第百五十七話 OBS誕生 その2
「だからって、それはお前がやらなきゃいけない理由にはなんねえだろ!?
原爆を発明した奴が、実際に原爆の死の灰を浴びたかよ!?」
司令はまだ抵抗を続けていたが、もはや風前の灯火に近かった。
「もちろんそれだけじゃないわ。実用に耐え得る脳には特殊な条件があることは、あなたもご存じのとおりよ。
全検査IQが高いだけではダメで、言語性IQも動作性IQも人並外れて高く、さらにバイポーラースペクトラムの全てを再現でき、何より、強制ではなく、自分から進んで素材となる強い意志を有する……現状、すぐに見つかるこの条件に当てはまる女性が、どれだけいると思うの?
今日で既に世界中で100を超える都市が破壊された。もう残された時間はそんなにないわよ」
「嫌だ嫌だ嫌だ! 都市なんかいくらぶっ壊されてもいいじゃんか! 田舎に泊まろう! 俺はお前を失いたくないんだよ!」
角刈り男はまるで大きな駄々っ子のように泣き喚きながら、リノリウムの床を転げまわった。
スーツははだけ、ネクタイは折れ曲がり、たとえオギャリティが高いバブみ属性の女性でも引くだろうと思われる狂態だ。
病床の女性はそんな彼を諭すように、慈母の如く優しく語り掛けた。
「あなた、こう考えて。私は失われるわけじゃない。
このままここで検査と投薬が続く短い余生を無為に過ごすよりも、装置の一部と化して、あなたと一緒に時を送ると……そう思えば、素敵じゃない?」
幼児退行したおぞましい司令をこれ以上見たくないという俺の願望がどこぞの邪神に通じたのか、やっとシーンが切り替えられた。
だが、どこまで行っても地獄は所詮地獄だった。
全てが銀色に冷たく輝く、まるで冷蔵庫の中のような室内の真ん中に、同じく銀色のステンレス製っぽい横長のテーブルが据えられている。
その上に仰向けに横たわる全裸の人物は、紛れもなく先程の女性。
だが、彼女の身体は既に青白く生気を失い、その頭頂部は額の辺りでまるで河童の皿のようにパックリと切り取られ、頭蓋底が丸見えになっている。
「では、確かに被検体の大脳を摘出致しました。主任、次の指示を」
鈍い光を放つノコギリのようなものを持った、キツネ眼の白衣の男が、両手に髄液の滴る妻の脳を捧げ持つ、同じく白衣姿の司令に、無表情で呼びかける。
しかし、司令は絹ごし豆腐のように白く艶やかな臓器を手にしたまま、彫像のようにぴくりとも動かず、どこか遠いところを見る目をしていた。
「主任、早くご指示を! 大事な奥様の脳が、このまま腐り果ててもよろしいのですか!?」
「あ、ああ、わかった……」
キツネ眼男の叱咤により、ようやく我を取り戻した司令は、まだ少し呆けたような口調で、こうつぶやいた。
「もし送り出したエロンゲーションどもがあちらの世界で悪さをしているとすれば、それを破壊するため、今度は私自身の脳を取り出すっていうのもいいかもしれんな……」
「もうやめてくれええええええええっ!」
見るに堪えないシーンばかりを強制的に鑑賞させられている俺は、どこともしれぬ空間内で、喉も潰れんばかりに絶叫した。
今までの一連の映像が、司令の異世界における過去だということは、とっくに理解していたが、あまりの衝撃的場面の連続に、心がソウルクラッシュして無になりそうなほどの精神的ダメージを受けていた。
司令の妻の自己犠牲の心が怒涛の如く胸に押し寄せ、いつしか瞼を熱くさせていた。
疲れ切った俺は砂浜に両膝をつくと、胸を押さえ、荒く息を吐いた……って、砂浜!?
「よくぞここまでたどり着いたな、砂浜太郎」
「そ、その声は司令!? どこにいるんですか!?」
俺は声の主を求めて周囲に目を向ける。辺りの様子はまたもや一変していた。
そこは俺の名前の元となった場所……要するに、どこかの砂浜だった。
空はとろんと温泉卵のようにとろけ切った夕陽が今にもさよならしそうな雰囲気の、見事な黄昏時だったが、ぶっとんだのは、海上の島々に聳え立つ、無数の超高層ビルだった。
屋上に丸いドームを被せたようなものやアラビアの宮殿を百倍にでかくしたようなもの、巨大な二枚貝のようなものなど、奇抜なデザインのものが多く、それらの間を縫って、一条のモノレールが銀色の龍のように海上を走るさまは、どこのスター〇ォーズ世界ですかと言いたくなる、何ともSF的な風景だった。
少なくとも、俺の知る日本のものではない。
背後の陸地に目を転じると、ヤシの木だのバオバブだのモンバだのなんだの、なんかそういう南国っぽい木々が防風林を形成していた。
俺は初めて南国リゾートを訪れたおのぼりさんのごとく、ただただ圧倒されていた。ふりちんで。