第十九話 くちびるから三段腹
『あの日、巨大唇型のエロンゲーションが出現したとの情報をネットで知り、私とチクチンはハイエースで出撃した。
当日は、羊女は持病の肛門痛が悪化したとのことで、体調不良のため参加できなかった』
「……」
俺は黙って傾聴していた。
今は突っ込むのはよそう。
羊女は後で殺すが。奴こそ公開ア○ル自殺の刑に値する。
『我々が現場に近付いた時、敵がばら撒いた可燃性の痰は、あちこちの家屋に火をつけ、あたりはまるで戦場のようだった。
X市に一番近い第X旅団から自衛隊が派遣されていたが、地対空誘導弾は全く効果なく、90式戦車の44口径120m滑空砲も傷すら付けられず、限りなく無力で、頼みの綱のF-15戦闘機に至っては、近寄ることすら出来ずに、超高速で吐き出された痰つぶてに撃ち落とされていた』
「……」
俺は、今朝の夢の内容を反芻していた。
あの唇モンスターは、確かに只者ではなかった。
あれは、俺の記憶が再現したものだったんだろうが、今の自分が勝てるかと言われると、即答しかねる強さだった。
『エロンゲーションもOBSのエンジェルズ・エプロンと同様のバリアシステムを有しているのは明らかであり、これを突破するには、同じバリア同士をぶつけるか、ウロ・シュートによる超化学的な融解攻撃しかない。
もっとも、ウロ・シュートが効果があるのはエロンゲーションに対してのみであり、通常の人体やOBS本体、及び物質にかけても、普通の小便となんら変わらない。
兎にも角にも、私はチクチンをOBSにセットすると、ハイエースの屋根に乗せ、離陸を行った』
「ちょっとタンマ!
前から疑問だったけれど、どうやって手の使えないチクチンがOBSを操縦するんですか?」
とうとう我慢できず、俺は突っ込んでしまった。
またSAN値が低下しそうな質問をしてしまったと、直後に後悔したが。
『なんだ、そんなことか。彼の場合、連結器をおんぶではなく抱っこ状態で使用し、口でもってOBSのちくB』
「ああああああ聞きたくない聞きたくない聞きたくなぁい!」
一番聞きたくなかった答えが返ってきそうになったため、俺はあらん限りの大音声で無理矢理さえぎった。
『急にどうしたんだ、一体?
そっちから聞いてきたくせに。
とにかく彼が唇の怪物に近付くと、その真下で燃えている家の前で、倒れている男と泣き叫ぶ幼女がいた。
誰のことか分かるな?』
「はい……」
さすがに俺もそこまでラノベ主人公、もといニブチンじゃない。
『エロンゲーションが今にもそいつらに襲いかかろうとしていたため、チクチンは一切躊躇わず、特攻を敢行した。
つまり、自ら敵の口の中に飛び込んだんだよ』
「ええっ? ウロ・シュートを使えばいいじゃないですか!?」
『何言ってるんだ、さすがに口だけで尿道カテーテルは挿入できんだろう』
「それは確かに……」
『というわけで、蛇に丸呑みにされたネズミよろしく、OBSとチクチンは一瞬にして漆黒の口腔内に消えた。
俺もあの時ばかりはさすがに終わったと思ったよ。
どう足掻いても勝ち目が無かったからな。
だが、次の瞬間、唇野郎が絶叫したかと思うと、見る見るうちに、内側からドロドロに溶けだした。
そして崩れかかった口の中から、ボロボロに傷付きながらも、チクチンとOBSが、あたかも鬼に吐き出された一寸法師の如く生還した。
まったくたまげたよ、あれには』
「ど、どうやったんですか?」
『さあてね、チクチンは、それについては一切教えてくれなかった。
ただしあの時、彼は凄い傷を負ってしまった。
それで昨日は予備に回ったんだよ』
「え、どこを怪我したんですか?」
『これはお前にはあまり伝えたくなかったが、事ここに至っては言わざるを得ない。
チクチンは見ての通り五体不満足の凄まじい身体だが、目玉だけは唇との戦闘前まではちゃんと二つあったんだよ』
「そ、それって……」
『うむ、彼はあの時の戦いで、勝利の代償に、左目を失ったんだ』
「……!」
言葉にならない思いを飲み込み、俺は唇を噛みしめた。血の味が滲んだ。
『あなた方のために、そんなにも命がけで戦ってくれたチクチン師匠に、今日、砂浜さんはとても残酷なことをおっしゃったんですよ。
もう忘れましたか?』
突如、竜胆の、地獄の底から響いてくるような凍てつく声が、鼓膜に突き刺さった。
「ああ、俺は、『助けに来るなら来るでもうちょっと早く来いや!』なんて怒鳴ってしまった……」
喉の奥からなんとか声を振り絞りながら答える。
血を吐きそうな気分だった。
『あの戦闘の後、チクチン師匠は、多くの人命を救えなかったことを、とても後悔されていました。
最近はだいぶ気分も改善していましたが、あなたの一言で、希死念慮が再燃してしまったんです。
アナ禁法の件はもちろんありますが、全てはあなたのせいですよ、砂浜さん』
「……」
ようやく俺は、何故この少年が俺に突っかかってくるのかを完全に理解した。
彼は師匠を尊敬するあまり、チクチンがいたく傷付けられたとこを怒っているのだ。
そして俺に憎しみを注いでいる、というわけだ。
「それについては、俺が本当に悪かった。謝らせてくれ」
『今更遅いですよ、さあ、早く家に帰って歯磨いて風呂入って糞して寝て下さい。
僕達はこれから忙しいんですから』
「いや、それは出来ない。
何故なら俺が阻止するからだ。
そんな下品極まる動画をネットで生中継しちゃいけない」
俺は急に口調を変えると、不敵にほほ笑んだ。
やっと策が一つだけ浮かんだ。
上手くいけば、これで彼に一泡吹かすことが可能な策が。
『おやおや、あなた如きが僕を止められるというんですか?
居場所すら分からないくせに』
「ああ、出来るとも。今の司令の話がヒントになった。
チクチン、聞こえてるならば聞いてくれ!」
俺は一段と声を張り上げた。
もしチクチンが竜胆少年と連絡を取り合っているのならば、この通信を聞いている可能性は高い。
「俺はあんたのやってくれた方法で勝ってみせる!
さあ来い、チェリーボーイ!」
『どうやら本当に死にたいようですね、いいでしょう。
娘さんがいるので今まで手加減してきましたが、本気でお相手しますよ!』
その台詞と同時に、太陽が沈んだ。第二ラウンドのゴングが鳴ったのだ。




