フレンチプレス 2/2
季節外れの転入生、本田萌花葉さん。
彼女と偶々、隣の席になった山崎香里。
教科書がまだ無い彼女に教科書を見せてあげると帰りにお礼をと家に誘われてしまう。
これが、コーヒーの香り纏う青春の始まりであった。
私は未だ状況を掴めずに居た……今日編入してきた本田萌花葉さん、彼女とは偶々隣の席になり教科書を見せてあげた、それだけなのに……。
「よろしければ、何かお礼がしたいので家に来て頂けませんか?」
と出会って一日目で家にお呼ばれするとは、思ってもいなかった。
しかし、正直気まずい……お互いに話題が無い……歩いて五分程らしいけど、その五分が長く感じる……何か話題をと考えていると。
「あの山崎さん……今更なのですが、コーヒーはお好きでしょうか?」
「コーヒー? えーと好きでも無ければ嫌いでも無いですかね……」
「そうですか……お嫌いでは無いのですね」
「えぇ、とは言っても試験前に頭をすっきりさせる位でしか飲みませんけど」
「すっきりさせる目的ならブラックが多いですか?」
「えぇそうですね」
「じゃあ、こだわり等はありますか? 豆の種類や酸味、苦み等のお好みは?」
「え、えーとごめんなさい、特には無いです……いつもインスタントか母が買っているドリップコーヒーを適当に飲んでいるだけですので……」
「そうですか、わかりました」
気まずい沈黙をコーヒーの問診で打ち破られたと思ったら、今度は急に真剣な表情で何かを考え始め、学校では見せなかったその表情にドキッとさせられてしまう。
一歩下がり、彼女から見えないように深呼吸をし気持ちを落ち着かせていると、彼女が立ち止まる。
「着きました、こちらが我が家になります、どうぞ」
「お、お邪魔します」
彼女の家は、スタイリッシュなブラックとブラウンの外観でカフェの様なお洒落な家で、中に上がるとコーヒーの良い香りが漂っており、内装も本当にカフェなのではと思うほど落ち着いた空間になっている。
しかし、他人の家にお邪魔することなんて今まで無かった私は、この落ち着いた空間をも無視して、落ち着かずに思わず辺りをキョロキョロ見回してしまう。
「こちらにお掛け下さい、その……お礼なのですがコーヒーをと考えているのですけれど、良かったですか?」
「は、はい」
思わず声が上ずる、そもそも教科書を見せるだけでお礼なんていらないのだけど、急に家にお呼ばれされた事にびっくりして断るのを忘れていただけとは言えない……。
「では、今から入れますね」
カウンター越しに見る彼女は、とても生き生きとした表情で準備を始めたその顔は、先程の真剣な表情とはまた違った魅了が有り、思わず見とれてしまう。
「えーと、一番新しい豆はこれだよね」
キッチンには、いくつかのコーヒー豆が瓶に入れられて、それぞれに日付が書いてあるようで彼女はその中から一番新しいのを選び、見慣れない機会に入れスイッチを押すと、機会の駆動音が部屋に響き渡りコーヒー独特の芳ばしい香りが漂ってくる。
「ごめんなさい、驚かせちゃいましたか? これはコーヒーミルなんです、豆を粉にするための道具ですね」
そうなんだ、と答えると、はい、と笑顔で返されると同時に火に掛けていた、ポットからふしゅふしゅとお湯が沸いた事を知らせる音が鳴る、彼女が火を消すと蒸気がポットの先端から勢いよく噴き出す。
「んっ? 何だかそんなに見詰められていると緊張しちゃいますね……」
「えっ! あっごめんなさい……」
「あっいえいえ、もしかしてコーヒー淹れるの興味有ります?」
「いや、その家だといつも電気ポットから直接お湯を注ぐだけだったから何だか新鮮で……ああその、お湯入れなくて良いんですか?」
「はい、少し冷めるのを待っているんです」
「どうして?」
「コーヒーを淹れるのに沸騰したてのお湯は熱過ぎるんです、なので沸騰した後こうして85℃程に下がるのを待っているんです」
「へぇ~、うちの電気ポット確かいつも98℃とかだったような……」
「98℃でしたら直接注ぐのでは無く、一度別のポットに注ぐと良いですよ、そうすることで少し温度が下がりますので」
「こんど試してみますね」
「はい、是非!」
そんなやり取りをしながらも彼女は準備を進めていく、先程挽いた豆を見たことが無いビーカー状のグラスに入れる。
「それは何ですか?」
「やっぱり見たことは無いですか、これはフレンチプレスと言うコーヒーを抽出する道具です」
「フレンチプレス?」
