第百二話 ア○ル探偵と変態仮面
『なぜ人は、おま○こがあるのに、ア○ルを使うのだろう。
ア○ルは臭いし、痔になるし、下痢になる。
それでも人は、ア○ルを使い続けた。
これはもしや、進化の途中でア○ルが、おま○ことア○ルに分かれたことと関係しているのではなかろうか。
鳥などは未だに穴は一つだから、それを使うしかないが、人間も遠い昔の記憶が、ア○ルに挿入すると蘇るのだろうか。
by ア○ル探偵』
「なんじゃこの文章はあああああああ!?」
俺は、あまりに蒸し暑いので不本意ながらも篠原から借り受けた扇子を自分のベッド脇のゴミ箱に叩き付けた。
ちなみにゴミ箱の中身は毎日夕刻になると回収されるので現在は何も入っていなくて綺麗なもんだ。単なる嫌がらせである。
今回のに限ってやけに長文が書かれていたので、暇つぶしに暗闇で目を凝らしてついつい読んでしまった俺も悪いが。
「まったく、夜中に大声を出さないで下さいよ、エロティカ祭り!」
「怒鳴りたくもなるわ、こんな怪文書! 何が言いたいんだよ!?」
「それ僕が書いたんじゃなくて、特別観察室に入院中の、自称探偵さんの仕業ですよ。
何故かずっと呼吸器をつけている方で、喋ることも碌にできないんですが、ア○ルに関する造詣が深いため、筆談でいつもお話ししているんです。
この前手持ちの紙がなかったんで、扇子をメモ代わりに使ったんですよ、レインボー祭り!」
「知るか! 暑いし眠れんし、ちょっと涼みに散歩に行ってくる!」
「はい、お気をつけて、間々観音龍音寺!」
まるで愛妻のような篠原の見送りに完全無視で答えると、俺は看護師に見つからないよう足音を忍ばせて、廊下に足を踏み入れた。
時間はまだ九時半近くだが、今日は普段のような叫び声やドア叩きの音は一切なく、気味が悪いくらい静まり返っていた。
(何かがおかしい……)
いつもとやや異なる病棟の雰囲気に、俺の五感が違和感を告げる。
しかし何がおかしいのかと言われると、具体的には何とも答えようがなかった。
ちょっと考えすぎかもしれないと思い直し、とりあえず目的もなく隔離室の立ち並ぶ方へと歩を進める。
海野思羽香の隔離は先程解除され、自室に戻ったと篠原から聞いたが、現在会いたい気分ではなかった。もっともこんな夜間に訪室できるはずもないけれど。
実は、彼女の関与を示す証拠と思われるブツはある程度入手していた。これを見せて改心を迫ろうというのが俺のお粗末な計画だったが、果たしてどうすればよいのやら……。
何十人もの人間が存在するとは信じ難いほどの静寂さに包まれた広大な病棟は、生ある者全てが死に絶えた終末の世界さながらで、俺の靴音だけが規則的に響き、水面に落ちる水滴のように、無音の空間をどこまでも貫いていった。
女子トイレのある曲がり角に差し掛かった時である。俺はふと、白衣の人影を進行方向に認めた。
夜闇に眼を凝らしたところ、高峰先生に間違いなかった。今夜も当直なのだろうか。ご苦労様である。
(今はあまり顔を合わせたくないな……)
なんとなく後ろめたい俺は、なるべく音を立てないように注意しながら、そっと彼女を見守った。
高峰先生は廊下の奥まった場所へゆっくりと移動する。曲がり角から少し突き出した部分で、女子トイレの入り口を行き過ぎた辺りだ。
突き当たりには窓があり、月光に照らされた青々と茂る木々の葉が、潮風に吹かれて穏やかに葉擦れを奏でている。
俺に絵心があればこの風景をバックに女医の絵でも一枚描くのに、と他愛もないことを夢想していた丁度その時である。
「ぐっ!?」
急に女子トイレから大柄な人影が飛び出し、背後から女医に忍び寄ると、丸太のような太い腕で彼女の細い首筋を締めあげた。
力強い右肘が喉に押し潰さんばかりに当たり、反対側から伸びてきた左腕を掴んで左右から挟み込む。
いわゆる格闘技でいうところの裸締めに近い形だ。状況が飲み込めない女医は、咄嗟のことに対応できず、目を白黒させるのみだ。
(だ、誰だ……一体!?)
俺も、動転してつい声を上げそうになったが、ここで叫んでは怪物に気付かれると悟り、咄嗟に口に手を当てて耐え忍んだ。
怪人物は何故かパンツ一丁で、キ○ィちゃんの柄の巨大なかぼちゃパンツを変態仮面の如く頭に被っており、素顔は確認できなかったが、あの相撲取りのようなシルエットは、夜目にも見覚えがあった。
(あれは……高山茜!)
間違いない。退魔忍もびっくりの母乳系忍法の使い手の巨漢・高山茜その人だ。いくら顔を隠しても、あの特徴的な汚い裸体は忘れもしない。
しかし、普段は一応意思疎通が取れるのに、一体全体どうしてこんな暴挙に出たのだろう?
今回の愚行は、いつもの突発的な暴走とは異なり、何やら意図的なものを感じる。
女医は、何とか引き剥がそうと相手の両腕を引っ張るも、万力の如くびくともしない。
とにかく一刻も早くこの凶悪な腕を振りほどかなければ、またもや院内で異状死体の一丁上がりだ。
頸動脈が圧迫され続けると失神し、最悪死に至ると、どこかで聞いた覚えがある。
(落ち着け……まずは武器を捜すんだ)
俺は右手でズボンのポケットを漁ると、指先がメモを取るため突っ込んでいたボールペンに触れた。
カチカチとノックして先端を出すと密かに抜き出し、スネーク大佐の如く静かに、足音を忍ばせて組み合う両者に後ろから近付いていく。
十数メ-トルしかない廊下が無限の長さに感じられたが、一歩一歩、着実に距離は狭まっていった。
(よし、今だ!)
遂に至近距離まで達した俺は、あらんかぎりの勇気を振り絞ると、気合いを入れて、安物のボールペンを伝説の剣よろしく、後ろから怪物女の右肘に勢いよく突き立てた。