第三十話 内視鏡手術のことは海外じゃニンテンドーオペレーションっていうらしいぞ(無駄知識)
六月二十日、午後十一時。
「パパ! 腹減った! 夜食!」
「しーっ、花音! 遊びじゃないんだぞ!」
俺はやぶ蚊に喰われたところをポリポリかきながら、花音にそっとコンビニの袋の中身を手渡した。
「牛乳! アンパン! 張り込みアイテム!」
定番の二品に大喜びした花音は、さっそくアンパンにかぶりつき、少しばかり大人しくなった。
俺達二人は、現在高峰クリニックの住居側玄関の脇の木陰に隠れ、トイレの窓を見張っていた。
お泊まり会に来て、チクチンや竜胆少年の部屋で寝させてもらうこととしたが、彼らが寝静まったのを見計らって、俺はこっそり布団を抜け出した。しかし運悪く花音を起こしてしまったので、泣かれるのも困るし、こうして一緒に連れ出したのだった。
ちなみにトイレの中を先程慎重にチェックしたところ、汚物入れの影に、小型のウェアラブルカメラが密かに取りつけてあるのを発見した。
これこそが、高峰先生が言っていた、「誰かの視線」の正体に違いない。
しかし俺は何食わぬ顔で気付かなかったふりを装い、あえてカメラには手を触れず、代わりに、そのカメラに映らないよう、窓の外から窓の隙間越しに、内視鏡カメラの先端部を差し込み、窓の下で中の映像をチェックすることとした。
これは何故かクリニックにあったものを拝借したのだ。
高峰先生曰く、どこぞの内科医院が倒産した時、闇でバーゲンセールをしていたので、面白そうだからつい買ってしまったとのことだ。
精神科のくせに買うなよ! でもハンドルをぐりぐり回すと、触手のように動くのがちょっと面白い。俺も尼で買おうかしら。
「しっかし誰も来ないな……ふぁー」
俺は欠伸を一つした。変化のない画面を眺めているのは、非常に退屈なものだ。
外は虫が多くて虫よけスプレーも殆ど効果なく、眠気も強くなってきて、俺は次第にやる気を失ってきていた。
しかし何だってカメラを仕掛けた犯人(誰かは大体想像がつくが)は、こんなおぞましいスプラッターハウスのトイレの盗撮なんぞをする気になったのだろう? 俺には理解不能だった。
その時、ようやくトイレのドアを開けて、誰かが入って来た。
チクチンを両手で抱えた、青い縞柄のパジャマを着た竜胆少年だ。
彼はぶつくさ文句をこぼしながら、チクチンを便座に座らせた。
「師匠も寝る前にう○こぐらいしといて下さいよ。今度からポータブルトイレでさせますよ。
しかし砂浜さんたちは一体どこへ行ったんでしょうね。スージーさんに夜這いをしかけてないといいんですが……」
失敬な、とつい突っ込みそうになったが、考えてみたら現在やってることはもっとひどいことなので、とにかく押し黙ったまま、観察を続けた。
チクチンはうんうん踏ん張ったあと、ようやくブツが出たようで、ポチャンという音が響いてきた。
竜胆少年は甲斐甲斐しく、チクチンの尻を拭いてやると、こんなことを呟いた。
「まったく、こんなこと師匠にしてあげるのは僕だけなんですから、有難く感謝して下さいね。
僕も師匠と同じく、あの砂浜に捨てられていたよしみですよ」
「えっ……」
思わず声を上げそうになったが、花音が素早く俺の口元を塞いだため、それ以上外部に音が漏れることは無かった。
どうやら少年は俺の声には気付かなかった様子で、レバーを回してう○こを流すと、チクチンを赤ちゃん抱っこしたままトイレから出て行った。
(竜胆少年も、砂浜に捨てられていただと!? 俺やチクチンと同じだというのか!?)
突然明かされた真実に、頭が一時的な混乱状態に陥った。
確かに以前から竜胆と母親は似ても似つかないとは思っていたが、世の中様々な遺伝子の不思議はあるし、まあ父親の遺伝子が強かったんだろうと納得していた。
しかし実際は彼は高峰先生が拾った養子に過ぎなかったのだ。
そしてOBSを操縦する俺達三人は、皆あの砂浜を彷徨っていたことになる。これって偶然なのか!?
「パパ! トイレ! 大洪水!」
トイレの様子がおかしいことに花音の声で気付いた俺は、気持ちを切り替え、すぐに映像を確認した。
確かに便器の中から水が溢れ出し、徐々に床のタイルを濡らしている。
高峰先生の言っていた、トイレがよく漏れるというのは本当のことだったのだ。
すぐにでも中に飛び込んで行きたかったが、俺は自分を抑えた。
これはチャンスだ。
あのウェアラブルカメラは一応防水対策はしてあるだろうが、濡れれば映像は映りにくくなるし、何よりう○こやゴミが付着したらどうしようもないだろう。
仕掛け人が回収に駆けつける可能性がある。
案の定、すぐに二階からどたばたと階段を下りる音が聞こえ、トイレのドアを誰かがバーンと力いっぱい開け放って駆け込んできた。
そのタンクトップとジーンズを着た人物は、わき目も振らずに水没しかかっている汚物入れに近付くと、ウェアラブルカメラに手を伸ばした。
「Wate! そこまでだ、スーザン・ボイルドエッグ、じゃなかった、アルダ・サーナン!」
「アイエエエエエ!」
まるで切られた忍者のような悲鳴を上げつつ、彼女は濡れた床に尻もちをついた。
よほどショックだったのだろう、瑠璃色の双眸を丸く見開き、大きく口を開けている。
俺は狭い便所の窓から顔を出し、彼女と直接向き合った。
「ス、スナギモタローさん!? な、なんでそこに!? ど、どうしてマイ本名がわかったんデスかー?」
「最近の画像検索システムを舐めちゃいけませんよ、お嬢さん。
この前撮った写真の画像を羊女に送ってもらって検索エンジンにかけたら、すぐわかったよ、アルダ・サーナン宇宙飛行士」
俺はここぞとばかりドヤ顔を決めたが、何分トイレの窓越しなので、傍からみたら残念なことになってそうなのが残念だった。
「あなたはNASAの中堅宇宙飛行士で、スペースシャトルで宇宙に行ったこともあるそうですね。
『ミッション・スペシャリスト』 で、様々な機器の操作や船外活動などを実行し、宇宙飛行士候補者の訓練教官まで務めている。
フリーターどころか、とても優秀じゃないですか。
何故そんな人が、わざわざ日本に来て、こんな痴漢みたいな盗撮行為をしているんですか?」
「Oh,全ては御神輿のようデスねー、わかりマシタ、白状しマース……」
彼女、つまりスージー改めアルダは、やけに神妙な顔つきになったかと思うと、一枚の紙切れをジーンズのポケットから取り出した。
「これはNASAの超機密文書の議事録デス……」
俺は、「御神輿じゃなくてお見通しでしょ!」と突っ込むタイミングを失い、トイレの窓から苦労して右腕を伸ばし、その紙を受け取った。
何やら英文が書かれているが、何とか解読した結果、俺は脳が爆発しそうになった。