「はい、簡単に美味しいコーヒーを味わえる、私のお気に入りの道具なんです」
「コーヒーを入れると言うと、紙の中にコーヒー豆を入れてそこにお湯を注ぐのをイメージしてたけど……これは全然違うんですね」
「えぇ、味も大分変わりますよ」
楽しみしていて下さいと言わんばかりに彼女は微笑みながら、お湯を1/3程注ぎタイマーをセットする。
「それだけしか入れないんですか?」
「これは蒸らしているんです、蒸らす理由はコーヒー粉を膨張させお湯と接する面を増やしムラ無く抽出するためだったり、コーヒー粉を蒸らすと炭酸ガスが抜け泡が発生するのですがこの泡に雑味などを閉じ込めたり、また蒸らしの時間によっても味が変化しますので自分でお好きな味を探して見るのも楽しみの一つですね、今回はフレンチプレスなので30秒程蒸らしてみます」
「自分が今までどれだけ、適当にコーヒーを淹れていたのか良くわかりますね……」
「ま、まぁ意識して淹れてる人の方が少ないかと……あっ30秒経ちましたので残りのお湯を入れますね……この残りのお湯の入れ方なんですが……人によって様々なんですよね、全体に回しながら注いだり、壁を沿わせながら静かに注いだりと私は回しながら入れますが……」
彼女はそう呟きながら残りお湯を注ぎ棒が付いた蓋をかぶせ、ビーカーとカップをトレーに乗せ私の隣に座る。
「後は三分待つだけです、フレンチプレスの良いところは安定して抽出出来ることと豆の味をダイレクト味わえる所ですね、ただ金属のフィルターで豆を下に押し下げるだけなのでコーヒーの微粉がどうしても入ってしまうので見た目は少し濁ったコーヒーになってしまうのと、味もペーパードリップの様なクリアな味が好みの方は余り好かれないかもしれないですね……今更ですが山崎さんのお口に合うのか心配になってきました……」
何か返さなければと考えるけど、言葉が纏まらずに時間だけが過ぎていく……結局タイマーが鳴るまで何も返せず、沈黙の二文字が頭の中に浮かぶだけだった。
「では、カップに注いでっと……どうぞ山崎さん! お口に合えばよろしいのですが……」
「あ、ありがとうございます……えっと、いただきます」
タイマーを待っている間から良い香りがしていたけど、カップに注がれてからはまるで全身がコーヒーに包まれたかのような感覚に落ちる、そしてコーヒーを一口含むとそれは私の知っているコーヒーではなかった。
「あ、あの……山崎さん? やはりお口に合いませんでしたか?」
「あっ、いえ、ごめんなさい、その……上手く表現出来ないんですけど……あんまり苦く無いんですね……」
「うっ……山崎さんは苦いコーヒーがお好きでしたか……失敗しました……」
「違うんです……嫌いとかじゃ無くて、コーヒーって苦いものってイメージでしたし、実際今まで飲んできたコーヒーは苦かったので……だからこのコーヒーに驚いた感じです」
「そうでしたか、今回モカ・シダモという豆を選んでみたんです、モカ・シダモはエチオピア産の豆でして特徴としましてフルーティーな香りと酸味が強く、逆に苦みやコクは弱くサッパリとした味が特徴ですね」
「な、なるほど……確かに普段飲んでいるコーヒーより酸っぱいし香りは華やかなのは何となくですけどわかります」
「先程のフレンチプレスと同じでせっかくなので、山崎さんが普段は飲まなさそうなタイプの豆を敢えて選んでみたんです、あっ! そういえば冷蔵庫にマカロンが有るんでした、直ぐ持ってきますね!」
「あっその……私、教科書を見せただけでこんなにしていただくのは、何だか悪い気が……」
「……」
マズイ……良くわからないけれど、言葉の選択を間違えたのか急に彼女は黙り込んでしまった。
「いや、そのこんなに美味しいコーヒーを頂いたのにこれ以上お菓子までご馳走になるのは申し訳ないなーと思いまして……」
「……」
あぁ……これだから人付き合いは苦手なのだ……相手の気持ちなんて全然わからないよ……
私は、一刻もこの場から去りたく何と言って家に帰るかを考える、出来るだけ仕方ない感じを醸し出してコーヒーのお礼は明日、学校でしようと策を練っていると急に彼女が私の目の前に立ち私の両手を取る、突然の出来事に胸の心拍数が上昇していくのがわかる、彼女の顔を見ると自分でも恥ずかしいのか顔は少し赤らんでいて、口はもごもごさせていた、そして気持ちが固まったのかゆっくりと口を開く。
「実は……山崎さんにお願いがあるんです」
