第百六話 はてしない物語のサイーデは正直抜けますね
「どういうことじゃアドレット……じゃなかった砂浜太郎君!?」
俺の名推理を受けて錯乱した高峰先生が、よくわからん妄言をぶっ放した。何故か俺は一瞬地上最強の男になった気がした。
「なるほど、さすが名探偵さんだね。だけど、証拠はあるのかい?」
「ああ、今日の日中、伸一のゴミ箱の中身が回収される前に急いで調べたら、案の定、ティッシュに包んだべとべとの錠剤が見つかった。多分、これが口の中に隠しておいた睡眠薬だろう。
そして、珍しい和紙の小さな紙袋も発見した。これはこの前俺が師匠に坐薬を貰った時に包んで貰ったものと同じだ。
おそらくこれに睡眠薬代わりの薬を包んで彼に渡したんじゃないのか?
多分、ちゃんと調べたら師匠の指紋とか、入っていたものもわかるかもしれないね。
警察はまともに捜査なんかしてくれなかったんで、見落としてしまったんだろうけど」
「ほう、結構やるじゃないか。でも、彼はなんだってトイレに顔なんて突っ込んだんだよ?」
思羽香はあくまでとぼけるようだが、俺もそこは抜かりなかった。
「占いには水鏡占いってやつがあるらしいな。深夜十二時に口に刃物を咥え、水を張った桶やたらいなどを覗きこめば、未来の結婚相手が見えるってやつが。
師匠、あんた奥村伸一にこう言われたんだろ。『今の妻と別れたいけど、再婚相手が出来るかどうか不安だから、占って欲しい』とかなんとか」
「……」
またもや無言。でもそれはそれで雄弁な回答だ。
「そしてあんたはこう返したんだろ。『水鏡占いをやれば確実だけど、この病棟は刃はご法度だから抜きにしてもいい。但しそれの代わりになるものを口に咥えてやればいい』なんてね。
ついでに水面が良く見えるよう便器でやることもお勧めしたのか?」
「だ、だが、あのドラゴンボールマルチバースとかいうエロゲーキャラは何だったのだ?」
「マルチですってば、高峰先生! つまり、奥村伸一は、『刃』を『葉』と勘違いして、『Leaf』のキャラで、彼の唯一知っているマルチを絵に描いて持って行ったってわけですよ!」
「なんじゃそりゃあああああああ!」
遂にブチ切れた女医が咆哮した。俺もできる事なら今すぐエイトセンシスに目覚めて、三途の川の向こう岸に逝ってしまった殺人鬼の大馬鹿野郎の頭を思い切り引っ叩き、「わかりにくいことすんなや!」と突っ込みたい気分だった。
「凄いね砂浜君、惚れ直したよ。まるで見て来たように語るじゃないか」
思羽香が掌を返したように賞賛の言葉を贈る。本意かどうかは甚だ怪しいが。
「師匠の教えのたまものですよ。あの日を犯行に選んだのも、わざと自分で騒ぎを起こして、病棟全体がどたばたしていたからだろう?
それで内服確認や見廻りが手薄になって、監視が疎かになるのを狙ったんだ。駄目押しに俺の後ろのレディに三文芝居を上演させ、深夜十二時の回診を取り止めさせたってところか?」
「ち、違うよ。あれは本当に調子が悪かったんだ!」
レディ改め高山茜の野太い声が、俺の背中に突風の如く当たる。だが、彼女の主君たる思羽香は、部下をなだめるようにかぶりを振ると、
「いいさ茜、どうやらこの御人には全て丸っとお見通しのようだ。潔く認めようじゃないか」と呟いた。
「あの日私が興奮状態のふりをして暴れたのが合図だったのさ、奥村と茜に対するね。
私が不穏になった場合は、奥村には、内服をこっそり中止し、十二時前からトイレに籠って、私の渡した代わりの薬を飲んだ後、便器を覗き込むよう伝え、茜には十二時前後に看護師に聞こえるように騒ぎを起こせと指示を出してあったのさ、前もってね。
茜には、以前から、調子が悪い振りをしておくように言ってあったし、誰も疑問に感じないだろうし」
彼女は黒髪を手で束ねると、今や何物にも覆われていない、新雪のように白いうなじを誇らしげに見せつけた。
「もっともかなり運任せの要素も大きかったけどね。奥村が私の薬を飲んで朦朧状態となって便器に嵌って窒息死する可能性は、起こる割合も高いけれど、起こらない場合だって勿論ある。
まあ、たとえ失敗しても、『あの日は星めぐりが悪かった』と言い訳してまた後日再トライさせればいいわけだし、最悪別の手段を考えれば済む話さ。いわゆる、未必の故意ってやつですか?」
「そんないいかげんな未必の故意があるか!」
こんな緊迫時にも関わらず、つい突っ込んでしまうのは、彼女の不真面目な態度ゆえか。
「砂浜君のそういうところ、好きだよ。でも、別にこれが初めてじゃないのさ。
以前にも私が離院騒ぎを起こしたとき、茜に、彼に突進してあわよくば事故に見せかけ殺してくれって頼んだんだけど、さすがに失敗しちゃったしね。
私がいなければ、まさか疑われることはないからね。今回だって私が隔離室に入っている間に事件が起こったでしょう?」
「なるほど……」
思わず納得してしまい、俺は感嘆の意を表した。確かにこれはプロバビリティーの犯罪だ。全てははるか以前から仕組まれていたのだ。
「とにかく、これで一つはっきりしたことがある。海野思羽香よ、お前は統合失調症と診断されていたが、精神疾患にかかってはいないな」
少しばかり落ち着いた高峰先生が、患者を診察する眼差しで、思羽香を捉えた。
「お前が被害妄想の悪化などによって、許されざる所業に手を染めたわけではないのは、今までのやり取りから一目瞭然だ。
強い妄想に支配された者が、ここまで理論的かつ計画的に、長期間にわたって犯行を犯せるわけがない。
お前には心神喪失も心神耗弱も毛ほども見られない、つまりは刑事責任能力が十全にあると言わざるを得ない」
「ど、どういうことですか?」
今度は俺が動揺してしまった。
「つまり、彼女は精神病を装ってたってわけだよ。奥村伸一を殺すためだけにな!」
「えええええええええええ!?」
再び絶叫が虚空に轟き、潮騒と同化していった。