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第一話




「おや、岡崎先生」

 ちょうど病室から出てきた刑事と鉢合わせて、岡崎達也はゲッと身体を引いた。エリートっぽい神経質そうな男と大柄で愛想の無い男とは、何度か顔を合わせたことがあるが、どうも好きになれない。仕事上のライバルであるということ以前に、人間性としてどこか相容れぬものがあるのだろう。

「今から面会ですか」

 さっさと中に入ろうとした達也の背に声をかける。

「ええ、まあ」

「まったく、彼には困ったもんです。いい加減にしてもらわないと」

 渋い顔で言うと、銀縁の眼鏡をかけ直す。その、およそ横柄な口調と態度に、達也は自分の顔が引き攣るのを感じた。

「…その様子じゃ、今日も何も聞けなかったみたいですね。捜査、行き詰まってるんじゃありませんか」

「いや、仕事がやり辛いのはお互い様ですよ。最有力容疑者があんな調子ですから、仕方ありません」

「そうですね。あんな調子だから、本当に最有力かどうかもはっきりしませんしね」

 顔を合わせる度にこれで、冷戦といってもいい状態である。傍から見れば、いい歳の大人が大人気ない口喧嘩をしているようにしか見えない。が、本人達は至って本気で真面目に、この厭味と皮肉の応酬を繰り返している。

「未成年は起訴しても、そう重い判決は出ないでしょうからね。頑張って下さいよ、弁護士先生」

 去り際の刑事の捨て台詞に、達也は趣味の悪いスーツの背中をきつく睨みつけて見送った。

 苛立って乱暴にドアを開けると、静かにしろと言わんばかりの咎める視線が達也を迎えた。小さくなって、今度はそっと閉める。

「どうですか、村瀬くんの様子は」

「良いとは言えませんね。相変わらずです。食事を摂らないので点滴ばかりですし、放っておけば眠ろうともしない。睡眠薬を使っていますが、今のままじゃ衰弱する一方です」

 点滴の針を抜いていた医師が、手元から目を離さずに答える。その説明を聞きながら、達也は静かにベッドに近づいた。

 横たわっている彼は、話している間も音ひとつたてない。眠っているのかと思ったが目は開いていて、虚ろに天井を見つめている。度々事情聴取があるので、夜以外は薬を服用させないようにしてくれているらしい。

「村瀬くん」

「無理ですよ。先刻も警察の方が何度も呼び掛けていましたけど、返事どころか口を開きさえしませんでしたから」

 そう言われて口を噤むと、今度は顔を覗き込んでみた。もともと色白なのが、日毎に病的な青白さを増している。焦点

の合っていない眼には、至近距離にいる達也でさえも映っていないようだ。これでは眠っているのと、さして変わらない。

「参ったなー」

「刑事さんも同じことを言ってらっしゃいましたよ。何も喋らないのが犯人の証拠じゃないのかって」

 傍にいた若い看護婦が言うと、達也はぴくりと眉をしかめた。

「あンの性悪刑事が」

 吐き捨てるように言って、鞄から取り出しかけていたファイルを、諦めて元に戻す。

 中の書類には、仕事に必要な事件の詳細をまとめてあるのだが、それだけではどうにもならない。弁護士に一番必要な、依頼人自身の証言が欠けてしまっているのだから。

「やっぱり、精神鑑定してもらうか」

「こんな小さい子に、ですかぁ」

 子供好きそうな看護婦が、批難の声を上げる。精神鑑定は、場合によっては何ヶ月もかかって、その間は検査とテスト漬けの日々を送ることになる。決して印象の良いものではないだろう。

