日本人が初めてアイスクリームといふ菓子を食した際の話
時は万延元年(1860年)の一月。
米国海軍のジョージ・ピアソン大佐が艦長を務める米艦ポータハン号に乗船した日米通商使節団の一行は、随艦の咸臨丸共々、米国はサンフランシスコの地へと辿り着いた。だが、旅はまだ途上である。
此度の旅の目的は、日米修好通商条約の批准。
批准書を大統領に渡す為には、サンフランシスコから遥か遠きワシントンの地へと向かわねばならぬ。
使節団の一行は、サンフランシスコにて数日を過ごした後、米国政府の寄越した送迎船フィラデルフィア号へと乗り換えた。
運命の出会いがあったのは、数日の後。
亜米利加の領海、ワシントンの地へと進むフィラデルフィア号の船内の事である。
「これは、なんと珍奇な!」
「柳川殿、この菓子は『あいすくりん』といふ名だと、米国の者が申して御座った」
晩餐の席にて米国側が供した珍しき菓子は、日本の使節団の面々に大いなる感嘆をもたらした。これこそが日本人とアイスクリームとの出会いであった。
使節団の一員である柳川当清は、当時の航海日誌にこのように書き記している。
「珍しきものあり。氷を色々に染め、物の形を作り、是を出す。味は至って甘く、口中に入るるに忽ち溶けて、誠に美味なり。之をアイスクリンといふ。」
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なお、この話にはオチがある。
「『あいすくりん』か、見事なり。これは他の皆にも食わせてやらねばなるまい」
他の用事によりこの場へと来れなかった仲間の為、柳川氏は懐紙を取り出してアイスクリームの残りを包み、懐へとしまっておこうと考えたのだ。結果は言うまでもないだろう。
「な、なんと……『あいすくりん』が!?」
溶けたアイスクリームでベトベトになった服を洗うのには、柳川氏もさぞや難儀した事であろう。
めでたくなし、めでたくなし。
セリフ以外はほぼ史実の羅列ですね。小説とはいったい……?
最後のオチは、史実なのか後で付け加えられた笑い話なのか調べた限りでは分かりませんでした。柳川氏の名誉の為にもフィクションだと思っておいた方が良いかもしれません。