世界最強の英雄のその後
赤銅色の荒野。
辺りはまだ薄暗い。夜明け前であった。
真っ黒な空が、うっすらと群青色に移り変わる。
そんな、朝と夜の狭間の時間。
四人の男女が焚き火を中心に座り込んでいた。
「ライ、いよいよだな」
くすんだ金髪をした、細身の男が隣に座る黒髪の少年にそう問い掛ける。
黒髪の少年━━ライは、その問いを聞いて瞑目していた瞳を開ける。ライの瞳は、見るもの全てが見惚れるような鮮やかな赤色をしていた。
「━━あぁ、ついに最後の一種族だ」
軽く顎を引き、ライは金髪の青年、ギシュにそう答えた。
その言葉を肯定するように、ライの前方に座る桃髪の少女が感慨深く頷いた。
「今考えればよく勝てたものよね。獣族、精霊族、海魔族、亡霊族、頭悪いくらいの強さを持った四種族に━━よくもまぁたった一種族、それも四人で。こんな無謀な作戦を決行した国のお偉いさん方の脳みそを、一回覗いてみたいところだわ」
はぁーと深くため息を着く桃髪の少女━━リル。
そのため息の長さに、リルの横でちんまりと座る白銀の鎧を纏った少女が苦笑しながら言葉を返す。
「本当です。特に亡霊族なんて、物理攻撃が一切効果なかったですしね。亡霊族封印の作戦のとき、ライとギシュはただの役立たずでしたし」
「「うぐっ!」」
ライとギシュは、鈍い呻き声を上げる。
しかしギシュは直ぐに役立たずと言われたショックから立ち直り「はっ」と鼻を鳴らす。
「いやいやいや、それを言ったら海魔族の時はお二人さん、海魔族に魔法を封じられて、半泣きに泣きながら俺たちにすがりついたじゃないですか。そこんとこどーなんですか」
ギシュが煽り口調で少女二人にそう皮肉を返すと、白銀の鎧を纏った少女━━ティアはギシュの煽りに見事に引っかかる。
ライとリルにとっては見慣れたいつもの風景であった。
「あれは……そう、敵を油断させるための罠だったんですよ! 『狂女』と呼ばれた私があそこまで取り乱すのを見たら、海魔族は油断すると思ったから私はあ・え・て、取り乱したふりをしたのです!あえてですから。大切な事なので二回言いましたよ」
ティアは早口にそう捲りたててふんっ、とそっぽを向く。
その様子を見て、ギシュがにんまりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「でも、お前あの時漏ら……」
「あああああああ━━━━ッ!!」
絶叫が夜明け前の空に響いた。
驚いたライとリルは何事かとティアに視線を向ける。
「それは、秘密に……って! 言わないでって!言ったのに……!」
羞恥に顔を染めて、ティアはギシュに飛びかかる。
ギシュがティアに胸ぐらを掴まれ、そのまま宙に持ち上げられる。
「……うっ、苦しい……。ま、まぁ落ち着けって」
「これが落ち着いていれるわけないじゃない!今のがライに聞こえてたら、どうしてくれんのよ!」
あまりの動揺に、ティアの丁寧な口調が剥がれ落ちて本来の口調が姿を表した。
涙目になりながら、ギシュを締め上げるティアを見てライは目を白黒させた。
なぜ、自分に聞かれたら困るのか。というより、なぜいきなり自分の名前が出たのかが分からず、ライは目を白黒させた。
その様子を見て、リルは先程と同じ程の長さの長い長いため息をついて、ライを半目で睨んだ。
「あんた、もう四年も一緒に旅してんのに、まだティアの気持ちに気づかないわけ?」
「……? 気持ちもなにも、ティアは僕の事を嫌ってるだろ? 話しかけてもすぐそっぽ向かれるし、気づいたらいつも僕を監視してるし……、たぶん、僕はまだティアに信用されてないんだと思う。……昔、やらかしたし」
ライは遠い目をして、最後にそう溢した。
