第六十二話 ファザリング・マザリング・ボイス
朝、浅いレム睡眠の中、複数の女性が俺のち○こを奪い合おうと争っている、まるでヤングチャン○オン烈に出てきそうな淫夢なんか見ちゃってにやけているところを、実際にち○こに噛みつかれ、激痛で目覚める。
マイジュニアを労わりつつ、寝ぼけ眼で朝食のパンを用意すると、悪ガキに必ず俺の分までバンディットされ、泣く泣く水だけで朝飯を済ませる。
その後、嫌がるのをなだめすかして小便をさせようと娘をトイレに連れて行こうとするも、狭いアパート内を脱兎の如く駆け巡って逃げ回ったあげく、遂に我慢しきれず漏らしてしまう。
溜め息を吐きながら後片付けをしようと屈んだところを、何故か後頭部に恐竜図鑑を叩き付けられ、軽い脳震盪を起こして一瞬亡くなった妻と再会するも、何とか意識を取り戻し、涙を堪えて床に雑巾をかける。
とか何とかしているうちに早くも正午が近付いたため、ベビーチェアに無理矢理拘束し、「たかいたかいだぁっ!」の録画に集中させている間に、急いで米を研いでジャーのスイッチを押し、クックパッドの幼児食レシピのプリントアウト用紙片手に何やらよく分からない野菜の煮物を速攻で作り、
「女将を呼べッ! シャッキリポン! じゃあ死ねよ!」と初期の海原雄山の如く暴れまくり食事拒否する娘に、デザートのヨーグルトをちらつかせたり、「ア○パンマン」もついでに見せつつ何とか全て口に押し込む。
そういや最近幼児向けアニメしか見ることがなく、今期の新作アニメをチェックしなくなって大分経ち、ちょっと切ない。
だが、在宅アニメ評論家の竜胆少年にお勧めを尋ねても、
「今回もどこぞの童貞主人公がどこぞの学校に入ったらどこぞのお嬢様に因縁フッ掛けられてホイホイ決闘することになっちゃってついつい勝っちゃって相手は即落ちしてあとは何故か女子と相部屋になって裸見たり見られたり同衾したり乳揉んだりなんだりしたりそこを何故か別の女子に見られたりなんだりしてそのついでに何だかよく分からない敵とちょろっと戦ったりするお話ですし、あんなもん見るだけ時間の無駄ですよ」
という冷めきったお返事しか返ってこない。
「いいんだよそれでも! 俺は乳とか尻とかが最新の美麗なアニメイションでリズミカルに揺れまくっているのを観賞するだけで、セルフバーニングなんだよ!
話なんかテンプレで十分でむしろ邪魔なくらいで、ハーレム要員がうっかり全滅したりしなければ、それで十分なんだよ!」
と文句を言うと、
「それじゃリョナがないでしょッ! 多過ぎるハーレムキャラはいずれ重力崩壊を起こし、主人公を圧壊するのみです。
だから全滅ENDは非常に理にかなっていると思いますよ。
そんなことより僕と師匠が最近ハマっている、自作の四肢欠損キャラ最大トーナメントカードゲームを一緒にしませんか?
今んとこ加藤鳴海と地虫十兵衛が強過ぎるんで、新キャラ投入しようと思うんですが、バルガス医師を認めるかどうかで意見が割れて……」
と妄言を垂れ流しだすため、黙って携帯を切る羽目になってしまう。
そうこうするうちに日も少し陰ってきたため、まったく昼寝しようとしない娘に振り回されつつも、絵本を読んだり人形遊びをしたり一発芸を披露したりしつつ、暴れさくるのを捕まえ、何とか寝巻を引っぺがして外着に着替えさせ、近所の公園までお散歩に出かける。
休日は子連れの父親が多いので心強いけれど、平日は母親同伴ばかりで嫌気がさすが、ポーカーフェイスでやり過ごし、砂場で泥まみれになっている彼女を、ブランコを漕ぎつつ見守ってやる。
不審者と間違えられることもあるので、時々声をかけてやるのがミソだ。
十分体力を消耗させたところで買い物などしつつ帰宅し、昼の残り物を温めて、再びテレビの力を借りつつ喉に流し込む。
そして風呂に連れて行き三十分程度湯船で一緒に遊び、湯あたりしそうになるのを堪えつつ全身を洗ってやり、一緒に風呂から出て自分のは後回しで身体を拭いてやり、歯も磨いてやり、ベッドに連れ込んで昔話を三つぐらいしてやり、ついでに歌も五曲ばかり歌ってやると、ようやく可愛い寝息が聞こえ出す。
その頃には俺も体力の限界を覚え、「汚れ物を洗濯しなければ……」と思いつつも、睡魔には抗えず、共倒れとなる。
しかし、夜中に、「ママーっ! 何でいないの!? ママーっ!」という、哀切極まる泣き声で目覚めることも、多々ある。
眠い目を擦りつつも、慌てて飛び起きると、可哀そうに、愛する娘は普段の豪胆さは欠片もなく、小さい身体を震わせ、身も世もなく、延々としゃくり上げていた。
無理もない。まだ二歳にもなっていないのに、大好きなお母さんをいきなり無残にも奪い去られたのだ。
いくら俺が献身的に尽くしたところで、とても全存在を代わってあげられるとは思えない。
俺だって泣きたいくらいだ。
だが、だからといって亡き妻を天界から呼び戻すことは出来ない。
そんなとき、俺は優しく娘を抱きしめ、精一杯裏声を駆使していわゆるマザリング・ボイスを発声しつつ、面白おかしくあの歌を歌ってやるのだった。
もう、そんなささやかな日常に戻ることすら出来ないのか……。
『あきらめるな砂浜太郎! 忘れたのか、もう一人、エンジェルズ・エプロンを展開出来る者がここにいることを!』
絶望の淵に佇んでいた俺に、力強い檄を飛ばす人がいた。
俺は、司令の声に、地獄の底に、光り輝く黄金色の蜘蛛の糸が垂れ下がるのをはっきりと見た。