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あねとがたり  作者: トニー
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プロローグ


 高校一年生の終わりに、恋多き同級生が言った。

「赤城君のお姉さん、赤城君に恋してるのね」

 笑えないブラックユーモアだと思った。つまり、ただのブラック。ひたすら趣味の悪い黒ずくめだ。

 バカじゃねーのと返そうとして、言葉に詰まったのをよく覚えている。うっすらと埃の舞う部室で、冬の鮮やかな夕映えを背負い、彼女は触れれば爛れそうに艶めかしい笑みを浮かべていた。

「……色ボケで脳みそまでとろけたのかよ」

 辛うじて絞り出した悪態に、彼女はわざとらしく唇を尖らせる。

「すごく心外。ボケるほど溺れてないわ」

「ずぶずぶだろうが。何人男キープしてんだよ」

「数えてないから知らない。溺れさせてくれる人もいないし」

 こともなげな様子で、彼女は頬にかかる髪をすくいあげた。それを小造りの驚くほど繊細な耳へかけると、隣のパイプ椅子に腰掛けてくる。

「ねえ、冗談だと思う?」

 今にして思えば、何が、を言わなかったのはわざとだろう。

 浅はかにもとぼけてしまおうとした瞬間、ぎしりと錆びた椅子が軋んだ。吐息の混じり合う間近まで、彼女が顔を寄せてくる。

「本当よ。先輩ったら、赤城君のこといつも物欲しそうに見てるもの」

 ささやき声に混じって、彼女の匂いがした。

 シャンプーや香水とは違う生々しさが鼻をつく。薄っぺらい嗜好よりもずっと奥の感覚を刺激する、肉めいた匂いだ。危うさを覚えるほどに頭がしびれる。なのに、不思議と体を引こうという考えが浮かばない。

 どうにか口を開いても、出てくるのは無様にもつれた言葉だけだった。

「いや、おま――バカじゃねえの?」

「切羽詰まると小学生みたいなこと言うよね、赤城君って」

 可愛くて好きよ、と。

 冗談めかして言いながら、彼女はそっと身を引いた。ふわりとなびいた髪が、一際強い匂いを置いていく。それを意識してしまったこと自体が負けのような気がして、敗北感に肩を落とした。

「……心底ビッチだよな、お前」

「それも心外。これでも私――」

 言いかけて、彼女は不自然に言葉を止めた。

「やっぱりやめた」

「何だよ」

「赤城君、経験人数とか秘密にしておいた方が楽しい反応してくれそうだから」

「興味ねーよ」

「本当に? もしかしたらって、ほんの少しも想像しなかった?」

 人が人をこんなに嬉しそうにいたぶるのだから、戦争がなくならない理由も分かる気がする。

 もう何を言ってもからかいの口実を与えるだけだと悟って、無言を貫く。彼女はつまらなそう眉を寄せたが、ふっと肩の力を抜くと、パイプ椅子に深く寄りかかった。

「それで、先輩の話だけど」

「まだ言ってんのかよ。笑えねーぞ、それ」

「笑わせるつもりじゃないもの。あの人、本当に赤城君のことばっかり見てる」

 さっきと同じことを、さっきとは違う調子で告げられる。からかいの色がない言い草は妙に真実味があって、胸の中を騒がせた。

 少なくとも、彼女は本気で言っているのだろう。

 その上でなお、彼女へはっきりと断言した。

「ありえねーよ」

「ふうん……。どうして?」

 紡錘形の端正な目が、好奇に細められる。面白がっているのは明らかだが、それ以上に興味をひかれているようだった。大した野次馬根性だと思う。

 呆れつつ、脳裏に姉を思い描く。

 美しく、賢く、気高い人。真っ先に浮かぶその印象を、身内贔屓だとは思わない。むしろ、身内にさえそんなイメージを抱かせるほどに、姉は美しく、賢く、気高いのだ。

 だからこそ、姉は孤高だ。

「人を好きになる人間じゃねーんだよ。あの人は」

 我ながら、大仰な台詞だと思う。

 しかし、それは身内としての率直な感想だった。

「人に興味がないんだよ。自分一人でも生きていけるから、持つ必要もない。多分、一人の方が楽なんだろ。生半可なやつじゃ、そばにいたって足引っ張るだけだからな」

 くすくすと、彼女が心底おかしそうに笑った。

 やはり、大袈裟に言い過ぎたか。下手をすれば身内語りなんて自分語り以上に寒い。気恥ずかしさに顔をしかめると、彼女が思いもよらないことを口にした。

「もしかしたらって思ってたけど、赤城君も満更じゃないのね」

「は?」

「だってそうでしょ? 色々言ってたけど、否定したいなら一言で十分じゃない」

 目尻の笑い涙を指先ですくい取ると、彼女は再び顔を寄せてきた。

 鼻先に生ぬるい吐息が触れる。甘く湿った声で、彼女は楔を打ち込むように言った。

「俺と姉さんは姉弟なんだぞって。どうして、真っ先にそう言わないの?」

 胸の中の、思いがけず柔らかい部分を突かれたような気がした。

 一瞬、意識に空白が生まれる。その間に彼女は立ち上がると、軽やかな足取りで部室のドアへ向かった。そして、こちらが制止するよりも先に言い放つ。

「いつでも連絡して。相談だったら乗ってあげる」

 血のような夕映えに頬を染め、彼女は笑っていた。

「まあ、他人事なりに、だけど」

 それを直視することができなくて、赤城明人は逃げるように目を落とした。

 リノリウムの床に影法師が長く延びる。そののっぺりとした輪郭までもが、何故か自分をあざ笑っているように思えてならなかった。

倒錯的な姉弟物、というコンセプトで書いていくつもりです。苦手でなければお付き合いください。

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