「そうね。自論だけど、こそこそと集団で覗きをする男はクズだと思うの。もし裸が見たいと言うのなら、正々堂々女風呂に乗り込むべきだと思うの。そしたら、きっとしょうがなく許してくれるわ。きっと。たぶん」
「純真だった僕は、君のその言葉を真に受けて警察のお世話になったんだけどね。そしてティアに嫌われるはめになった」
「そうね。あの時は私も驚愕……いえ、戦慄したわ。もしライが私の話を信じたとしても、ギシュならきっとライを止めてくれると信じていたのに、まさか二人で乗り込んでくるとは……」
「僕とギシュは、運命共同体なのさ…………あと、もうあの話をぶり返すのはやめてください。わりとマジで……」
いきなり本気の声色になったライを見て、リルは頬を引きつらせた。この純粋無垢な少年が、あの時━━ティアが覗きに来たライとギシュに虫けらを見るような目で「最低……」と言った時━━にどれだけのショックを受けたのか、その燐片を察することがリルにはできたからだ。
ライが前方に視線を向けると、いまだに言い争いを続けているギシュとティアがいた。
二人はデコをグリグリと突き合わせ、「謝れ」「謝らない」と仲良く押し問答をしていた。
その様子を見て、ライの心に暗い影がさす。
「本当、あの二人お似合いだよな……」
低く小さな呟き、されどそれは驚くほど通る声だった。
「えっ!?」
と、リルは勢いよくこちらを振り向き、唖然とした様子で見つめている。
ギシュに視線を向ければ、「何を言ってんだこいつ……」とでも言いたげに眉をしかめて、手を頭に添えていた。
ティアは、ピタリと動きを止めて、「あぁ……」と絶望の表情で嘆き、口をパクパクと閉口させていた。
たっぷりと時間を置いてから、
「お前、マジで言ってんのかよ……」
ギシュが困惑顔で先程リルに言われたのと、そっくりの言葉をライに向けて放ったのだった。
これも、いつもの事であった。
※※※※
「さて、まぁ取り敢えず旅の思い出を語り尽くした所で、本題に入るとしましょうよ」
「どっこいせっ」と呟きギシュが地面に胡座をかいて座り込む。
直ぐ様ティアから「親父臭い……」という言葉を頂戴するギシュ。
ギシュはその呟きを「へいへい」と受け流す。
いつものギシュなら、目の色を変えてティアに噛みつく所だ。
その態度に違和感を感じ、ライはギシュの方に横目でちらりと視線を向ける。
ギシュの膝が軽く震えていた。
それと同時に、納得の感情。
今から俺たちが向かうのは、人類が生き残るか、それとも死ぬかの命運を分ける戦いの場。
僕たちの背には、人類100万人の命が背負われているのだ。
そう考えると、ライの膝も自然と震え始めた。
でも━━━。
ライは瞑目する。
ライは、目を瞑ると言うことが好きだった。
世界と自分を切り離し、一人の世界に没入する。
真っ暗で何も見えない独りぼっちの空間。
けれどその世界にいる間、自分は確かにここにいるのだと確認することができた。
軽く息を吐き、目を開ける。
━━僕はまだ、ここにいる。
深紅に染まった瞳を開けて、英雄ライは重く静かに言葉を発した。
「では、これより第五種族の内の最後の種族━━魔翼族の帝、『魔天ガイア』の討滅作戦を説明する」
※※※
この世界には、全部で6つの種族が存在している。
他5種族の追随を許さないほどの、圧倒的な身体能力を有する━━獣族。
火や、水などの概念に姿を有する━━精霊族。
海を拠点とし、天変地異にも似た現象を引き起こす━━海魔族。
特別な肉体を有し、魔法の一切を断絶する━━亡霊族
強大な魔力を保持し、二対の翼を背に称えた━━魔翼族
そして、他のどの五種族よりも脆弱で、一吹きで吹き飛んでしまいそうなちっぽけな種族━━それが、人間族。
それが、人間族から見た自種族の評価であった。
しかし、他種族からの評価は違った。
他のどの種族にすら到達できない領域の『武器』を製錬した知の化物━━それが、他種族から見た人間族の評価であった。
