第四話 スカイ・グロオヤジら
「ちょ、ちょっとちょっとちょっとちょっとーっ!」
「キャハハハハハ!」
周囲の景色が百キロ以上のスピードで飛び去って行くさまは、花音が面白がっているように、確かに多少の爽快感はあったが、昼間の街中の県道でやるべきことではない。
前方の車を追い越し、全ての赤信号を無視し、ハイエースは白い弾丸となった。
確かに俺も、高速道路を運転中に右手を外に出して水平にし、「これが揚力ってやつか……」と航空力学を実感したり、更に右手をワキワキし、「これがおっぱいを揉んでる感触か……」と馬鹿な真似をしたことは少なからずあった。
だからって、いくらなんでも人間もどきがこの程度のスピードで、いや、例えマッハで走ったとしても、構造上空を飛ぶとは思えないんですが……。
「すまんな、OBSはタキシング機能すらないもんで、離陸の際にはこうやってやるしかないんだ」
「物理的に不可能だと思いますが……垂直離陸とか出来ないんですか!?」
「現在開発中だが、多分凄まじい下痢便で周囲を汚染することになるだろうな」
「ごめんなさいもうそれ以上聞きたくないんで許して下さい」
「見ろ、そろそろショゥタイムだ」
消防車を追い越しながら、ラリったドライバーが左手で進路前方を指差す。
なんと、そこには信じられない光景が広がっていた。
「と、飛んでる!」
「ひこーき! ひこーき!」
両手を肩と水平に真っ直ぐ伸ばし、膝から下を垂直に折り曲げたOBSが、ハイエースとほぼ同じ速度で車より数メートル先を低空飛行していた。
全身の脂肪が邪魔して、背中の上はよく見えないが、OBSとは明らかに別人の両脚が、白いソックスの両脇からだらりと垂れ下がっているところを見ると、羊女は上に乗っかったままなのだろう。
ほぼ全裸の男二人のタンデム飛行……俺が警察官だったら見つけ次第迷わず発砲しているだろう。
「ど……どうやって飛んでるんだ?」
「両手が主翼、両下肢が尾翼の役割を果たし、OBSは飛行を行っている。
原理は飛行機とほぼ一緒だ」
「いやその理論はおかしい!
揚力圧倒的に足りないしエンジンどうしてんの!?」
「いちいち細かいことを気にする男だな。
OBSはそもそも内部構造が通常の人間とは大きく異なり、ああ見えて体重は結構軽い。
例えばファンタジーによく出てくるドラゴンだが、あんな大きな生物が現実の世界で空を飛べると思うか?」
「えっ?」
司令の話が突如明後日の方向にすっ飛んで行ったが、俺は深呼吸して考えた。
「……まあ、無理でしょうね」
「そうだな。だが大気圧が高い世界でなら、あの巨体を宙に浮かせることは可能だろう。
つまりファンタジー世界の生物をこちらの世界に連れてきたら、大気圧の関係上、陸に上がったフグの如く、身体が膨れ上がるとは思わんかね?」
俺はゴム毬みたいな体形になったドラゴンを想像した。
ちょっと可愛いくてペットにしたいぐらいだ。
そういやこの前花音のために恐竜の本を買ったが、それによると白亜紀の二酸化炭素濃度は現在よりも遥かに高く、よって大気圧も高かったため、巨大な翼竜が空を滑空出来たと書いてあった。
「なんか無理矢理な理論ですが、一応そうなるでしょうね。
魔力とか関係ないなら」
「だろう? だからOBSは皆ころころと丸く太っている訳だ」
「それって牽強付会って言いません?」
「いや、見事な三段論法だ」
うるせえ屁理屈オヤジ。
俺は心中イラッときた。
「じゃあこの三段腹どもはどこぞのファンタジー世界からこちらの現実世界にやってきたってことですか?
