第百八話 コロコロコロコロコロンバイン!
「要因の一つだぁ? 要因そのものじゃないか、先生。私が何も知らないとでも思っているのかい?
あの日から私は、奥村伸一や天神病院、そして先生のことを、あらゆる手段を使って調べ上げた。
そして確信したよ。あの猫背の糞ったれが凶行に及んだ最大の理由は先生の処方した薬の副作用だってね。
何故山田くんに頼んでまで、第二の予言を病棟に記したと思う?
先生があれを見つけて、自分の犯した罪に気付くようにという、私のいきな計らいだったんだよ!」
「……」
女医は反論しなかった。だが俺には理由がよくわかった。
激情に駆られた者は他人がいくら言葉を尽くしても、火に油を注ぐ結果になりかねない。
ここは一旦復讐者の熱が冷めるのを待った方が得策だ。
なにしろ今、俺たちの命の綱を握っているのは武則天や西太后もかくやというこの女帝なのだから。
俺は、四肢を切断され壺に放り込まれて観賞される王妃の気持ちをとくと味わっている心地だった。
「奥村伸一に使った抗うつ薬、デュプレオンの件なら私も後悔している」
数分とも思われる静寂の後、ようやく沈黙を破った高峰先生は、こう話を切り出した。
「デュプレオンは選択的セロトニン再取り込み阻害薬、通称SSRIという抗うつ薬であり、神経細胞間、すなわち神経シナプスで減少している神経伝達物質のセロトニンを増やし、抑うつ症状を改善する効果を持つ。
SSRIは従来の抗うつ薬よりも副作用が少なく、発売以来絶大な人気を誇り、うつ病治療の第一選択薬として売り上げを伸ばしてきた。
私も、MRどもの甘言につられて、当時よく使っていたよ。まったく愚かだった」
「……」
女夜叉の形相の復讐鬼は、一言も喋らず、女医の言葉に耳を傾けている。一言も聞き漏らすまいとするかのように。
「しかしSSRIには様々な問題点があることが、徐々にではあるが分かってきた。
非常に厄介なものはアクティベーション・シンドロームという副作用であり、中枢神経が刺激され、焦燥、衝動性といった症状が引き起こされ、攻撃的になってしまうというものだ。
元々うつを治すためのものが、正常状態を超えて、躁状態にまで精神状態を高めてしまうと言えば分かりやすいだろうか。
さらに自傷行為を誘発する場合や離脱症状もあり、かえって危険な場合もあることが判明した。
そして、これが一番の問題点であるが、大量殺人犯など、社会的に大きな影響を及ぼした事件の犯人が、このSSRIを服用していたというケースが次々に現れた」
「それで?」
憤怒像の如くまったく同じ表情のまま、思羽香が続きを促す。俺はこの場にいること自体が息苦しくなってきた。ああ胃が痛い。
「例えば1999年にアメリカで起こったコロンバイン高校銃乱射事件では、13人が殺害されたが、犯人のエリックはSSRIのルボックスを内服していた。このためルボックスは一時発売中止まで追い込まれた。
アメリカ史上最悪の銃乱射事件である2007年のバージニア工科大学銃乱射事件や、同年のネブラスカ州ショッピングモール銃乱射事件でも、犯人は抗うつ薬を服用していたといわれる。
他にもSSRI内服の関わる大量殺人事件を挙げればきりがない。そして、デュプレオンでも同様の事件が起こっていたが、当時の私はそんなことすら知らなかった」
「ふん、随分正直じゃないか、先生」
眉間を歪め、目元に皺を寄せたまま、思羽香の口元が笑みへと変わる。
「その続きは私が話すよ。デュプレオンに纏わる情報を調べた私は、次にキャバクラに通う天神病院関係者に目を付けた。
ちょうど勤め先が医者や看護師などの医療関係者が良く入り浸るお店だったもんでね」
「……そこで山田のアホンダラを籠絡した、と」
「先生、理解が良くなってきたじゃないか。やっぱ愛しいマイ主治医なだけあるわね。
そうさ、あのマッチョくんは聞いてもいないことまでベラベラとピロートークしてくれて、こっちの張り合いが出ないくらいだった。
現在の奥村伸一の入院環境や服薬状況、その病棟の他の入院患者達、そして伸一の主治医の先生のことまで寝物語に教えてくれたよ。
私の目的のことは気付いていたのかどうかは分かんないけど、脳筋男だったから、欲望の代価として何でも情報提供する程度にしか考えていなかったんじゃない?」
「……」
呆れて言葉も出なかった。だが、この海千山千の妖怪並に手強い女傑の手管にかかれば、山田など赤子のようなものかもしれない。
「そして察しの良い先生のことだからとっくにお気付きだろうけれど、先生の今いる場所の一歩先は、彼が必死こいて作ってくれた落とし穴になっているのさ。
中にはこの砂丘の砂がたんと入っていてね、落ちたらまず助からないだろうね。
いつもクールビューティーな先生を驚かせてあげるために掘っておくれよベイベーってしなを作ったら、快くOKしてくれたよ」
「そうか、それで昨日脱走兵がこの場所を踏もうとしたとき、慌てて俺の後ろのレディに阻止するようこっそり伝えて、おっぱいビームを発射させたわけか!」
俺はようやく合点がいった。あのアイコンタクトにはわけがあったのだ。
「あいつめ……やっぱり許さん!」
再度沸々と込み上げてくる怒りを、高峰先生は再度何とか押し殺そうとするが、中々難しく、再度言葉に出してしまったようだ。
「どうやら長話をしちまったようだね。お月様もあんなに高く昇ったし、ちょいと寒くなってきたね」
わざとらしく身震いする思羽香は、明日遊園地にお出かけする幼子のように、とても楽しそうに見えた。