しかしほんの六年前までは、人間族は絶滅寸前の危機に追いやられていた。
他種族にとって六年前━━ライ達が現れる前の人間族はただ数が多いだけの弱者だった。
殺して壊してむしって千切って、そうして遊び感覚で人間族を蹂躙していた。
この世界では、大切な誰かを失った人は存在しない。
それは、『対五種族討滅班』に選抜されたライも同様だった。
目の前で、まるで玩具のように崩れ落ちる母を見て━━。
強く拳を握った。
されど握り込んだ拳にはなんの力も無くて、まるで力なき自分を神が嘲笑っているかのような、そんな錯覚すらライは得た。
強く━━━。
ひたすらに強く━━。
ただそれだけの想いを胸に、鋼の刃を振るい続けた。
勝てる、勝てないではなく誰かを守りたかった。
もうこの鮮烈な世界で、誰も失いたくなかった。
大切なものを失った時のあの、途方もなく押し寄せてくる寂寥感と、絶望をもう二度と味わいたくなかった。
そんな時だ、ライの右手に『煌翼』の紋章が浮かんだのは。
『煌翼の紋章』━━それは遥か太古の時代に伝説の賢者『マルコシアス・ファリ・トーマスク』が造り上げた、魔を断つ剣を担う事のできる聖剣所持者を示す紋章であった。
こうして━━ライ・ジークリアを筆頭に、人類の反撃が始まった。
四人の精鋭で構成された『対五種族討滅藩』は、既に四つの他種族を文字通り討滅していた。
他種族には、それぞれの種族を率いる最強の個体が存在していた。ライ達はそれを『五帝』と呼んでいた。
獣族の帝━━『龍主 覇天伐華』
精霊族の帝━━『霊頂 アテラリアル』
海魔族の帝━━『海屠 バシュ』
亡霊族の帝━━『闇王 キルシュ』
魔翼族の帝━━『魔天 ガイア』
五帝の力は強大で、今思い返しても勝てたのはほとんど奇跡だ。
もしこの中の誰かがひとりでも欠けていたとしたら絶対に勝てなかった。
しかし、それはもう過去の話だ。
現に、ライ達が討つべき敵は残るところ魔翼族だけだ。
四種族の帝を、敵は、全て殺した。
人間族が生き残るために、ライたちは殺し尽くした。
子供から老人に至るまで殺して殺して殺して。
その血生臭い両手を掲げて、また一人他の命を破り捨てた。
「このまま魔天の所までいくぞ!」
駆け、ライはすれ違い様に魔翼族を切り捨てる。
先頭を駆けるライの後ろをギシュ、ティア、リルの順番で追随する。
その時、ライの視界を埋め尽くす程の数の火球が、幕のように迫ってくる。
幕の向こうには、何百もの魔翼族がその漆黒の羽を打ち、空に浮かんでいた。
一斉発射。
そんな言葉がライの脳裏に浮かんだ。
後ろで、ギシュ達の息を飲む音が聞こえた。
ライは即断した。
「ああああああ━━━ァァ!!」
叫び、ライは右手に握っていた鉄の剣を投げ捨てると、聖剣をその手に顕現させた。
淡い黄金の粒子がライの全身から溢れ、その粒子はライの右の掌に収束する。
光が迸る。
光の幕の奥から、ライは手にした聖剣を振るう。
無形変幻の聖剣バルトリディは、担い手の心に合わせて姿を変える。ライが願ったのは冷気。
この眼前に迫る炎幕を消失させるほどのエネルギーを持つ冷気の聖剣。
キィィィっとガラスを引っ掻いたような音が辺りに響く。
それと同時に、光の幕の奥から絶対零度の吹雪が吹き荒れる。
それは一瞬にして炎の球を凍結させ、まるで雨のように凍った炎球が地面に降り注ぐ。
ガシャンッ!と陶磁器の割れるような音が絶えずライたちの鼓膜を震わせる。
ライたちはその氷塊の雨のなかを、駆け抜ける。
氷像と化した魔翼族を壊しながら、ライたちは遂に魔天 ガイアの元までたどり着く。
「皆、これが最後だ」
ガイアの元に続く扉の前。
ライは振り返り、仲間たちに向かってそう言葉を発した。
「あぁ、この先にいる最後の帝ガイアを倒せば、千年にも及んだ『大戦』は終結する。いや、させるんだ。俺たちがこの手で」
