第九十話 渚のち○こバット太郎再び
その間も外のハプニングは加速していき、ドタバタと走り回る音や、
「そっちを掴め!」
「クソ、もう隔離室はいっぱいだぞ! どうすんだよ!?」
「早く当直医を呼べ!」
という看護師の叫び声がひっきりなしに病棟中を駆け巡っていた。
「あの豚女も時々ああなりますよね。確か二週間前もトチ狂って、いきなり奥村さんに向かって突進してきたんですよ、ア○ルビーズ!」
「二週間前か……ちょうど俺が砂浜でストリーキングやってお縄になった頃だな」
深夜のためか、俺はつい口を滑らせてしまった。
「えっ、そんな凄いことやらかしたんですか、砂浜さん。あなたは絶対こちら側の人間だと睨んでいたんですよ、青い珊瑚礁!」
「違うって! その時は記憶を失くしたばかりで、わけもわからず彷徨っていたんだよ!」
「そ、そうだったんですか。僕の勘もにぶりましたかね。あなたからは同類の匂いを嗅ぎ取ったんですが……堕落の国のアンジー!」
とかなんとか言い合っているうちに、ようやく室外の嵐は収まった様子で、物音はぱたりと途絶え、沈黙が古い友達のように居座りだした。
「それにしても奥村さんはどこへランナウェイしたんですか、セイラ・マス?」
「さっきトイレに行くって言って出かけたけど、まだ帰ってこないな。下痢ピーかなんかかな?」
俺たちは闇の中、まんじりともせず彼を待ったが、一向に帰ってくる気配はなかった。
午前零時五十分。
「さすがに遅いですね……ハンドポンプ!」
「下痢が長引いているんじゃないの? 動いても、どうせ第二弾が来るので、面倒だから座りっぱなしなだけなんじゃ……」
寝つけなくなってしまった俺たちは、寝そべりながらだらだらと会話を続けていた。
「でも、いつもの夜十二時の見廻りも今日は来なかったですし、ずっといないのが一時の見廻りの時にばれたら、僕たちも面倒事に巻き込まれるかもしれませんよ、ジョン・K・ぺー太!」
「仕方がないな、どっちかが様子を見に行くか?」
「ア○ルじゃんけんで決めませんか? お互いの肛門に手を突っ込み合い、相手の手の形を予想して勝負するという、インディアンポーカー並みの高度な心理戦や駆け引きが楽しめるゲームですよ、ア○ル・クリスティン!」
「嫌だよ、そんなパー出しただけで相手の命にかかわるじゃんけん! それやるくらいだったら俺が行くわ!」
「頼みましたよ、渚のち○こバット太郎さん!」
「なんでその名前知ってんだよ!? じゃあ俺の全裸股間蹴り事件も知ってたってことかよ!?」
「そこまで知りませんよ! 高峰先生が時々あなたのことをこっそりそう呼んでいたんですよ、秘技卍ハーケンクロス!」
「あのおっぱい野郎! 胸は重いくせに口は軽いな!」
「で、結局どうします? じゃんけんしますか、渚のチンピクメスイキアクメ太郎さん?」
「そんな名前じゃなかっただろさっき! いいよ、どうせ近いし俺が行ってくるよ!」
というわけで、半ばやけっぱちで俺は部屋を抜け出し男子トイレへと向かった。
といっても便所はそれほど遠くなく、別に行く分にはそんなに苦ではない。しかし小便用のところには誰もおらず、一つしかない大便用の個室は「使用中」の赤文字が表示され、どんどんとノックするも、まったく反応がなかった。
「弱ったな、ひょっとして中で眠っちゃったのか?」
俺は、昨日の、彼の寝つきの良さを思い出した。ゆすってもさすっても叩いても乳首をつねっても(嘘)目を覚まさなかった彼のことだ、一旦夢路に旅立ったなら、この程度では起きるはずもないだろう。
ただ、今晩はすぐに眠らず、ずっと隣でもぞもぞしていたのが、少し気にかかるが……まあ、そういう日もあるのかもしれん。
とにかくそろそろ看護師が見廻りに来る時間だし、部屋にいないと俺まで不眠症扱いになってしまう。
どうも聞くところによると、看護師は細かく看護日誌を付け、睡眠時間が短い者はその都度主治医に報告され、睡眠薬が増量されたり、退院が遅れる可能性まであるとのこと。そいつはさすがに勘弁だ。
「やれやれ、仕方がないな」
ここはひとつ、一肌脱ぐしかあるまい。俺は意を決すと、個室のドアの上部によいしょっと両手で掴まり、懸垂の要領で身体全体を押し上げ、首をトイレの天井に思い切り近付け、中を覗き込んだ。
俺は、この時そんな行動をとらなければよかったと、その後つくづく後悔する羽目になった。
師匠の残酷な予言は成就したのだ。