一体何しに来たって言うんですか?」
「だから言っただろう、エロンゲーションを滅ぼすためだ」
「あのさっきのおっぱいおばけを?」
俺は前方に視線を戻した。
羊女を背中に乗せたOBSはいつの間にか空高く急上昇し、小さくなっている。
この初夏の陽気でもうすら寒そうな光景だ。
その時、どこかで何かが倒れるような轟音が響き渡った。
車体が大きく揺れ、俺は座席に押しつけられた。
「うわわわわっ!」
「ぎゅむっ!」
花音が俺にしがみついてくる。
危ない危ない。
「チッ、もう追いついてきやがった!」
ハンドルを握る司令が舌打ちをする。
「よし、次はあんたの番だ!」
「絶対嫌だ! もうすでに一人出撃してるじゃないですか!」
「敵を舐めてはいかん。
一体だけで都市を一つ壊滅させるだけの能力があるぞ。
早く倒さないと被害が増える一方だ」
「うっ」
そう言われると、再び悪夢のような炎のシーンが即座に眼前に再生され、俺は胸を抑えた。
俺はあの時大切な人を守ることが出来なかった。
時間はそこで凍ったように止まり、あの日以来ずっと俺は、臍をかむような気持ちで何とか生きている。
花音の存在がなければとっくの昔に自ら命を絶っていたかもしれない。
ぐるぐると同じところを回転する思考の渦の中でいつも考えることはただ一つ。
もう少し俺に力があれば……。
しかし、
「だったらあなたが自ら行けばいいじゃないですか!」
「そうしたいのは山々だが、私ではOBSを操縦することができんのだ。
先程羊女がしたように、OBSに口づけして起動させられる者だけが操縦可能なのだ。
お前はその資格を持っている」
「何でわかるんですか?」
「実はこのヘルメットはレインボー・システムと呼ばれる拡張現実兼情報端末装置となっていてな、いわゆる一種のARなんだよ。
これによるとお前はOBSとの潜在的シンパシー・レイシオが極めて高いと表示されておる。
ものは試しだ、一発ぶちゅーっとかましてこい!」
「やっぱ嫌だ! どうせキスするなら脂肪漢よりも美少女の方がいい!」
「男は度胸! なんでもためしてみるのさ」
「やかましい! そもそもあのエロンゲーションとかいう化け物はどこから来て、なんで襲ってくるんだよ!?
そしてOBSは、なんであれに対抗出来るんだよ!?」
「先程から色々話したと思うが、エロンゲーションもOBSも、どちらもいわゆる異世界からこちらの世界に来たものなのだ。
これ以上詳しく説明している時間は無い。
さて、どうする? このまま何もせずにくたばるか?」
「……」
俺は激しく懊悩した。
異世界云々はとてもすぐに受け入れられる話ではなかったが、現に怪物の攻撃は徐々に迫っているし、逃げ続けられる保証は無い。
そして、俺一人だけならいっそこのまま塵芥と化してあいつの待つあの世とやらに逝ってもいいが、ここには花音が一緒にいる。
彼女を置いて一人死ぬわけにはいかない。
迷っている時間もあまりない。
「……わかった、やってみますよ。
とっても嫌ですけど、四の五の言ってられませんしね」
遂に俺は苦渋の決断を下した。
「おお、やってくれるか!」
「その代わりといってはなんですが、娘の花音のことはよろしく頼みますよ」
「嫌だ! パパ! 行くな! 死ね! 処刑! 花音も行く!」
急に花音が火がついたように叫び、俺の脛を蹴りつける。とても痛い。
「そうだな、いっそ娘さんもOBSに一緒に乗せたらどうだ?」
司令が突然恐ろしいことをのたまう。
「んなこと出来るわけないでしょう! 即死にますよ!」
「少なくとも、ここにいるよりは、死ぬ可能性は低いと思うぞ。
OBSにはバリア的機能も備わっておるしな」
「えっ、そうなの?」
「一蓮托生! 因果応報! 比翼連理!」
俺のスラックスを固く握り、花音が眼に涙を浮かべて絶叫する。
こうなったら、彼女の望みを叶えない限り、意地でも離さないだろう。
「……わかったよ、花音。
一緒に戦って母さんの敵を打とう。
お前のことは俺が絶対守るから」
「パパ!」
泣いたまま彼女は満面の笑みを浮かべ、全力で俺に抱きついた。