第十八話 性器の悪法
徐々に紺色に変わりつつある黄昏の空を、俺達は前方に聳え立つスカイスクレイパーの頂上目がけて駆け上がっていく。
いわゆるマジックアワーってやつで、たなびく雲のグラデーションの美しさに、俺は初めてOBS操縦士になって良かったかな、と針の先程思った。
ところでスカイスクレイパーって菅井すぐレイパーに似てますよね、って菅井って誰だよ!?
いかん、だんだん心が精神汚染されてきているように感じる。
「パパ! すぐ避ける!」
「え、な、何!?」
ぼんやりとくだらん考え事をしていた俺は、花音の忠告に慌てて、とにかく滅茶苦茶にOBSの乳首をこねくり回した。
機体は乱気流に突入したように激しく揺れ、いわゆるダッチロール状態ってやつみたいになった。
だがそのおかげで、下方から急上昇してきた謎の影に激突せずにすんだ。
「あっぶねーな! もう少しでぶつかるところだったんだぞ!」
思わず怒鳴ってしまうが、相手が何処にいるのかよく分からない。
何とか体勢を立て直しつつ、上を見たけれども、昏くなってきた空が広がっているばかりだ。
まぁ、そもそも聞こえるはずもないか……と思ったら、
『わざとやったんですよ、砂浜太郎さん』と、返答がグラサン越しに返ってきた。
「その声は……竜胆くんか!」
『ええ、その通りです。まさか入隊二日目のぺーぺーのあなたが来るとは予想外でしたが、チクチン師匠の邪魔はさせませんよ』
とても中学二年生とは思えない、冷徹極まる氷のような口調に、俺はちょっとひるんだが、大人の威厳を装って対抗した。
「君だって、OBSに乗るのは初めてなんだろう? 似たようなもんだろうが!」
『確かにその通りですが、僕は以前から、司令やチクチン師匠からOBSに関する話を聞いていたので、大体のことは把握していますよ。
自分が操縦者に相応しいってこともね。
昨日初めて存在を知ったあなたとは、訳が違います』
「うっ」
痛いところを突かれて、俺は口籠った。
それにしてもさっきから必要以上にやけに敵意を感じる。
俺って彼に対して、何か嫌われるようなことしたっけ?
「何だってそんなに攻撃的なんだよ!
中二病ってやつか?」
『あなたは何も覚えてないんですか?
自分がチクチン師匠に何をしたのかを』
あきれ返った声が、今にも笑い出しそうだった。
しかし、こいつは一体何を言っているんだ?
「え? 俺は彼に、昨日会ったばかりだぞ。
まぁ、さっき勢いで蹴り飛ばしたのは悪かったけど」
『本当に記憶にないんですね。まったく困った人だ。
少し痛い目にあってもらいましょう』
交信が途絶えると同時に沈黙が訪れ、俺は不安に襲われる。
辺りを見回すも、先程と同様、奴のOBSは影も形も見えない。
まるで忍者のようだ。
「司令! あいつのOBSには光学迷彩かなんかの機能でもあるんですか?」
『そんなものあるわけなかろう。
あるなら先日使用しているぞ』
「それもそうですね、なんか捕捉するいい方法ないですか?
例のGPS機能とやらは使えないんですか?」
『あれはそんなに精度が高くないので、さすがに細かい位置までは分からないだろう』
「使えないですね。しかしどこにどう消えたのやら……」
『フフッ、分かりませんか、砂浜さん』
「ぬおっと! おい、どうやって隠れているんだ!」
急に糞ガキの声が割り込んできたので、俺は驚いて叫んでしまった。
ホテルの屋上は既に飛び越しているのだが、そこには人っ子一人おらず、サーチライトの装置などが点在しているだけだった。
『知ってますか、砂浜さん。
ヨーロッパの言い伝えには盗人の蝋燭ってものがありましてね、罪人の死体から切り取った指に火を灯せば、持っている人の姿を消せたらしいですよ。
その火は新鮮な母乳をかけなければ消えることがないそうですけどね。
さぁ、早く僕にぶっかけて下さい』
「さすが搾乳好きだな、おいって新鮮な母乳なんてねえよ!」
「パパ! 上から! 危険!」
再び花音が絶叫する。
俺は素早く右に旋回しつつ、天を見上げた。
何か黒っぽい物体が俺達の数秒前までいた場所に急降下し、疾風の如く通り過ぎていく。
視線で後を追おうとするも、すぐに見失ってしまった。
「あ……あれが奴のOBSか!? なんか色違わない?」
「黒騎士! ティターンズカラー! アナ禁スカイウォーカー!」
ダークサイド側が好きな花音が喜びの声を上げる。
それにしても無茶な操縦をし過ぎたせいか、OBSの顔色がチアノーゼ並に悪い。大丈夫かこの超兵器。
『むぅ、中々考えおったな、自ら迷彩を施すとは』
「えっ、どういうことですか、司令?」
『まだ分からんのか? 彼が何て巷で呼ばれているか知っているか?』
俺は記憶を漁った。彼は昼間から往来でチクチンを振り回していたような……。
「えーっと確か、小卒不登校ニート一歩手前でしたっけ?」
『合ってるけどそっちじゃない!
いいか、高峰竜胆改め古都寄席由美之介は、搾乳漫画界の神絵師と呼ばれ、一部で熱烈に崇拝されているほどだ。
彼の技量をもってすれば、この夕暮れ時の空の色に合わせて、OBS及び自分自身にボディペイントを行い、風景に溶け込むことなど、造作もないことだったのだ』
「なるほど……」
『どうです、はなっから勝負にならないことが理解できましたか?』
再び竜胆少年が口を挟む。
おそらく今までの会話を聞いていたのだろう。
俺は、ここは一旦折れることにした。
プライドなんてとっくに犬に喰わせているような我が身だ。
「ああ、確かに君は凄いよ!
負けを認めるから、なんとかチクチンの自殺を思い止まらせてやってくれないか?」
『滅茶苦茶な理屈ですね、それ。
せめて勝ってから言って下さいよ』
「勝ち負けなんかどうでもいい。
俺はせっかく親しくなったあいつに死なれるのは嫌なんだ。
花音とも遊んでくれたし。大体ア○ルが見えようが見えまいがどうでもいいじゃないか!」
『いや、そもそもア○ルは性器ではないし、隠すのは不自然なことだと私は思うぞ』
「ややこしくなるから司令は黙ってて、お願いだから!」
『まぁ、僕はどちらかというとおっぱい派なので、百歩譲ってア○ルのことは仕方が無いとは思いますが、やっぱり何も分かっていないんですね。
チクチン師匠が自殺を決心したのは、あなたのせいでもあるんですよ!』
「ど、どういうことだってばよ!?」
『待て、竜胆くん、後は私から話す』
また司令が割り込んでくる。しかし今度はかなり真剣な口調だ。
「……どちらからでもいいですが、是非聞かせて下さい」
『分かった。君はあまり覚えて無さそうだが、あの日何があったかを話そう、君の奥さんが亡くなった日のことを』
途端に燃える炎の壁が幻出し、俺は悲鳴を上げそうになった。