第百六十話 心の海 その3
「とりあえずレイプマンは一旦置いておくとして、これから俺は一体どうすればいいんですか、旧司令殿?」
俺は、脱線し続け今や遠くアンドロメダまで行ってしまい999状態となっている話題を無理矢理元の位置まで引きずり下ろした。
「うむ、君の決死の口づけのおかげで、私のOBSとしての機能はスタンバイした。
後は君が私の中からとっとと出て行けば、邪魔者がいなくなったこの肉体は存分に他の機体と同様の能力を発揮するだろう。
私という人間の魂が眠りについたため、本来の機能を取り戻した、というところだな。
もっとも、あくまで緊急措置的な機能のため、そうそう何回もOBSとして使えるわけではないし、邪悪な人間に使用されるといけないので、こうして私の意識下に眠る魂が、口づけしたものをチェックするのだが」
「んな糞面倒な仕様にしないでくださいよ! 俺の精神力はもう尽きかけてますよ!」
「ハハハ、まあ、そう言うな。おかげでこうやってゆっくり話すことも出来たわけだしな。
また私に会いたくなったら、いつでも遠慮なくディープキスをぶちかましてくれ」
「……いえ、遠慮しておきます。それより現世に戻ったら、今度こそ高峰先生に司令の死亡診断書を発行してもらってとっとと火葬場に持っていきます」
先ほどのスッポンに食いつかれたかのようなおぞましい感触が舌と唇に蘇り、俺はちょっとえづきそうになりながら毒を吐いた。
今度はチクチンにでもやらせよう。あいつらまだ生きているかしら?
「火葬は熱そうで嫌だな……巨乳美女の遺体十人ぐらいと一緒にホルマリン漬けにでもしてくれた方がまだ……」
「何贅沢言っているんですか!? で、どうやったらここから抜け出すことが出来るんですか?」
「うむ、ここは私の深層意識の最も深い底の底、いわばイドの井戸だ。
よって元の世界へ戻るには、ここから天空に向かって上昇していくイメージを形作らねばならない。
君が私の感情の波を辿って下へ下へと降りてきたのと、まったく逆のことをするわけだな」
司令は釈迦誕生像の如く、左手を大地に向けて降ろしたまま右手を高く天に掲げ、人差し指を赤々と未来永劫燃え盛る夕焼け空に突き立てた。
天上天下唯我独尊。略すと俺様世界にただ一人、ヒャッハーだ。
「上昇していくって……どうやって?」
俺はまぶしさに目を細めながら辺りを見回したが、空を飛べそうな飛行機やヘリコプターのたぐいは影も形も見当たらなかった。
もっともあったとしても、俺には操縦が出来ないのだが。
「やれやれ、さっき言ったばかりではないか。ほら、君の目の前にあるだろう?
とても役に立ちそうなものが……ほれほれ」
「……」
俺は、聞こえなかったふりをして、今度は目を皿のように見開いて、全神経を集中して捜索を続けるも、空しく徒労に終わるのみだった・
「相変わらず物わかりの悪いやつだな。つまり、あれだ、その……」
「あああああああああああうるさいなこの糞オヤジめが! わかりましたよ、司令に乗ればいいんでしょう、乗れば! この糞仕様精神世界め!」
ついにブチ切れた俺は吐血しそうなほど叫びつつ、目を硬くつぶると、まさに目の前にいる司令の分厚い唇に、蛸にした俺の唇を重ねた。
いや、最初っからこういうオチだろうなとは薄々気づいていたけどね! ひど過ぎるわ!
そういや前にサイコ小僧が、「1924年、ソ連人民委員会が非衛生的という無茶苦茶な理由で口づけを禁止し、同時期にアメリカのニュージャージー州でも同様の条例が発効されたそうですが、あの伝説的な時代劇『徳川セックス禁止令』みたいでゾクゾクしますね」と妄言を振りまいていたが、一刻も早く公権力で俺の意に添わぬ口づけを取り締まってほしい気持ちになりましたよ、ええ。
と、見る間に琥珀色の司令の瞳が、太古の湖のような緑色を帯び始めた。