第百七十三話 ダ・カーポ その1
薄汚れたビニール袋が湿気を含んだ潮風に吹かれ、砂の上をカサカサと転がっていく。
どこまでも続く長い砂浜と、闇そのもののような昏い海、そして黒い雲が重く垂れこめた夜空。
まるで世界の果てのような荒んだ景色。
そんな全ての生物の死に絶えたような浜辺に、四人の裸の男の姿があった。
彼らの眼は皆虚ろで、焦点が定まらず、精神は昏迷の中を彷徨っているようであった。
その年齢は様々だが、よくよく見ると、その容姿は似通っているところがあった。
もっとも年齢が近い者同士を見比べないと分からない程度ではあったが。
そしてその中の一人は、紛れもなく、俺であった。
死んだ魚のような目をした俺は、果てしない海の先を眺めている。
そこには、非常に幻想的な光景が広がっていた。
大海原の向こうから、蜃気楼のように、何者かが徐々に姿を現す。
それは巨大な人影だった。
拡張された裸の女性。あまりにも遠過ぎて、その顔まではよく分からないが、おぼろげながら見覚えがあるような気がした。
「拡張……エロンゲーション」
それが誰の台詞だったのかは、分からない。
だが、その意味不明な単語には聞き覚えがあった。
何だったのか思い出そうと灰色の脳内をひっくり返すも、見つかったのはガラクタにも似た途切れ途切れの言葉の破片だけ。
乳首、ア○ル、羊、司令、そして、OBS……
どうしてこんなところにいるのか、何故裸なのか、そもそも俺は一体誰なのか……肝心なことは何一つ、思い出せなかった。
ただ、その直前まで、凄まじく激しい感情に苛まされていたことだけは、何となくだがぼんやりと記憶している、というか身体が覚えていた。
一体どんな思いを抱いていたのか、それは謎のままだったが、とにかくなんらかの強いショックを受けたのだろうという想像は出来た。
「ここは……何処だ?」
俺は改めて周囲を見渡した。砂浜は俺の前後に果てしなく伸び、暗黒のわだつみが、永遠のビートを刻み続けていた。
海とは逆側の浜辺の奥はやや小高くなっており、松の木や灌木が生い茂り、民家は無さそうだった。
次に俺は、周囲の人影に目を向けた。
4、5歳程度の小さな男の子と、14、5歳くらいの少年と、24、5歳ほどの青年の三人……
彼らの顔はまるで兄弟のようによく似ており、身体つきも年齢差はあるも似通っている点が多かった。
じっと凝視していると、わずかにどこかで見たような気がしないでもないのだが、それ以上は思考が進まない。
だが、俺の内なる声がしきりに囁きかける。
もっと注意して周囲を観察しろ。でないと、後々後悔するぞ、と……
俺は今一度、プロジェクションマッピングのように、曇り空の彼方に広がる巨大な女性を見つめた。
さっきはあやふやだったが、目を凝らすと、確かに見覚えがある。
但し俺の良く知る彼女は、もっともっと小さく可愛かった筈だ。
とてもとても愛らしく、大事な大事な俺の宝物……
ひょっとして、ひょっとすると……
喉元までその名が出かかっている。喪失されたと思われた俺の記憶が、脳内のゴミ箱から自力で這い出し、血の叫びを発する。あんな大切な俺の命よりも重要な名前を簡単に忘れていいものか、と。
「花音!」
とうとう俺が、懐かしいその名を肺腑から絞り出すとともに、俺の、否、俺たち四人の身体に異変が起こった。
まるで魂が肉体から抜け出すかのように、見知らぬ角刈りの太ったオヤジが、腹部からにょっきりと生えて来たのだ。
誠に申し訳ありませんが次回も一か月後の更新になります。すいません!では、また。