ギシュが拳を掲げてそう声を上げる。
「そうね。人類の未来の為にも、ここで私たちが負けることは許されない。いつも以上。全力を越えて、限界を越えて、私たちはあいつを倒す」
決意を表明し、リルは手にした杖を掲げる。
「……千年。それはとてもとても長い時間です。当時を生きる人達にとっては悠久にも思える地獄だったでしょう。そしてそれは私たち人類が殺され、蹂躙され続けた年月です」
ティアが、視線を上げる。
ライとティアの視線が交錯する。
「今日こそが。そう、今日こそが我々人類の怒りを、絶望をぶつける日。そして、先達たちの想いを受け継ぐ日なのです。━━我らが帝『英雄 ライ』絶対に勝ちましょう」
※※※※※
ぼろぼろだ、とライは自分の身体を見てそう結論を出した。
身体中から、血液はとめどなく溢れている。
骨はずきずきと痛みを訴え、筋肉は痙攣を繰り返す。
片目は血でふさがり、視界は真っ赤に染まっている。
命がこぼれ落ちている感覚がする。
ふと視線を横に向けると、右腕が欠損したギシュがいた。
背筋を走る激痛に顔を歪め、しかしそれでも手にした剣は手放さない。
ギシュは、戦士なのだ。
百万人の中から、選ばれた人類最高の戦士。
そんな彼だからこそ、最後まで二本の足で大地を踏みしめることができる。
ギシュの後ろには、ティアとリルが。
リルは魔力を使い果たし、意識を失っている。
ティアは、その身に纏う法力鎧が砕け、獣族の帝を倒したときのような超人的な身体能力は失っている。
全員、傷だらけだ。
身体中に裂傷が刻まれ、痛みが断続的に、しかし確かに襲ってくる。
それでも━━━。
ライは、一歩前に足を踏み出す。
ずるり、と誰かの血で滑りそうになるが聖剣を地に突き刺し、なんとか堪える。
力が抜けていく身体を懸命に騙す。
英雄 ライとして、ここで倒れることは許されない。
英雄は最後まで美しく、気高く、スマートでなければならない。
格好よくなければらないのだ。
と、ライは頑なにそう信じ込んでいた。
だが、その強情な性格のお陰でライは地に膝を折ることを否としている。
ライはふらつき、血霧を全身に纏いながらも立ち上がり、壁にもたれかかり今やもう死に体である魔天 ガイアを見下ろす。
「━━英雄ライ、お前には心の底から感嘆している。敬意をもっていると言っても、過言ではない」
掠れ掠れの声が、ガイアの口から溢れる。
その言葉には裏表のない称賛が込められていた。
だからこそ、ライも返した。
心の底から思ったことを。
「僕も同じだ。お前の強さには、正直肝を冷やした。今まで戦ってきたどの帝よりも、強かった」
「帝……? あぁ、特異点らのことか。しかし、まぁ、その称賛はおとなしく受け取っておこう。俺が一番、強かったか。くくっ、そうか。ならばよい」
血が溢れ、蒼白に染まった顔を嬉しそうに歪めるガイア。
しかし、次の瞬間。
ガイアは狂ったように笑い声を上げた。
「キャキャキャキャキャキャキャ」
その声は本能が拒む、気持ちの悪い笑い声だった。
その笑い声を聞いていたら、精神がおかしくなってしまいそうな、そんな感覚にライは襲われた。
ライは、危険だと直感した。
早く……。
ライは聖剣を振りかざす。
心に願うのは、『魔を断つ剣』━━聖剣本来の姿。
黄金の刃が、次元を割り顕現する。
「だが━━━」
ガイアが、それ以上声を発する前にライは聖剣を振り下ろす。
「俺はお前を殺すぞ『英雄 ライ』」
魔翼族の身体を構成している『魔気』を聖剣は分解させた。
黒い渦が、聖剣の光と相対するかのように渦巻く。
それは、聖剣が魔気を浄化している証だ。
断末魔が響く。
甲高く、終わりを悟った獣が出す狂声。
ライの周りに、はらはらと雪のように灰が舞う。
