第百二十二話 北陸じゃ冬になると東京がカリフォルニアに見えますね
窓の外では霏霏として雪が降り続いていた。
道路のアスファルトを白く染め、隣家の生垣に綿帽子を載せ、犬小屋の屋根に羽毛布団をかぶせ、果てることなく三千世界を貫き通すかのように舞い落ちて行った。
俺はあまりにも寒いのでエアコンを三十度に設定するも、なぜか言うことを聞かず生ぬるい風がふいよふいよと吹き付けるばかりで、余計肌寒く感じるほどだった。
機械が人間様に反乱を起こすのはSFのお約束だが、こいつもその手のやからなのだろうか?
俺は審判の日にスカイネットにフルボッコにされた人類の如く溜息をつくと、朝飯の無添加クルミ入り食パンを手に取った……瞬間風のように奪取された。
「パパ、なんでクリスマスにサンタさん新しいママ連れてこなかったの?」
最近やけに言語スキルが進化した強奪犯が、パンを瞬時に食い尽くすと怒りの眼差しで俺を見据える。
「サンタさんは人身売買はやってないんだよ、花音」
俺はドブに落ちた負け犬のような瞳で娘を見つめ返すと、いつもの如く蛇口から水を朝飯代わりにごくごくと飲んだ。
こんなことばかりしていると、あの暴走デブ女のように多飲症認定されちゃうんじゃないかとちょっぴり考えちゃうが、背に腹は代えられない。
しかし寒い日に冷たい水はお腹に悪いね、うん。そろそろお湯にしよう。
それにしても、最近愛娘を見ると不安になってしまうことが多い。五か月前、思羽香の実家でショッキングなものに出くわしたせいかもしれないが……。
以前自分がOBSと化した変な夢でもそうだったが、彼女が最後に俺の前から消えてしまうというイメージが脳裏に鮮明に焼き付いて離れてくれない。そんなことになったら、俺はとても耐えられそうにない。
まあ、俺はオカルト信者じゃないし予知夢なんて信じていないので、無理矢理心の奥底に仕舞い込んでおくことは出来るのだが、何かの拍子に瘡蓋が剥がれた傷口のように無意識下から顔をのぞかせてしまうのだ。幸い、あの日以来悪夢とはご縁がないのだが……。
「あっ、ユミバちゃんだ!」
花音がつけっぱなしのテレビ画面を指差す。そこには自分の身体よりも大きいリュックサックを背負った重装備のユミバちゃんが、自分の背丈の数倍もありそうな高さの氷塊がごろごろ転がっているエベレストの難所アイスフォールを軽々と登攀している、見るだけで胆が凍り付いて体温が氷点下になりそうな映像が映っていた。
あの触手わぬわぬ事件の後、結局「たかいたかいだぁっ!」を無事卒業(というより番組自体が消滅した。プロデューサーがわぬわぬによって異界に引きずり込まれたためとネットでは噂されている)した彼女は、現在レポーターとなって世界の秘境を次々と踏破している。誠に見上げたクソ度胸のお子様だ。一皮むけて人間的に成長しているのがまざまざと実感できた。
成長といえば、OBS操縦者の面子たちも、皆あれから変わっていった。
竜胆少年は、「このままじゃいけないと思う」と言い残し、ある日突然高峰クリニックを出て、アパートで一人暮らしを始め、中学校にも通うようになった。誠に喜ばしいことだと思う。あのまま行けば将来は良くて犯罪者予備軍だったろう。
羊女は、「そろそろお尻も限界だし、女王様は卒業しようと思うの」とほざいて、駅前の声優専門学校に通いだした。あのままいけば将来は良くて俺に対する強制わいせつ罪で以下同文。
チクチンに関してはよくわからない点が多いが、どうやら最近日夜謎の武装集団と一人で戦っているらしい。とはいっても高峰先生情報なのでやや怪しげな点が多いが。なんでも夜中に声がするので起きてみたら、家の外で、ア○ルに仕込んだ槍を発射したチクチンが黒尽くめの男を刺殺し、そいつの死体を別の男が背負ってどこぞへ逃げて行ったという。よくわからないよ!
そして俺はといえば、相変わらず売れない探偵業を営みながら、わんぱくな娘に振り回される毎日だった。
そんな暮れも押し迫ったある朝のこと、久々にサイコ小僧からの電話があった。
「お久しぶりです。今からちょっと伺ってもよろしいですか、砂浜さん? 母から、お歳暮を届けてくれと言付かってましてね」
「高峰先生真面目だなぁ……。別にいいけど、何もお返しは出来んぞ」
「心配しなくても、母も僕も別に期待なんかしてないから大丈夫ですよ、では」
相変わらず慇懃無礼な奴だな、と思いながらも、俺は彼を待った。三十分ほどして、彼は黒いパーカーを雪まみれにして、学生鞄を下げ、荷物を持って参上した。
「おはようスパンキング! お届け物です」
ぬっと突き出されたのは、二メートル以上はあると思われる巨大な乾燥コンブ。やつはバットの如く構えると、なぜか俺のケツを叩きやがった。
「でっけえな! 邪魔だしいらないよ! お願いだから持って帰って!」
「そんなこと言うと罰が当たりますよ。北海道産の高級羅臼昆布ですから。ところで砂浜さん、ちょっとばかりお願いがあるのですが、よろしいですか?」
槍のごとき昆布を無理矢理俺の腋下にねじ込みながら、めずらしく彼が改めてこう言い出した。
「えっ……!」
俺の記憶の映画館を、羊の生首でのウナギ釣りや、奇祭・爆乳祭りといった、彼に関わったせいで経験する羽目になったハーブな出来事ばかりが総集編的に上映される。
「案件によるとしか言えんが、貴様の頼みごとはトラウマ化しやすいのが多過ぎなんで、謹んでお断りいたします」
「金なら払いますよ、ほれ、相談料」
「いくらでもどうぞ!」
俺は、差し出された福澤諭吉先生を即座に掴むと、ポッケナイナイした。ああ……なんて卑しいんだ……。