「もう高校生ですよ、彼は」

「でも村瀬くんが犯人だって決まったわけじゃないんでしょう。かわいそう」

「どっちにしろ現場に居合わせたんだから、遅かれ早かれ出廷させられることになりますよ」

 裁判所に出向く前に専門医にかかることになるなら、と言い募った達也に、医師が首を振った。

「今の村瀬くんに、カウンセリングや精神鑑定に耐えられるだけの体力はありません。出廷もまず無理でしょう」

 きっぱり言われて、達也はこめかみを指で押さえた。

「…そう言われてもですね…」

 それでは弁護の仕様がない。

「あっ、犯人探しとか」

「それは警察の仕事ですよ。テレビドラマじゃないんだから、弁護士はそんなことまでやりませんて」

 周りの人間が思っているほど格好良い仕事をしている人間なんて、そう大勢いるものではない。下手に私情が入れば弁護に支障を来たす。だからこそ必要以上に深入りしないことと身内や知り合いの弁護はしないように、というのが、暗黙の了解なのだ。



 志摩子が何本目かのビール缶を開けた。

「そんなんだから、半人前って言われんのよ。四年も広沢先生の所にいて、何の勉強してたんだか。やっぱり経験積まなきゃ駄目ねェ」

「…エラソーに。俺よりたった四年早く生まれただけじゃねェか」

 口答えした達也の頭を小気味良い音をたてて張り飛ばす。仕事が早めに終わるといつも、志摩子は達也の家に来て酒盛りを始める。恐ろしく酒好きで、大量の酒を買い込んでは、あまり飲まない達也相手にくだを巻いている。

「実際偉いわよ、私。大体、いい歳こいて仕事の好き嫌いしてるような豎子に言われたくないわ」

 元々同じ弁護士事務所の先輩だった志摩子が独立したのは二年前で、達也が志摩子の事務所に移ってからは、まだ一年も経っていない。有名な弁護士である養父の監視と庇護が嫌だった達也を、志摩子が引き抜いたのだ。

「あれは、得意不得意の問題だろ」

缶のまま、うわばみのようにアルコールを流し込む志摩子を、白い目で見ながら小声で呟く。

「やってもみないで、なんで苦手だって分かるのよ」

「民事慣れしちまってる俺が半端な弁護するより、昌輝に任せた方が絶対いいって」

「文句言わない。昌輝は今、手いっぱいなのよ」

仕事を押しつけられた時から何度も同じことを言って渋っているのに、その度にこんな具合でかわされる。

「何ていったっけ?その高校生」

「村瀬 稔」

「あーうん、それ。どうよ?あんまり上手くいってないみたいだけど」

からかうみたいに言いながら次の缶に手を伸ばす志摩子の腕を掴んで止める。いくら志摩子が笊でも、一人で帰れなくなったら困る。志摩子は不満気に達也を睨んだ。

「どうもこうも、人形相手にしてるみたいだ。仕事にならねェ」

「まあ、目の前に死体が転がってて普通でいられる高校生なんて、いるわけないか。仕方ないでしょうね」

 金田一少年とかなら別だけど、と付け加える。もしそうなら、どんなにか楽な仕事だっただろう。

 村瀬稔の通う高校で教員の遺体が発見されたのは一週間前のことだ。被害者は北沢という生物教師で、死因は頭部を強打されたことによる脳挫傷だった。凶器の花瓶の指紋は拭き取られていたが、明らかに他殺と思われる現場で遺体の傍に居たのが稔だったのだ。それも、気を失っていたわけではなく、茫然自失の状態で。

「でも、ただ目撃しただけの反応にしては、過剰なのは確かよ」

 志摩子の言う通り、あれではまるで稔の方が被害者だ。

「じゃあ、やっぱり村瀬が犯人なのか?…とても人殺せる奴とは思えなかったけど」

「分かんないわよ。最近の若い子は」

 オバサンな発言を指摘しかけて、達也は慌てて話題を変えた。

「とにかく、やってるかやってないかだけでもはっきりさせとかないとな」

 それでなくても弁護士になってから担当したのは全て民事訴訟だったのに、刑事事件での初仕事がこれだ。仏頂面になった達也の頬を志摩子がぎゅうっと思いっきり抓る。いつ持って来たのか、350ml缶を片手に二本も持っている。まだ飲むつもりだ。