魔気が分解され、空気中に分解されたのだ。
灰の勢いが増す。
加速度的に、ガイアの身体が縮んでいく。
最後の最後。
命の灯火が掻き消える寸前、
「さぁ、死ね。『英雄』これで、お前が守ろうとした全ては終いだ」
━━━戯言だ。ライはガイアの言葉をそう切り捨てる。
ぶわり、と黒灰が舞う。
ライは空を見上げる。
気がつけば、もう日は沈んでいた。
空は夕焼けに染まり、世界を橙色に染め上げていた。
長い間、そうして居たと思う。
耳を澄ましても、もう誰の悲鳴も聞こえない。
戦いの産声は聞こえない。
ただ、静かにゆるやかな風だけがたゆたいていた。
━━━━終わった。
静かに、されど確かにそうライは確信した。
ライの元に、ギシュが駆け寄ってくる。
「おい、ライ。ついにやったな! 俺たちの勝利だ! これからの人生は、英雄として祭り上げられて勝ち組の人生だぜ!」
高らかに笑い、ギシュは俺の肩をバンバンと叩く。
その様子に、ライは少したじろく。
「ギシュ、お前右腕、痛くないのか?」
「はぁ?痛くないわけないだろ。超いてぇーよ。泣きたくなるくらいにな。でも、それ以上にめでてぇじゃねえか。これで大戦は終結する。しかも、人類の勝利という形でだ!」
こいつ、元気だな。こっちはぼろぼろだって言うのに……。
と、恨み節が出てきそうになったが、直ぐにそんな考えは霧散した。ギシュはギシュで、役割を果たした。
それこそ、戦士の命であるはずの腕を無くしてまで。
そんな最高の戦士に、何も言えるはずがない。
と、次の瞬間。
ブシャーと、ライの目の前で血が吹き荒れた。
ギシュの傷が、開いたのだ。
「あー!!ヤバいっ! おいリル!早く治してくれ!」
切羽詰まった様子で、ギシュはリルの方に掛けていく。
その時ティアに向けて、ギシュは何か目配せをした。
リルは、ティアに向かって親指をぐっ、と突き立てる。
ライにとってはどういう意図なのかわからなかったが、ティアには分かったらしく、はわはわとあわてふためいている。
しかし、リルに何事かを言われると、ティアははっ、と息を飲み、そしてキッとライを睨み付けた。
ライは、また何か怒られるのか、それとも罵倒されるのか、と気構えた。
ライの直ぐ近くまで、ティアは寄ってくる。
ティアの頬は軽く上気していた。
胸の逸りを押さえつけるように、右手で心臓を抑え、そしてライの目を見据えた。
「わ、私ね。知ってると思うけど、あんまり小難しい事を言うのは得意じゃないの。だから、素直に言うね」
ライは、今自分に何が起きているのかわからず、混乱していた。
なぜティアがこんなにも切なげな瞳で自分を見ているのか、何を今から言うつもりなのか。
この、大戦を終結させ、平和な世の中が訪れるこの節目で。
ティアは自分に、何を言うつもりなのだろうか。
ぐるぐると、そんな疑問が頭のなかを回る。
ライは、戸惑いながら、助けてとギシュに視線を送る。
ギシュは、軽く顎を引く。そして、ライに向けて口パクをした。その内容は、『おめでとう』だ。
ますます意味がわからなくて、ライの頭のなかは混乱が加速する。
すぅ━━っと息を吸い、ティアは言った。
ライに告げた。
何年も何年も、胸のうちに秘めた想いを解き放った。
「私は、ライの事がずっとずっと好きでした」
━━━。
ライの思考が真っ白に染まる。
なにも考えられず、目を右往左往させる。
ライは英雄とは呼ばれているが、女の子にモテたことは、一度としてなかったのだ。
女の子から向けられるのは、総じて尊敬の念と、憧憬の感情。
神を見るような、そんな目しか向けられることはなかったのだ。
だから、こんなに真っ直ぐに好意の視線を向けられたのは始めてで━━━。
ライは、いつの間にか止まっていた息を吐き出す。
そしていくらか冷静になった頭で考える。
これは、告白ってやつなのか?
