句を並べて去っていくのだろう。野良犬を見かけた時と同じ反応だ。憐れんでいるように見えて、心の奥底では対等だと認めていないのだ。
老人に対する興味を失いかけた時だった。
「名前、教えてくれるか」
そう尋ねられたのは。
「……え?」
そんな返し方をされたのは、初めてだった。
少年は阿呆みたいに口をあんぐりさせた。
「え? じゃなかろう。いくら親無しって言ったって名前くらいはあるだろう?」
「え、あ……あ、あるけど」
「じゃあ、それを言え。でなければスリ小僧として『平定官』につき出すぞ」
『平定官』とは、この煌国における下級武官にして警察機構だ。逮捕権を与えられ、市井単位のいざこざや事件を解決することを職務としている。
少年は唸った。これは言わねばならないらしい。
まるで女の子に恋心を打ち明ける直前のように胸を高鳴らせながら、今は亡き両親から授かった名前を告げた。
「……導聞」
その名は、少年に残された唯一の財産だった。
それを耳で受け取った老人は目を閉じ、咀嚼でもするかのように数度頷くと、瞳を開いて明るい声色で言った。
「では導聞とやら――今日からお前は我が輩の弟子だ!」
「……は?」
いきなり何言ってんだこいつ。
「我が輩は【空霊把】という武術を身につけている。それをお前に叩き込む。修業は厳しいが、我が輩の持つモノを包み隠さず全て教えてやると約束しよう。なぁに、大丈夫だ。お前はかなりの素質があると見た。たゆまず修業すれば我が輩以上の達人になれるぞ。賭けてもいい」
「ちょっ……何勝手に決めてんだよ! 僕に武術を習うお金なんかないぞ!?」
「金などいらん。お前は弟子であり、我が輩の養子にもなるのだ。子に物事を教えるのに金を取る親がこの世にいるのか?」
開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。
こともあろうにこの爺さんは、こんな小汚い小僧に武術の全伝を教え、あまつさえ養子にするなどと言っているのだ。
美味い話だ。美味い話にもほどがある。
普通なら、詐欺の類を疑うべきところだろう。
しかし、この爺さんからは、欺瞞や企みの色が微塵も見られない。少年は人を狙って稼ぐ分、人の感情の機微を読む能力に長けていた。
「それとも、今みたいな生活をずっと続ける気か? 悪い事は言わんからソレはやめとけ。いつかどっかの組織の恨みを買って、運河のドザエモンにでもなるのがオチだ」
優しい声。
孤児院の先生たちが発する、腫物にでも触るような取り繕ったものではない。こちらの事情にどかどか踏み入った上で気遣うような、傲慢で無遠慮、しかしとても優しい声質。
久しく見なかった大人。
――父親を思い出した。皮が厚く無骨な手で、ぐしゃぐしゃと自分の頭を撫でてくれた、亡き父を。
狼のように荒み乾いていた瞳に、輝きと潤いが戻った。
涙だった。
「う……あ、あ、ああああ、あああああああ」
声をあげながら、ぼろぼろ、ぼろぼろ、大粒の涙滴をいくつも落とす。
それと同調する形で、曇った空から雨が降り注いだ。
零れ落ちた涙が雨粒に潰され、区別がつかなくなる。
まるで、天が少年と一緒に涙を流しているように思えた。
少年はこの日を境に「人間」に戻った。
――それから十年後。