第百十八話 ゼ○シィって買ったことないけど婚活漫画とか載ってるの?
「どうされましたか太郎さん、ボーっとして」
「い、いえ、昔初めて来たときのことを思い返していただけですよ」
俺は海野桐にそう答えると、気まずさを隠すように、湯飲みに口をつけた。
熱々の番茶が口腔内に満ちて、暑さに拍車を掛けるかと思われたが、外からの涼風のせいか、あまり気にならなかった。
「フフ、さぞかし驚かれたでしょう」
確かに彼女の言う通り、俺はちょっと度肝を抜かれた。あの冬の日、結婚届に速やかにサインさせられ目出度く退院した俺は、海野思羽香、いや、砂浜思羽香の運転する車で拉致同然にここ老舗料亭、「万香楼」に連れ去られた。
武家屋敷を彷彿とさせる黒塀に囲まれた二階建ての木造建築は歴史の重さを感じさせたが、なぜか冬枯れの前庭に塩をてんこ盛りにした古タイヤが置かれているのが謎だった。
更に玄関に血の滴るクマの生首と一緒に「み○ゅらんお断り」の張り紙がしてあったため、ようやく俺は理解した。
「うちの父親は相当な頑固者なので、おそらくひどいことを言われると思うけど、許してやってね」と師匠じゃなかった俺の奥さんは、申し訳なさそうに呟いた。
「別に気にしないよ。いきなり全てを省略して席を入れちゃったんだから、どんな罵詈雑言でも甘んじて拝聴するつもりさ」
俺は拳を握りしめて覚悟完了し、当方に土下座の準備有ることを自らに言い聞かせた。
正直すべてが夢の中の出来事のようで、地に足がついていなかった。だって俺、今まで女性とお付き合いもしたことないのに、いきなり花婿ですよ? 信じられます奥さん?
「ただいま、お父さーん、お母さーん、前話した、砂浜太郎さんをお連れしたわよ! 私たち、今日結婚したの!」
彼女は引き戸を勢いよく開けると、中に大声で叫んだ。
「は、初めまして。砂浜太郎ともう」
します、と後を続けたかったのだが、それは許されなかった。
なぜなら廊下の奥から破裂音とともに撃ち出された何かが俺の頭髪を掠めたからだ。
明らかに銃弾と思われるそれは、庭の松の木の枝を叩き折ると方向を変え、地面に突き刺さってようやく止まった。
「ひええええええええええええっ!」
「チッ、外したか」
情けなくも悲鳴を上げてその場に座り込む俺の前に、未だ硝煙の立ち上る狩猟用ライフルを手にして山シャツとジーパンを履いた、まさに山男を体現したような初老の男性が現れた。
「お父さん! なんてことすんの!」
「それはこっちの台詞じゃ! 結婚じゃとおっ!? 寝言は寝て言わんかい、馬鹿もん!」
思羽香にお父さんと呼ばれたその男……多分、彼女の父親の海野李白氏は、銃声にも劣らぬ怒声で喚き立てると、再び筒先をこちらに向ける。俺は慌てて腰を浮かすとなんとか逃げようと試みた。
いくら決死の覚悟で挨拶に来たとはいえ、新婚早々さすがにこんなところで徒花を咲かせるわけにはいかない。初夜だってまだなんだ。
まったく、こんなことならゼ○シィでも購読しておいて、「お義父さんに猟銃で撃たれた時の対処法」を勉強しておくべきだったぜ!
「あなた、やめなさい!」
俺の背後から、凛とした声が響く。つい振り返ると、そこに藍色の友禅染の着物を身に纏い、紫色の風呂敷を手にした初老の女性が立っていた。
「桐、そこをどけぃ! 邪魔じゃろうが!」
「いつも言ってるでしょ、撃っていいのは調査員だけだって!」
何やら物騒な会話が、李白氏と、桐と呼ばれた女性……多分、思羽香の母親の海野桐氏の間で交わされる。
「もう一遍だけ言うぞ桐ちゃんどいてそいつ殺せない! そいつは何もわかっとらんのじゃ! 思羽香が今まで何をしでかしたのか、どんな奴かってことをな!
知っていたらとても結婚なんてことは口に出す事すらできんわい! その身体が蜂の巣になる前にとっとと消え失せろ!」
李白氏は明らかに俺に対して標準を調節しながら、鉄砲玉のようにぼんぼん罵声をぶっ放す。さすがに俺もかちんときて、つい言い返してしまった。
「いえ、僭越ながら思羽香さんのされたことについては、自分はよく理解しているつもりです!
確かに普通だったらとても許されることではありませんが、やむを得ない事情があったのも確かだと思います!
そういう過去の一切合財すべてをひっくるめて僕は娘さんと一緒になりたいと心から願っています!
順番が逆になって誠にすいませんが、どうか自分たちの仲を認めてください、お義父さん!」
「ならん!」
返事とともに、またもや凶弾が発射され、俺の背後の庭石を打ち砕いた。
「貴様は本当にこれっぽっちも娘についてわかっておらんようじゃな! この糞ガキは今わしが撃ったそれと全く同じなんじゃ!
金輪際口をきくな! 去れ! 二度と来るんじゃない! 今度は殺す!」
射撃魔と化した男が喋るたびに俺の耳元やら首筋やら付近を弾丸が飛び交い、ソニックウェーブを轟かせた。
そこから先は意識が闇に沈んだため、覚えていない。