ティアは、自分の事を好きなのか?
いや、そんなの今目の前で彼女が言っているじゃないか。
じゃあ、僕は?
決まってる━━━。
ライはずぅっと、それこそ彼女より先に彼女のことが好きだったのだ。
一目惚れというやつだった。
始めてその姿を目にしたとき、衝撃を受けた。
まるで妖精のように整った顔立ちと、女神のように心優しい性根。ライは、ティアに対して、ずっと好意的な感情を持っていた。
ティアを見るたびに、動機が激しくなって、顔が赤くなった。
ティアと話すたびに心が弾んだ。
だから、嫌われたと感じたときは、死にたくなった。
本当に死んでやろうと思った。
ついでに止めてくれなかったギシュも殺そうと思った。
それくらい、ライは、ずっとティアの事が。
唇が震える、喉が異様に乾く。
身体が震えて、うまく声がでない。
それでも。
この言葉だけは、きちんと伝えないといけないから。
「僕もずっと………ッ!」
言葉が、止まった。
視界が、いきなり揺らいだのだ。
まるで波打つように曲解して、ティアの身体が歪む。
縦に、横に、ぐにゃぐにゃとまるで軟体生物のように蠢く。
「え!? ライ! 大丈夫!? どうかしたの!?」
駆け寄り、ティアが声をかけてくるのが聞こえた。
ライは顔をしかめつつ、四つん這いになって座り込む。
ティアがライの身体を揺さぶる。
ライは、大丈夫だと口を開こうと、ティアに視線を向け、今度こそ絶句した。
ティアの身体が、空に開いた闇に吸い込まれている最中だったのだ。
しかし、そのティアの表情に浮かぶのは恐怖でも困惑でもなく、今の事態に気づいてすらいないのか、ライに対する心配の感情だけだった。
「な……。何がッ! 何が起きて……!」
ライの頭のなかは完全にパニック状態だった。
何が起きたのか、おかしいのは自分なのか、それすらもわからなかった。
次いで、ピシイィッと砂を地面に打ち付けるような音が聞こえた。
「━━━ッ!」
思わずライは耳を塞ぐ。
耳を塞いで、目を瞑って、独りの世界に逃げ込んだとき。
『俺はお前を殺すぞ『英雄』━━』
ガイアの声が脳裏で反響した。
ザザアァっと砂嵐のような音が世界に響き渡って。
ライの意識は暗転した。
※※※※
━━━定量の魔力の補充を確認━━━━これより世界改変の魔術を起動する━━━
※※※※
ライは目を覚ます。
いつの間にか、ライは街の中にいた。
ライは、固まっていた身体から力が抜けていくのを感じた。
次いで、安堵のため息。
悪い夢を、見ていたらしい。
ライはそう結論づけた。
しかし、一体どこまでが夢だったのだろうか。
思わず苦笑する。
夢は、最後だけに決まっているじゃないか。
ライは確かに五帝を倒した。
人類の未来を掴んだ。それは事実だ。
確固たる、揺るぎない事実。
そ証拠に右手には、相変わらず聖剣:無形変幻バルトリディの担い手を示す煌翼の紋章が刻まれているのだから。
しかし、それにしては妙だ。
ここは見た限り、ライの故郷であるバルトナの村。
バルトナの村は小さく、通っていく人々も顔見知りばかりだ。
なのに、誰もライに声をかけてはこない。
もしかして、この六年で成長しすぎて気づいていないのかも知れない。
と、その時。
村の入り口の方でうおおおおーーー!!と凄まじい歓声が上がった。ライはその咆哮にもにた雄叫びに、思わず身を強張らせた。
なにやら、客人が来ているようだ。
ライは、何が来たのだろうと疑問に思い、入り口の方に向かう。
同じように考えたのか、村人達が次々と村の入り口へと駆けていく。