「だぁから、アンタは未熟だって言ってんのよぅ。それくらい自分で判断しなさい。そんなんじゃ勝てる裁判も勝てなくなるわよぉ?」

 いい加減酔いが回ってきたのか、ろれつが怪しくなってきた志摩子を達也はうるさいと怒鳴りつけて今開けたばかりの缶を取り上げた。

「…おい、もう止めとけよ。おまえ、目ェすわってるぞ。帰れなくなったって知らないからな」

「じゃー泊めて?」

「帰りやがれドアホ。…明日も仕事、あるんだろ」

 追い立てるように肩を叩くと、志摩子は不機嫌そうに立ち上がる。達也は短く嘆息すると、志摩子の背中を押して玄関まで連れて行った。

「寝る前にちゃんと薬、飲みなさいよ」

「分かってるって。…俺は子供かい」



 村瀬稔が通っていた高校は、最寄りの駅から歩いて五分とかからない私立の男子校だ。達也が稔の弁護士だと言うと、すんなり校内を案内してもらえることになった。事件直後にも来たが、やはり部外者を一人でうろつかせるわけにはいかないらしい。日曜で、部室のない校舎内に生徒が少ない。

 一見、気難しそうな秋吉という教師は、事件について尋ねるとショックを隠しきれないといった様子で溜め息をついた。

「村瀬くんは私が受け持っているクラスの生徒なんです。明るくてクラスの人気者で、クラスのちょっとした雑用なんかも頼まれてくれたり。本当に良い生徒なんです。彼が北沢先生を殺すはずがありません」

 廊下を先に立って歩いていた秋吉が途中で足を止める。そして廊下の突き当たりを指差した。

「あそこが図書室です。村瀬くんは図書委員だったので、よくここでいるのを見かけましたよ」

「へぇ。…委員の仕事って、どんなことするんですか」

 学生時代の達也は図書室や教科書以外の本とは縁遠い生活をしていたせいか、思い当たるものがない。

「主に図書の整理と、貸し出し返却の管理です。でも、よく放課後まで残って図書室の掃除をしていましたから」

「…じゃあ、事件の日も、それで遅くなったとか?」

「さあ、私には分かりません。司書の先生なら分かったかもしれませんけど、その日はちょうど図書の買出しに行っていて」

 休日だから図書室は開いていない。仕方なく、そのまま現場に案内してもらうことにした。

図書室とは反対方向に続いている渡り廊下を通って来た別校舎からは、グラウンドの様子が一望できる。私立だけあって、校舎の造りも敷地の広さも公立とは比べものにならない。

「この辺りです」

 “1-3”という札のかかった教室の前で止まると、秋吉は開けっ放しにしてあった入り口辺りを指し示した。廊下から教室の中にかけて、チョークの白い粉が不自然に擦られている。警察が現場検証をした跡だろう。

「これは北沢って先生のですよね」

 稔が倒れていた跡は、窓際の壁に凭れるように付けられていた。北沢からはかなり離れている。

 警察が言うように本当に稔が犯人なのだとしたら、北沢を殺した後、何故逃げなかったのか。現場の状況を見る限りでは、逃げようと思えば逃げられたはずなのに、わざわざドアから離れている。警察は、殺してしまったショックから動けなくなったのだろうと言っているが、衝動的な犯行なら凶器に残った指紋にまで気が回るだろうか。病院にいる稔が演技でもしていない限り、後から拭き取ったとは考えられない。第一、北沢を殺す動機もない。

「北沢先生は、何か人に恨まれたり嫌われたりしていたんですか?」

「そのことなら警察も聞いて回っていたようですが、勿論そんな事実はありませんでした。…ただ、北沢先生は正義感が強すぎて、一部の生徒からは疎まれていたところもありましたけど…、殺されるほど嫌われていたとは考えられません」

 きっぱりと断言する。学校内で厄介事が起こった時の、典型的な反応だ。積極的に協力しているフリをして、一番触れられたくない所から遠ざけようとする。よくあることで、それが事件に関係無い事なら暴くつもりはさらさら無かった。



