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第百五話 便便便器その2

 永劫の時の彼方から続く波の音が、蛙の鳴き声とともに合唱となって鼓膜を震わせる。


 真円から少しばかりダイエットした月がぽっかりと中天に浮かび、夜の砂丘を青白く染め上げている。


 まるで夢の中のような幻想的な光景だったが、両腕の痛みがこの世界が現実であると物語っていた。


「どうだい先生、いい眺めじゃないか。ちょっとここで時間外診察でもしておくれでないかい?」


 黒いワンピース姿の海野思羽香が、夜風に黒髪をなびかせながら、歌でも口ずさむようにのどかに話す。


 南1病棟周囲の畑と砂丘の境界の竹柵付近。そこに思羽香と高山、高峰先生、そして俺の四人は立ちすくみ、眼下の景色を見やっていた。


 俺と女医は、それぞれ両手をマイメ○ディ柄のフライパンを二つ繋げたような巨大なブラ(ひょっとしてパンティとセットなのか?)でぐるぐるに縛られ、後ろからファミコン版オルテガそっくりの高山に掴まれている。


 病棟の非常扉は、思羽香が女医から奪い取ったマスターキーですんなりと開いた。


「お前さん、ナースセンターのモニターでずっと私たちの様子を見物していたんだな? 


 でなけりゃあの隔離室に隠れたことをすぐ突き止められるわけがない」


 高峰先生は敢えていつもと同じ態度で彼女に問い掛ける。そうだ、まだ闘いは終わっていない。むしろこれからだ。


 何故先程止めをささず、俺たちをこんな場所に連れて来たのか、一から説明されねば分からぬほど、俺も馬鹿ではない。


 殺してから別の場所に運んだ死体と、その場で死んだ死体とでは、天地の差がある。


「御明察! 茜がちと苦戦していたから、ちょっとばかりリアル鬼ごっこの手助けをしてあげたんだよ。


 彼女だけじゃ一晩中かかりそうだったからね。さすが先生様だよ」


「どういたしまして。しかし、ということは山田や浅尾もお前のしもべってわけなのか?」


 皮肉を返しつつも、女医はどうしても確認しておきたかったことに話題を振る。それは俺も是非知りたいところだった。


「浅尾って子は良く知らないけど、山田くんなら、昔っからあたしの大ファンだよ。先生、知らなかったのかい?」


「今初めて知ったよ! てことは、キャバ嬢時代の客だったのか?」


 俺も山田がキャバクラ好きで有名なことを思い出す。奴なら確かに有り得る話だ。


「ピンポーン! あの筋肉くんは私に大のぞっこんで、この病院のことを色々と教えてくれたもんだよ。


 もっとも他の職員には私との関係共々内緒にしてくれって釘刺されたけどね」


「あいつめ……!」


 沸々と込み上げてくる怒りを、高峰先生は何とか押し殺そうとするが、中々難しく、言葉に出してしまったようだ。


 しかし患者と看護師が知り合いだということは、確かにあまり望ましいことではないだろう。


 治療や扱いに私情が入る可能性があるし、なるべく知られたくない気持ちは分かる。


「だが、惚れてるだけでお前の言うことをここまで聞くものなのか!? 


 コントロールパネルを操作して電子ロックをいじったのも、お前をナースセンターに忍び込ませたのも、そして浅尾を休憩室に追いやったのも、全部あいつの仕業なんだろう?」


「先生のおっしゃる通り、彼が率先して動いてくれたよ。ま、確かに愛の力じゃそこまではやってくれないだろうがねぇ、あの人にゃ弱味があるもんでね」


「奥さんに、関係をばらすとかか?」


「それも勿論あるけど、彼は私に結構借金していたんだよ。昔のつてで、あのマッチョくんにいいハーブを教えてあげたらドはまりしちゃったんでね」


「貴様……一体何が目的なんだ?」


 高峰先生は声音を落としてドスを利かせ、思羽香をねめつける。


「まーだ分かんないのかい? 色々ヒントは出してあげたのに。先生、私のことクンクンと発情期の犬みたいに嗅ぎまわっていたじゃないか」


「そこまで知っていたのか……」


「うぐぐ……」


 女医と俺は、自分たちが釈迦の掌の孫悟空だと気付き、愕然とした。だが、こちらにも切り札がある。


 せめて小便でも引っかけてやらないことには気が済まない。逆転のチャンスは必ずある。


「どうしたんだい、お二人さん。もう降参かい?」


「うるさいやい、師匠の言うところの神罰とやらは、とっくにネタがばれているんだ!」


「へー、現場にいても分からなかったっていう君が、謎を全て解いたっていうの?」


 思わぬ俺の逆襲に、思羽香の嘲り声が1オクターブ跳ね上がる。


「ああ、奥村伸一の同室者に俺がいたのは誤算だったな、インチキ占い師さんよ。


 彼はあの晩に限って夜寝付かなかったくせに、死後の血液検査から普段通りの量の睡眠薬が検出されている。これこそが、彼の死因そのものだ」


 俺は遂に事件の核心に触れた。途端に思羽香の口元に、注意しないと気付かない程度の変化が走る。


 笑みが固まったのだ。どうやら方向性は間違っていないらしい。俺は続けた。


「彼は就寝前の服薬時に、わざと薬を飲まず、舌裏かどこかに隠しておいたんだ。


 そうして眠ってしまうのを防ぎ、夜中にトイレに行ってから師匠に事前に渡された薬を、同じ睡眠薬とは知らずに飲んでから便器を覗き込み、突如訪れた眠気に抗えず、溺れ死んだのさ。


 多分、『就寝前薬を飲んでないのが採血でばれないように、同じ成分だけど眠気のこない薬をあげるから、実行前に飲んでおきなさい』とでも言われたんだろう。


 かわいそうに、あの猫背じゃあ一度睡魔に襲われて便器に嵌ったら、そう簡単に自力で脱出出来なかっただろう」


 思羽香は無言のままだった。身に纏う雰囲気は一変していたが。

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