「………っと」
ライの腰に、ボスッと軽い感触が飛び込んでくる。
ライはその飛来物を見て、相貌を崩した。
「久しぶり、ヘレナ」
「へ……? えっと、ぶつかっちゃってごめんなさい」
ヘレナはそう言うと、急いで村の入り口に向かおうとする。
ライは呼び止めて、何が来たのかを尋ねた。
「英雄様が、この村に来るんだ!」
とヘレナはそう答えて、一目散に駆けていった。
「……もうちょっと、ライ兄ちゃんと話してくれても、いいと思うんだけどなぁ」
ポリポリと頭を掻き、なんとも言えない気持ちになりつつも、先程聞いた答えに、ちょうどいいとも思った。
この村に来る英雄達━━それはつまり、ギシュやリル━━そして、ティアの事だろう。
何が起きたのかはよくわからないが、とりあえず再会したいと、そう思った。
そして、ティアには面と向かって、もう一度告白しよう、とライはそう考えた。
村の入り口に向かうと、人だかりが出来ていた。
その真ん中に、ギシュの特徴的な金髪が見えた。
ギシュは、その凶悪そうな外見に似合わず、愛想笑いを浮かべながら村人達の相手をしていた。
リルは、相変わらず無表情だ。
あいつは、人を貶すときくらいにしか意気揚々としないやつだからな。性格すんげぇ悪いし。
ティアは……と視線をさ迷わせると、少し離れた所で木の根っこに座っていた。
ライは村人たちに囲まれて四苦八苦しているリルとギシュに苦笑しつつ見ながら、ティアの方に向かう。
ティアが、ライに気づいて視線を上げる。
「やぁ、久しぶり」
ライは手を上げて、ティアにそう言った。
ティアは大きく目を見開いた。
次いで、ティアは眉を寄せ、思案げに唇に指を当てて黙り込んでいる。
「ねぇ、あなた」
どこか、ぞくりと嫌な予感がした。
なぜだかは分からない。
もし上げるとしたら。
その視線が困惑に満ちたものだったから、かもしれない。
だが、困惑しているのはライの方だ。
なぜそんな、知らない人を見るような目で、
「私とどこかで会ったこと、ありましたっけ?」
「━━━━」
ライの予想の上を飛ぶ答えが、ティアの口から飛び出した。
※※※※※
そんなことはあり得ない。
あり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ないあり得ない。
ひたすら、頭のなかでどぐろを巻く『理解不能』の四文字。
「意味が、分からない……!」
ライは走った。
信愛を寄せてくれたティアに「知らない人」と言われた。
ライを、皆を守ってくれたギシュには拳を振るわれた。
リルから、あの心地よい罵声が飛ぶことはなく、ただただ冷めた目で見つめられた。
その瞳のなかに、以前培ってきた信頼は欠片たりとも見当たらない。
ライは、三人に向けて悪い冗談だと笑いながらそう言った。
しかし、それを見て三人はさらに困惑を深めるばかりだった。
理解、できなかった。
ライの事を知らないなんて、そんな事あるはずがなかった。
だって、ライは千年にも及ぶ大戦を終結させた『五種族討滅班』のリーダーで。
人間族の英雄で。
しかし今やその功績すらも、泡沫の中に消えてしまった。
村人の誰も彼もが、ライの事を知らないという。
意味がわからなかった。
走って走って走って走って。
ライは、自分の家にたどり着いた。
荒々しく扉を開けると、中には厨房でシチューを作っている母がいた。
「か、母さん、ただいまっ!な、なぁ、母さん。母さんは僕の事覚えてるよね。ら、ライ。ライだよ!」
