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怨霊  作者: 卵焼き
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第一話

 沢田順平は教室の扉を開けた。静かに扉を閉め、目線を床に向け、大きな足取りでつかつかと歩き出した。喧騒が止みしんとなる。上履きの足音だけが響く。彼は気にする素振りを見せないように、まっすぐと自分の席に向かった。

 席に着いた時には、ひそひそとした話し声が彼を取り囲んでいた。それはすぐに大きくなった。「なんで来るの」「キモい」などという言葉が、棒でつつくように彼を攻撃する。彼は肩にかけていたかばんをがさつに机に置いて、椅子に座り、かばんの中の本を取り出して机に入れ始めた。

 杉田茂はポケットに手を突っ込んで足を放り出すように歩き彼に近づいた。


「やっぱり気持ち悪い顔だな、オマエ」


 杉田が声をかけた。かすれた声だった。途端にざわざわとした話し声が止む。

 沢田はそれを無視して、悠然と机に本を入れていく。


「オイオイ無視すんなよ、赤川に嫌われてる沢田君」


 教室中で笑い声が起きた。沢田は手を止め、杉田の方に顔だけをゆっくりと動かして、今にも食いちぎろうとするかのように杉田をじっと睨んだ。


「おお、怖い怖い。モテない男は怖いねー」


 ニヤニヤと汚い笑みを浮かべていた。


「赤川、何か言ったらどうだ?」


 杉田は赤川弘美の方を向いて言った。沢田は内心ビクビクしながら、見くびられないようできるだけ自然に斜め後ろの赤川の方へ顔を向けた。一瞬だけ視線が合って、目を丸くしていた彼女が見えたが、すぐに俯いて、見えるのは彼女の黒い髪だけになった。その様相を見ていた杉田は、かすれた声で笑って自分の席に戻った。


----------------------------------------


 昨日、沢田は一時限目の授業の前に、消しゴムを忘れたと教師に申し出ていた。


「誰か、消しゴム余ってるやつ、手を挙げてくれ」


 赤川が手を挙げた。


「私、持ってますよ」


 赤川に注目が集まる。


「じゃあ、沢田に貸してやってくれよ」


 それを聞いて、赤川はしばらく露骨に嫌そうな顔をしていた。その後、しまったというように口に手を当てた。


「ねえ弘美、今嫌そうな顔してなかった?」


 弘美の友人である篠田美和が言った。


「してないって」


「ふーん、ま、しょうがないけどね、あの沢田じゃ」


 教室に笑い声が起きる。教師もどさくさに紛れて笑っていた。


----------------------------------------


 沢田はこれまで受けてきたいじめを思い返していた。無視、陰口、暴力。どす黒い怒りがふつふつと湧いてくる。沢田はどんないじめを受けても、言葉で言い返したり睨んだりするだけで、決して手を出さなかった。厳格な父親から決して人様には手を出すなと、幼い頃に教訓として心の奥底に刻まれていた。しかし、どす黒い怒りは、幼い頃に刻まれた刻印を今か今かと壊そうとしていた。


「弘美、元気出しなよ」


「……うん」


 篠田は隣の席の赤川に話しかけている。沢田はじっと聞き耳を立てていた。


「私だってさあ、あの不潔で気持ち悪い沢田に消しゴムなんか貸したくないって」


 沢田は歯ぎしりした。


「まあ、不潔な沢田じゃなくて、イケメンでかっこいい中村君なら喜んで貸したけどさ」


 沢田はここで、何かが切れるのを感じた。立ち上がって二人の元へ向かう。


「……ふふ」


「あっ、弘美笑ったー」


「ふふ、笑ってな……」


 見ると、眉間にしわを寄せ口を閉じ、顎を引いて、耳まで赤くなった顔をした沢田がいた。何かに取り憑かれたようだった。沢田は黙って拳を作り、振りかぶって、篠田の顔へ素早く振り下ろした。

 ゴンという音がした。

 篠田は椅子から放り出された。教室が静寂に包まれる。その静寂が沢田にとって痛快で、思わず顔がにやけた。しかし、頭が冷えると、後悔の念が沢田を襲った。

 教室から悲鳴があがる。沢田は逃げるように廊下へ飛び出した。


 既に朝のホームルームが始まっている時間である。沢田は屋上の隅にいた。涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、喉を上ってくる嗚咽の声を殺していた。そんな今の自分を惨めに感じ、胸が締め付けられる。そしてまた、ひくひくと嗚咽の声を殺すのだった。


「おぉ……見える見える。気味の悪い怨霊が」


 女の声がして、沢田は息を呑んだ。振り返ると、そこには背の高い女子が立っていた。


「全く、男だというのに情けない」


 沢田は、ひどい自己憐憫感がぶり返して胸が張り裂けそうになった。嗚咽の声が喉を上って詰まりそうになる。


「しかし……泣きたい時は泣くのも良かろう」


 柔らかな、包み込むような声だった。その女子は軽く手を広げた。沢田の目から涙がどっと溢れ、胸に飛び込んで声を上げて泣いた。沢田は背中をさすられながら、子供が親に泣きつく時のような甘い充足感に身を委ねた。



 気持ちが割合い落ち着いてきて、沢田は自分が女の胸に顔を埋めているのに気づき慌てて女から離れた。


「……すいません。胸を貸してもらって」


「ははは、別にかまわん。それで、なぜ泣いていたんじゃ?」


 沢田はこれまでの経緯を説明した。


「……うーむ、そうかそうか、それは辛かったのう」


 また涙が出そうになった。堪えて、先程の気になったことを尋ねる。


「怨霊、というのは?」


「……怨霊というのは幽霊みたいなもんじゃ、わしは寺の娘でな、そういった類のものについては詳しいぞ」


 沢田はこの女子に感謝こそしているものの、怨霊や幽霊といったオカルトに興味はなく、信じていなかったため、適当に流すことにした。


「くくく、信じていないじゃろ?しかし、すぐに信じることになるじゃろうな。なぜなら、お主には相当な怨霊がとりついているようじゃから。何かあったらまたここに来ると良い。暇な時はここにいる」


 沢田は、休み時間にこの女子とオカルトの話をするのも悪くないと思った。


「そうですか、ありがとうございます。僕は二年の沢田順平です」


「……わしか?わしは……川澄恭子じゃ」


 川澄の髪が、一陣の風になびいた。

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