第百五十ニ話 石
『うっさいな。だからそれくらい自分の頭をこねくり回して働かせてみぃ。そんなこっちゃ、山あり谷ありの人生、この先やっていけんぞい』
「はぁ……」
仕方なく俺は女医に頼るのをあきらめ、まさに悪夢のごとき風景を見つめながら思考を巡らせた。
この狂った世界が司令の無意識だとしたら、水面に投じる石とは一体何に当たるのか?
「一石を投じる」なんて慣用句がまさにあるけれど、あれって問題提議とか、そんな意味だっけ?
と、いうことは……
「何か強いショックを与えるってことか!」
唐突にひらめいた俺は、よくわからん縞模様をバックに大声を出すと、思わず両手を上げて万歳した。
そうとわかれば話は早い。
もし高嶺先生の言った通り、ここがイメージを具現化できる精神世界なら、試してみる価値はある。
「ふおおおお……」
俺は丹田に気を溜めると、かつて司令に一番ダメージを与えたと思われる物を脳裏に正確に思い浮かべた。
最初は難しかったが、徐々に形がまとまってくると、一本の白い棒状のものが俺の右手の中に出現した。
『ほう、何を作り出したんや、太郎?』
「まだ寝てなかったんならもうちょっと助けてくださいよ、高嶺先生! まぁ、見てのお楽しみってことで……」
俺は投擲選手のように右手を後ろに伸ばすと、その細い物体を眼前の渦巻く赤と黒の真っ只中に、力の限り放り込み、「ストロー!」と高らかに叫んだ。
以前高嶺クリニックのトイレでエロンゲーションと戦ったとき、司令の尿道に刺した物をイメージしたのだ。
きっとこれなら司令の心に深い傷を残したに相違ない。
しかし、ストローを飲み込んだ渦巻きはわずかに震えたように見えたが、それ以上の反応はなく、再び何事もなかったかのように静まり返った。
「ありゃりゃ、失敗ですかね?」
『残念やがどうやらそのようやな。もっともっと強い印象を残した物でないとダメってことやが』
「尿道ごときではダメでしたか。となると……ぐわっ!?」
悶々と考え続けていると、突如、縞々の壁が全方向から自分に向かって接近して来るのが感じ取られ、俺はつい驚きの声を上げた。
『どないしたんや、太郎?』
「か、壁がどんどん俺を押し潰そうとしてますよ!」
まるで意識あるもののようにマーブル模様が徐々に、徐々に迫りつつある。まるで俺までをも渦に飲み込もうとするかのように。
『どうやら異物が存在すると感づいた司令の無意識が、おまさんを排除しようと攻撃開始したんやな。早よせにゃヤバいことになるで、多分』
「んな無責任な!」
『まだチャンスはあるから焦ったらあかんがな。もっと死ぬ気で考えんかい!』
「……」
俺は糞の役にも立たない豚野郎に頼るのをあきらめ、縞模様を睨みつけた。
司令の心にトラウマを刻んだ物とは……。
「わかった、これだぁ!」
閃きと同時に、じわじわと俺の手中に黒い塊が姿を現す。
『おっ、次はなんや?』
「フッフッフッ、今度こそ間違いないですよ。こいつは強烈でしたからね……」
俺はその醜悪な汚物に等しい物質を、「サルミアッキ!」という掛け声と共に再び渦に投げ入れた。
竜胆の腐れデスゲームにも出てきたアンモニアの化身のような毒物だ。
あの時Y空港で司令を襲った悲喜劇を、俺はおぞましいものばかり放り込んである記憶の禁断の箱から取り出したのだ。
渦巻きは先ほどとは打って変わって地震のように激しく揺れ動き、迫り来る壁の動きも一旦止まったほどだった。
「よし、いけるぞ!」
だが俺のガッツポーズをよそに、数秒後に揺れは何事もなかったかのように収まり、壁も俺に向かって接近を再開した。
「ありゃ? これもダメですか……もう思いつかねーよ!」
『多分壁の速度から見てチャンスはあと一回くらいや。さいなら、太郎。花音ちゃんのことは任せとき。安らかに眠れよ』
「勝手に殺さないでください!」
こんなわけのわかんところで死にたくない俺は、女医に突っ込みながらも毛髪が全部抜けそうなほど必死に頭の回路を総動員して考えに考え抜いた。
石とは……一体何だ!?
症状が結構絶望的なので次回がいつかは未定です……すいません。