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第百二十一話 禁断の間

「長らく待ち望んでいた花のようなかわい子ちゃんだし、花音と名づけましょう。異存はないわね、あなた?」


「イエッサー!」


 というわけで、命名に関して凄腕の占い師様に対して俺に発言権があるわけもなく、鶴の一声で娘の名前は速やかに決定した。これぞ夫婦円満の秘訣ってやつですね。


 お初にお目にかかる我が子は猿同然で、眠たげで胡散臭げなジト目で俺を睨んでいたが、我が裏声によるヤゴゲルゲの子守唄(篠原に教わった)を聞くと、案外気に入ってくれたのか即座に寝入った。すげえ。


 腕の中で安らかに眠る、片手でも持てそうなくらい軽い赤ん坊にドキドキしながらも、俺は自分が人の親になった喜びを噛み締めていた。不束者ですがこれからよろしくな、ベイビー。



「さて、私の着ている加賀友禅ですけれど、これには基調となる重要な五色がございます。ご存知ですか?」


 冷房のない室内で紺の着物に身を包んだ海野桐が、汗ひとつかかない涼しげな顔を俺に向ける。俺はたちまち過去から現在に呼び戻された。


「はぁ、無学なものでよく知りませんが……」


「青、赤、黄、緑、紫の五彩です。これは九谷焼の釉薬と同じで、九谷五彩とも呼ばれます。この部屋の青も、その色調を基としております。つまり……」


 そこまで聞いて、俺は閃いた。


「ひょっとして、五つの色違いの部屋があるとか?」


「さすが探偵さん、よくお分かりですね」


 夫人は花が綻んだような笑顔を見せた。和服姿っていいよね。


「当館には、この群青の間を筆頭に、紅殻の間、山吹の間、萌葱の間、葡萄の間と呼ばれる部屋がございます。どれも二階にあり、季節ごとにそれぞれの間を使い分けるなどして、風情を演出致しております。


 実は今日お呼び立てした要件とは、この部屋のうちの一つを、太郎さんに是非ご覧になって頂きたいのです」


「ど、どうしてですか?」


「それは見ていただければわかることです。さ、参りましょう」


 海野桐はそう告げると同時に音もなく立ち上がり、廊下へと歩いていく。俺も慌てて飲みかけのお茶を放ったらかして、後を追った。


 金魚のフンのように女将の尻に付き従って進みながらも廊下の両側に並ぶ襖によくよく注意してみると、確かに隙間から覗く室内が、目も眩みそうな黄金色や、草いきれに包まれそうな緑色で覆われていることがよくわかった。


 とても日本家屋とは思えない色彩ばかりだけど、昔の武士は派手好みだったのだろうか。


「着きました。どうぞ中へお入りください」


 夫人が階段近くにある部屋の前で立ち止まる。俺はやや緊張しつつも、「失礼します」とのみ答え、禁断の宝物庫の封印を破る盗賊のごとく、勢いよく襖を開け放った。


「赤……!」


 そこは、一面血に染まっているかのように真っ赤な座敷だった。内装自体は先程の群青の間と同じく、節くれだった木を柱に使ったりした数寄屋造りってやつで、格別変わった点はなかったが、とにかく真紅一色の壁が強烈過ぎて、ただでさえ高い気温が更に数度上昇したかのようにさえ感じられた。


 そして何より奇妙なことには、もう七月も半ばだというのに、なんと床から天井まである大きな雛壇がででんと室内に据えられていた。


 雛壇は七段飾りの立派なもので、緋毛氈が隙間なく敷き詰められ、部屋の赤に更に赤を上塗りしたような雰囲気に、俺は思わずゲップが出そうになった。


「な、なんですかこのお雛様は?」


「ここはあの子……思羽香のずっと使っていた部屋なんです」


「えっ……」


 唐突に女将がそう語り始めたため、俺は何も言えなくなってしまった。そういえば俺は、思羽香が実家でどうやって過ごしていたのか、何も知らなかった。


 彼女も自分から教えてくれなかったし、わざわざ聞くこともあるまいと考えていたのだ。


「あの子がお産のためにこの家に帰ってきたときも、ここで暮らしていました。ちなみにこの雛壇は、彼女が中学生の時からずっと出しっ放しになっています。それ以前はちゃんと毎年片付けていたんですがね」


「はぁ……」


 夫人の話を聞いているうちに、真夏にもかかわらず俺は肌寒さを覚え、身震いまでしたくなってきた。なんだかよくわからないが、この部屋には闇が潜んでいる。それも、とてつもなく深い、魂まで引きずり込まれそうな底なしの闇が。


 普通、女性は「婚期が遅れる」と言って、三月三日が過ぎたら雛人形は早く片付けるものだ。伝統ある良家の子女である思羽香がそのことを知らない筈がない。それを、ジャーマンスープレックスばりに放りっぱなしにしていたということは……。


「ところでこの雛人形、結構変わっているでしょう?私、実は古いお人形を収集するのが趣味でして、娘のために全国各地の人形を集めたんですのよ」


 そう言われてよく見てみると、なるほど、人形たちは皆それぞれ奇妙なポーズをしており、まともに座ったり直立したりしているものなど一つもない。


 お内裏様とお雛様からして、まるでダンスを踊るように手と手を取り合って向かい合っているし、三人官女は長柄や三方の代わりに扇子を持ち、優雅に舞っている。


 五人囃子はもはや上海雑技団か絶倫アクロバットおやじ並みに飛び跳ねており、まるで格闘ゲームのような騒がしさだ。


 なお、その他にも梅の木の周りを子供たちが輪になって何やら遊んでいる人形集団や、昔話に出てきそうな二人組のお爺さんや、妖怪のごとき謎の生物など、尋常の雛壇には生息していないと思われるキャラクターが多数見受けられた。


「確かに変わり雛にも程があるとは思いますけれど、これがどうかしたんですか?」


「あなたに本当に見て頂きたいのは、一番下の段の左端にあるこれです。とくとご覧になってくださいまし」


「一番下の段の左端……ってこれですか?」


 俺は何の気なしに、彼女の指差す方を覗き込み、



 恐怖のあまり、絶叫した。



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