その瞳に写るのは、この短時間で見慣れた困惑の感情。
「し、知りません。私は、あなたの事なんて知りません。いきなり転がり込んできて、ご、強盗ですか? あ、あいにくですか,我が家に大それた代物はありません。値が張るのは、精々庭で取れる野菜くらいです。ど、どうか、命だけは……ッ」
母は、ライを育てた母は、ライに向けて土下座をして命ごいをする。ライは唖然とした。
今の状況が『ライがこの世界から消えている』という状況が、不安で不安で仕方がなかった。
というより、認めれるわけがなかった。
チッ、と舌打ちを一つして、母をたたせる。
「立って!」
「な、何をするつもりですか……! や、やめて!やめてください!」
「見せてやる! あんたの息子はちゃんといるんだ! 母さんが、忘れてるだけなんだよ」
わめきたてる母の手を引いて、ライは自分の部屋の扉を開ける。
「━━━━」
あるべきはずのものが。
何もなかった。
ライが寝ていたはずのベッドも。
ライが好んで読んでいた本も。
幼いライが母に無理を言って編んでもらったぬいぐるみも。
何もなかった。
そこにあったのは、生活感のない空っぽな部屋。
「あ、あぁああ……」
絶望の声が漏れる。
認めたくない現実を。
目を反らしていた現実の。
その証拠が、言い訳の余儀ないほどにライの目の前には広がっていた。
即ち━━この世界は、『英雄ライは存在しない』ということになっている、ということに。
生きてきた軌跡すら消され、今ライの中にあるのは絶望の二文字だけ。
「うわあぁぁぁあ!!!」
近くにあった壁をライは思いっきり殴り付ける。
ジィンッと鈍い痛みが骨に響いた。
ライのその様子を見てライの母は、怯えきっている。
「━━━ッ!」
ライは母にそんな顔をさせてしまったのが恥ずかしく、窓を開けて外に飛び出た。
転がるようにして、ライは走る。
なんで? なんで僕は『いない』ことになってる?
今起こってることが夢だと信じたい。
けれど、この胸を焼くような焦燥感が決してこの現実が夢ではないことを知らせてくる。
「僕は一体、何処に来た……!?」
ここは知らない。
知らない世界だ。
がむしゃらにライは走った。
森を抜けて、走って、泥と煤だらけになって走った。
走って、逃げて、忘れたかった。
なんのために自分が戦ってきたのか、その意味すら分からなくなってしまいそうだった。
人類を守るため。そのためだったはずだ。
ライが血を吐きながら、汚泥にまみれながらも戦った理由は。
でも、今はもう守りたかった人達がいない。
同じ顔、同じ声をしているが、それはライの知る人間ではないのだ。
ガイアの言うとおり、『英雄』は死んだ。
浮遊感がライを襲う。
「━━━ッ!」
足元を見ると、闇が大きく口を開けてライを飲み込もうとしていた。ライは、聖剣に願うのは『風を操る』。
白光と共に、爆風が眼下に吹き荒れる。
その風がクッションとなって、ライは無事底で着地する。
と、その時。
ペタ、ペタと、誰かが歩いてくる気配がした。
ライは反射的に身を構える。
闇のなかから、ぼろぼろの白衣をきた少女が姿を表した。
少女は大きく目を見開いた。
そして━━━、
「英雄ライ」
と小さく呟いた。
ライは、見たことすらない少女であるのに。
最後まで読んでくださりありがとうございました!一話の練習として書いてみましたので、少しもやっとしたかも。
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