 学校に寄ってからで、そう早く来たわけでもないのに、事務所には事務員のひとみしかいなかった。入ってきた達也に気付くと、人懐こい笑顔を向ける。

「あ、おはようございます」

「おはよう。…ひとみちゃんだけ?」

「いえ、昌輝さんは裁判所です。所長なら来るなり所長室に篭っちゃいましたけど」

 節操なく置かれた鉢植えに水をやりながら奥の部屋を示す。志摩子が、自分ではろくに世話もしないくせに次から次へと観葉植物ばかり買ってくるから、ひとみが代わりに育てているのだ。

「お疲れみたいだから、そっとしておいた方が良いんじゃないですか」

「あー、心配しなくていいよ。コーヒーだけ淹れてやってくれる?あれじゃ仕事にならないだろうから」

 所長室に入った達也は、広いデスクで突っ伏している志摩子を見つけた。ブラインドが下りたままで、部屋はかなり暗い。来てすぐにお休みしてしまったらしい。

「お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す、所長」

 わざと耳元で大声を出すと、志摩子が青い顔を上げた。

「〜っ止めてちょうだい。疲れてるのよ、私」

「ふざけんな、酔っ払いが」

 こめかみを押さえる志摩子の顔面に書類を突きつけて、ブラインドを上げる。大分高くなった陽光が差し込んだ。窓の外は高層ビルが立ち並んでいるだけで、空気もどこか澱んで見える。

 頭痛に顔をしかめながら、志摩子が書面に目を通す。

「…嫌ね。これじゃ、村瀬くん以外に犯人はいませんって言っているようなものよ」

 志摩子の言う通り、状況からしてもこのまま起訴されたら勝てないかもしれない。まあ、起訴されるとしてもいつになることやらという気もするが。

「うーん、そうなんだよな」

「じゃあ、諦めて情状酌量の方で頑張る?未成年だし本人もアレだから、少年院には行かないで済むでしょうね。責任能力があったかどうかも問題だけど」

 ひとみが持ってきたコーヒーで少しは目が覚めたのか、弁護士らしい口調になる。複雑な表情を浮かべた達也は、志摩子から目線を外した。

「…動機が、ない。それに…なんかピンと来ない」

 口篭る達也に、志摩子はやれやれと言わんばかりに溜め息をついた。

「よくあることよ。彼のこと、信じたいのは分かるけど下手に同情すると公判でミスするわ」

「違う、同情なんか」

 現場は“1-3”の教室だった。最初は稔の教室がそこなのだと思っていたけれど、実際は一階上の“1-6”で、鞄も自分の席に置きっ放しだった。どうして教室を間違えたりしたのだろう。

「いいわよ、好きにやりなさい。でも、無理はしないこと」

「分かってる」

「だったらいいけど。暴走して村瀬くんの公判、不利にしたくないでしょう」

「どう転んだって、今以上不利にはならねェよ」

 ドアに手をかけた達也の背に、志摩子が悪戯っぽく声をかけた。

「あなたがこんなに情の移り易い人だとは思わなかったわ」

 達也は振り向いて小さく「アホか」と呟くと、乱暴にドアを閉める。その頭に響く音に志摩子は大仰に肩を竦めた。大きな音に驚いたひとみが、出てきた達也を凝視している。

「…どうしたんですか」

「いや、どうもしないよ。あいつなら全然大丈夫だから。ただの二日酔い、胃薬でも渡してやってくれればいいから」

「分かりました」

 常備薬の置いてある戸棚を探っていたひとみは、達也が上着を持つのを目に留めた。

「あら、めずらしい。もうお昼なのに、どこか行かれるんですか?」

 太陽の光が苦手な達也は、陽が高いうちは外に出ないでデスクワークばかりしている。裁判以外で外に出る時は、決まって陽が傾きかけてからだった。

「病院」

「融けないように、気をつけて下さいね」

 ひとみの言葉に、達也は吸血鬼じゃないんだから、とぼやいて後ろ手に手を振った。




5月17日 レイアウト変更

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