第四十一話 タランチュラ女のキス
「ショッカー怪人第一号! 蜘蛛男ですが、何か?」
花音が言う通り、その怪人物(明らかに男と思われる)は、何と巨大なリアルな蜘蛛を、すっぽり頭から被っていた。
全体的に黒い毛で覆われているが、脚の関節にのみ朱色の毛が生えており、毒々しい縞模様を構成している。
「初めまして。私はここ『オカマSM倶楽部・触りパーク』の主人、タランチュラ女でございます。以後、お見知りおきを」
謎の蜘蛛男は、車椅子に座ったまま、ドレスの裾を手で持ち上げる優雅な仕草で挨拶をした。
呆気にとられた俺は、ただ、「はぁ」とのみ答えた。
「もしかして、貴方様が砂浜太郎様であらせられますか?」
「はぁ、そうですが……」
えらく仰々しい話し方に、俺はやや気圧されていた。
「やっぱり……」
タランチュラ女とやらは、俺を真っ直ぐに(多分)見据え、意味深に呟いた。
「ど、どういうことですか?」
「かねがね、私の子供の羊女から、お噂は伺っております。
なんでも優秀な探偵さんで、パイロットもされておられるんですってね」
「いや、そんな、優秀だなんて……ハハハ、ってあんた羊女のおかあ、じゃなかったお父さんなの!?」
俺は急に家庭訪問にお邪魔した担当教師になった気分に襲われた。嫌だよこんな家族!
「ええ、但し義理の親でございます。実は……」
「おっと、そこから先はあたしが話すわ、太郎ちゃん」
それまで黙っていた羊女が、片手でタランチュラ女を制すると、やや真面目な声色になった。
「あたしが今日太郎ちゃんをわざわざここに呼んだのは、あたしの過去を話し、太郎ちゃんに聞いてほしいからでもあるの。
あなたとあたしは、非常に共通点が多いのよ」
「えっ……?」
ちょっと動揺した俺は、なんか最近これとよく似た展開があったことを思い出した。
「あたしと高峰先生が知り合いだということは知っているわよね?
何故なら、あたしもあなたと同じ、記憶喪失者で、それで先生の外来に一時期かかっていたからなのよ」
「……!」
あまりの衝撃に言葉を失くした俺は、彼の四角い瞳孔の奥を凝視した。
とてつもなく嫌な予感が足元から生じ、ざわざわと俺の皮膚を這い上がっていく。
ということは、ひょっとして、彼もまた……。
「あたしは十年前、記憶を失くして砂浜を彷徨っているところを、この人……あたしはママって呼んでいるんだけど、つまりタランチュラ女に拾われたの。あなたと同じなのよ」
喋りながら、羊女はゆっくりとマスクを外す。
その顔は、いつものように厚化粧をしておらず、いわゆるすっぴんのままだった。
意外にも、その顔はよく見知ったものだった。
毎朝俺が目にする顔。鏡の中で―。
「ああああああああああああああああああーっ!」
溶けた硫黄を口から飲まされた罪人の如く、俺は拷問部屋で絶叫し、気を失った。
俺は、夢を見ていた。
何処ともしれぬ、曇り空の下の砂浜に、四人の裸の男が呆然と突っ立っている。
その年齢は様々だが、よくよく見ると、その容姿は似通っているところがあった。
もっとも年齢が近い者同士を見比べないと分からない程度ではあったが。
そしてその中の一人は、紛れもなく、俺であった。
死んだ魚のような虚ろな目をした俺は、果てしない海の先を眺めている。
そこには、非常に幻想的な光景が広がっていた。
大海原の向こうから、蜃気楼のように、何者かが徐々に姿を現す。
それは巨大な人影だった。
拡張された裸の女性。あまりにも遠過ぎて、その顔まではよく分からないが、おぼろげながら見覚えがあるような気がした。
「拡張……エロンゲーション」
それが誰の台詞だったのかは、分からない。
「パパ! 起きろ! ご飯だよ!」
「太郎ちゃん、大丈夫!?」
「どうやら無事の様ね。頭はどこも打ってないし、眼を開けそうですわ」
様々な人の声が合唱となって俺の耳に飛び込んできて、非常に煩わしく感じ、俺は重い瞼を開いた。
「ぎょわわっ! 蜘蛛―っ!」
巨大な蜘蛛が、俺の顔に押しつけられそうになっていた。慌てて俺は飛び起き、蜘蛛に顔面をめり込ませた。
「あら、情熱的なキスですこと」
「違うわボケ!」
おかげで夢の記憶は何処かへ雲散霧消してしまった。
何か凄く大事なことだったように思うのだが……。