彼女の飲み込まれそうな瞳に淡いピンク色した瑞々しい唇、それらを纏めた端麗な顔が近くなりに、ドクンドクンと心拍数がドンドン上昇していく。
「は、はい」
「その……私と友達になっていただけませんか?」
「はい?」
「本当ですか! 嬉しい!」
真剣な表情から、繰り出された意外な言葉で思わず聞き返してしまったけど、彼女はそれを肯定と捉えてしまったらしい。
「いや、待って! 違うの今の“はい”はそういう意味じゃ無くて……」
「あっ……駄目ですか……そうですよね、こんなコーヒーの匂いが染みついた人間に友達になってと言われても困りますよね……」
一瞬、目を輝かせた彼女の目から光が無くなり、その呟きは私ではなくまるで自分に言い聞かせる様だった。その様に罪悪感がドンドン強くなり、私は遂に……。
「そうではなくて、その……私なんかで良いんですか? 私……その実はあまり人と喋るのが得意ではなくて……本当は今回も最初断ろうと思っていたんです、でも断るタイミングを見失ってしまって結局ここまで流されてしまって付いてきてしまうような人間なんです、そんな中途半端な人間なんですよ……本田さんはもっとクラスの明るい人なんかと友達になった方が絶対に良いです!」
言ってしまった……本心を……だけど思いのほか、後悔よりすっきり感が勝っていた。しかし彼女はどうか……きっと失望したに違いない……けどこれが私である、これを隠して彼女と今後接するのはお互いに良いはずが無い……だからこれで良いそう自分に言い聞かせ……再び彼女と恐る恐る目を合わせた……が彼女の反応は……。
「ぷっ、んふふふっ……」
笑われた……思いっきり……必死に堪えてるけど……。
「ごめんなさい……そ、その……んふふふっ……違うんです、山崎さんを笑ってるんじゃ無くて……んふふ……はぁ、はぁ、えっと……はぁ、何だか笑えて来ちゃって……」
それは結局私を笑ってるのでは? と思いつつ咽せる彼女の背中をさすってあげる。
「本当にごめんなさい! 私同年代の人とどう接して良いのかわからなくて……話もコーヒーの話くらいしか出来ないのですけど、山崎さんと出会った時にこの人と友人になりたいと思ってしまって……正直家に着いたあたりで、私なにやってんのかな? 思っていたんですけど、もう後にも引けなくて……」
私を家に呼んだのは思いつきだったのか……。
「それで、コーヒーを淹れながら色々考えていたんですけど、結局何も思いつかずに山崎さんがマカロンを遠慮した際に自分でも良くをわからないですけど、今だ! と思ったんですね……全然タイミング違いましたけど……」
タイミングの問題では無い気がするけど黙って置こう。
「その後、山崎さんの“違うの”で失敗してしまったと……この先どうしようと悩んでいたら、今度は山崎さんが急にあんなこと言い出すので、何だかおかしくなっちゃって、あの……山崎さん、もう一度お願いします、私と友達になっていただけませんか? 他の人なんて関係ありません、私は山崎さんと友達になりたいのです……駄目でしょうか?」
どうして私にそこまで拘るのだろう? コーヒーを淹れていたときと同じ真剣な表情で頼む彼女を見て、彼女には私なんかでは無くて、もっと良い友達を作った方が良いと思う……けど……。
「……そこまで言われたら、断れませんよ」
口は自然にその言葉を発していた、まぁ彼女が環境に慣れてくれば、きっと良い人と友達になるでしょう、それまでのつなぎとして彼女の友達でいましょう。
「……っ! 本当ですか! これからよろしくお願いします! 山崎さん」
まるで、欲しかった玩具をプレゼントされた子供の様に笑う彼女を見て、思わず私も笑ってしまった。
「こちらこそよろしくお願いします、本田さん」
「友達の記念に、マカロン如何ですか?」
「それじゃあ、戴きます」
こうして、私と本田萌花葉とのコーヒーの香り纏った青春が始まるのであった。
フレンチプレス、作中で説明していますが、補足で使う豆の粗さは粗めから中粗にすることと、洗う時の豆の処理が面倒なことですかね……ペーパーとは違って紙でポイッが出来ませんので、正直コーヒーに関して書いてることはネットで調べれば沢山出て来ますので、そちらを見た方が早いと思います。
少しでもコーヒーに興味も持ってくれる方が増えると嬉しいです。
追記:これ投稿した後、記念にフレンチプレスでコーヒー淹れようとしたら落として割れました……泣きそう……。