第八十九話 真紅の少年伝説って黄金聖闘士裏切りまくっても聖衣脱げないよね(特にカニと魚)
「思羽香さん、一体どうしちゃったんですかねぇ、砂浜さん? おんな村いんぶビーチ!」
「さぁ、俺にもさっぱりわからないけど……午前中、作業療法室で会った時は、全然普通だったんだが……」
食事もそこそこに自室に戻ってきた俺たちは、先程の衝撃から抜け切れず、各々のベッドに腰掛け、思羽香師匠のことを話し合っていた。
デイルームの方からは、最早病棟中に拡散したカレーの強烈な芳香が鼻腔を刺激し続け、嗅覚が半分麻痺している。正直当分カレーは口にしたくない。
「奥村さんはどう思われます? キンタマーニ!」
篠原が奥村に話しかけるも、意外にも彼の反応は冷めていた。
「どうしたんだろうねぇ……」
興味無さげにぽつんと答えたきり、またイラストをずっと描き続けている。いつもだったら師匠のことになると、すぐ首を突っ込んでくるくせに、なにやら上の空といった感じだ。
「ひょっとして抗うつ薬でも処方されたんじゃないですか? あれ飲んだら気分が跳ね上がって躁状態になって暴走しちゃう人がたまにいますよ、レインボーブリッジ!」
「えっ、そうなんですか?」
薬に疎い俺は、驚いた。抗うつ薬なんて、名前からして飲んだら気持ちが楽になりそうないい薬だぐらいにしか思っていなかったのだ。
「確か、米国の大量殺人犯が使用していたとか、昔ニュースで言ってましたよ。僕も、一時期飲んでいたことがあるんですけど、やけにテンション上がっちゃうことがあったんで中止になったんで、よく覚えているんです、トロマンカポーティ!」
ただでさえテンション高めの彼は、今日は、「性転換」と大書された扇子を使用している。一体いくつ作ったんだ?
「へぇー、薬ってのはおっかないもんですね」
俺は、素直に相槌を打った。そもそも自分が何を飲んでるのかすら知らないけど、今度師匠にでも聞いてみよう……って、しばらく会うことは出来ないのか。
「しかしアベルを殺した罪深きカインって、何のことだと思います、奥村さん? 食ザーの王国!」
「アベルって確か、聖闘士星矢映画版に出てきた敵のボスだろ? それを倒した聖闘士って誰だか覚えてないけど、そいつの名前じゃね? やっぱ神様倒しちゃ駄目だろ」
「ああ、確かサガの双子の弟で、そんな名前の奴いましたよね……ってそれはカノンですよ、レズビアン兄弟!」
だんだん二人の会話が意味不明になってきたが、これについては俺もよく知らないので、突っ込みようがなかった。
夜十一時半。
「ん……」
隣のベッドから響く、古紙が擦れ合うようながさごそという物音で、俺は安眠を破られた。
「なんだ……うるさいな」
寝返りついでに薄目を開けて横をちら見すると、妄想画伯が何やら探し物をしている様子だ。
「どうしたんですが、こんな夜中に?」
俺が周囲を起こさないよう小声で尋ねると、「おお、起こしちまったか、すまんすまん」と謝りつつも、迷惑極まりない捜索活動をやめない。
だがそのうち、「あったぞ!」と小さく叫ぶと、彼は何かの紙切れを引っ掴み、「じゃあ、ちょっくらトイレに行ってくる」と言い残し、そそくさと部屋を抜け出していった。
何故便所に行くのに便所紙以外の紙がいるのか理解できなかったが、元からファンタジーという名の棺桶に両足とも突っ込んでいる男なので、まあ深く考えても無駄だろうと思い、瞼を閉じて目元を指圧しながら、心の中で、「淫夢見ろー、淫夢見ろー」と唱え続けた。
昨日篠原に教わった、淫夢を見やすくするための方法だ。
「『真夏の夜の淫夢』って唱えると、更に効果がアップしますよ、アッー!」とかぬかしていたのがちょっと引っかかるが。
しかし十分も経たないうちに、「おとこおおおおおおおお!」という絶叫が病棟中に木魂し、俺は嫌々ながらも、遥かなるドリームランドからニャルなんとかさんに摘み出されてしまった。
「まーたあの豚女ですか? レディボイス!」
先程までぷいよぷいよ寝息を立てて、寝言で「下北沢暴力団員殺害事件……ムニャムニャ」とか呟いていた、人のことを豚というお前自身はどうなんだと突っ込みたくなる饅頭野郎が、臥床したまま文句を言う。
「もふ、朝は……?」
清水老までもがもぞもぞと起き上がると、闇の中を、トカゲのように這いつくばりながら俺のベッドまでたどり着き、ピンポイントで俺のマイサンに手を伸ばす。何故!?
「ありゃー、こりゃちょっと調教し過ぎちゃいましたかね、瞳調教師2ジーコ!」
「おい、寝転がってないでこの爺引きはがすの手伝って! ものすごく腕力強いんですけど!」
「仕方がないですね、ほら清水さん、剣鬼喇嘛仏!」
面倒くさそうに起き上がった篠豚が、隣のベッドのナイトテーブルから、俺たちが苦労して糞を除去した阿弥陀如来立像を掴み取ると、飼い犬にフリスビーを投げるがごとく、爺さんに向かって抛りつける。
「はぐっ! 阿頼耶識!」
見事爺様は、口で暗黒の塗仏をキャッチすると、大人しく自分のベッドに戻り、大事そうに抱えたまま、丁寧にピチャピチャと舐めだした。おぇ。
「しかし、よく暗闇でち○この場所がわかるもんだな」
「最初は蛍光塗料を塗って誘導していたんですよ。今じゃ、臭いですぐわかるようになったんです、サランラップフ○ラ!」
「あんた酷過ぎるよ、もうやめてあげて!」
俺は吐き気を堪えながらも絶叫した。