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 未だ・・・・・・・

作者: 森本 義久

  未だ・・・・・・




1   ・・・2014 3 10・・




若い車掌が 車内に残る 数名の乗客の切符を回収に来た後 電車は 長い長いトンネルを抜けた。


急に明るくなった窓の外は いきなり大きな川の上だった  

これが高杉さんが言ってた 宿毛市の松田川だろう


「間もなく〜しゅうて〜〜ん すくも〜〜すくも〜〜 お忘れ物のないよう よ〜く お確かめのうえ 御降り下さ〜〜い  すくも〜〜すくも〜〜しゅうてんで〜〜す〜」


電車は 小さな街の上を スピードを緩めながらゆっくりと 四国西南端の地 宿毛駅に入っていった


『やっと着いたか・・・高杉さんの田舎に・・・』





AM6:00  スカイツリーがそびえる押上駅を出て 羽田空港からJALで1時間半 高知龍馬空港に着いた。 ターミナル前のリムジンバスで高知駅にむかい 宿毛行きの列車を2時間半待って電車に乗り込んだ それから2時間  もう午後4時を回っている


田舎にしては奇麗な宿毛駅を出ると ベスト電気 ドラッグストアー まるでラスベガスのようなパチンコ店と 割となんでもそろっていて それなりに住みやすそうな町だ

朝からまともに食事をとってなかったので とりあえず駅前のレストランに入って食事をした。


会計の時 20歳くらいの可愛らしいウエイトレスに 「吉名に行きたいんですけどどうやって行けばいいか 知りませんか?」 と聞いてみた

少し考えてから『吉名に行くには バスがありますが 2時間に1本くらいですよ そこの駅前から出ますが ちょうどにあるかどうか・・・タクシーの方が確かだと思いますよ』  「そうですか・・ありがとうございます」





駅前に戻って バスの時刻表を見ると 案の定バスは出たばかり

目の前のタクシー乗り場の運転手さんが2人 こっちを見て笑っていた








     2   2014  1 18



年初めの仕事も一段落したので 久しぶりに押上の実家に帰って来た


「まったく 正月にも帰らないで信也 母さんが心配するだろ   でっ 仕事のほうはどうだ? うまくやっているのか? 家賃払って食べて行けるのか?」

『まあなんとか・・・』

「もう 反対はしないけど 30にもなってから 漫画家なんてほんとうになれるのかな? お父さんにはわからん」

『先生からアシスタント料として 月20万貰ってるんだよ 他の人と比べたら特別なんだから』


「そうか   それなら良かった・・・・

それはそうと・・・ 前に話した高杉さんの話 信也覚えてるか?」

『高杉さん?  お父さんの職場の人でしょ? 前に何度か 家に来た時に話した事があるよ  たしか・・面白い人だよね』


ほんとうはよく覚えていた 高杉さんが家に来た時に 飲みながら話す 土佐の民話や不思議な伝説は 新鮮な興味を呼び起こした。

そして たまに帰ると お酒の入った父はよく 高杉さんの風変わりな内容の話を良く聞かせてくれるので 不思議な それでいて心が震えるような興味を持っていた。


『それで?』

「高杉さんの話が・・・ 当たっちゃったんだよ・・」

『どんな話が?』


「ほら いつだかここで 信也と3人で飲んでた時に “わかりました 阿部さんがそんなに山川さんが嫌いなら 僕が死んだ時に連れて行きますよ ・・・たぶん・・・3日以内にね・・” ってさ 笑いながら言うもんだから   “おお 頼むよ  じゃないと 俺が殺しそうだから”  って・・冗談だと思って・・・だってそうだろ?」


「うんうん覚えてる・・・それで・・・ 山川さんって 女の人だよね? 死んだの?」

「ああ 先週の水曜日か・・・ 新小岩駅の人身事故・・・ 信也 しらないか?」

『なにかニュースでやってたね またまた自殺か?・・・とか』

「それだよ・・・でも変なんだ・・」

『なにが?』


「ああ その日山川さんは 風邪気味で体調が悪いからと 夕方6時頃に早退して帰ったんだが 事故があったのがpm11:50  真っすぐ帰れば 40分で新小岩駅につくはずなんだが・・・」


『嘘をついて早退した・・・とか・・誰かと会ってた・・・とか?・・・』


「いや・・何日か経ってから その時の目撃者の話しや 警察の発表をテレビで見てたんだが・・・・


 向かいのホームにいた人が何人か見ていて 山川さんが 誰かに追いかけられてるように 快速線のホームの階段から飛び出してきて そのまま 階段の方を見ながらホームから落ちたらしいんだ・・・」

『えっ!  誰に・・・誰に追われてたの?』


「それがな・・ホームに居た人達が 急いで階段を下りて 快速線ホームに走り上がった時には すでに遅しで・・電車が 急ブレーキを轟かせながら通り過ぎていったんだって」


『それって 見た人達も 一生心にのこるよね』

「ああ そうだな・・」

『それで 山川さんを追っかけてたらしい人を 誰も見なかった?』



「そう  変だろ」   『うん』

「時間が時間だから 通路にも 人はまばらだったらしいんだ」 『うん』



『それで 肝心の高杉さんは?』

「そうそう・・・・・その夜 アッ! と思い出して 電話してみたら・・・」

『亡くなってた・・・・と?』   「ああ」

『いつ?』  「前日 お葬式だったって・・」


『不思議な偶然だね・・』


「それだけじゃないんだ 」   『なにが?』

「店長も死んじゃったんだ・・・」    『えっ!・・・・・・・・・???』


「山川さんのお葬式に行った店長が お寺の駐車場の塀と 自分の車に挟まって死んでたらしい・・」   『なにそれ?』


「うん だから 店長も連れて行かれたって・・・ みんな 言ってるよ  おかげで お店はなんだか 明るくなったけどな  はははは〜」


『山川さんと店長が なんで関係あるの?』


「まっ いろいろあるんだろ  俺もよくは知らないけど」










    3  宿毛駅から タクシーで30分ほど走った頃



「お客さん 吉名のどこら辺ですか?」

『住所は 吉名しか分からないのですけど・・・』

「この信号が吉名口で 左に曲がると全体が吉名言うがですけど 吉名は広いですよ 吉名の誰かんとこに行くがですか?」

『高杉義久さんの家を訪ねたいのですが』

「ああ 高杉さんね 分かりました」

『えっ お知り合いですか?』

「ええ 義久はしっちょるけんど 高杉言うたら この辺では昔からの大地主やけん 知らんもんはおらん   ほれ 右手のあの高台 あれは県民病院やけど 元は高杉家の土地で あそこからぐるりと左側の半分までの山や田んぼは ほとんどが高杉の家の土地や」

『へえ〜凄いですね』

「昔からや」


それにしても 通り過ぎる家々が やけに大きなお屋敷ばかりだ。


それから10分ほど走って車が止まった

料金を支払って車から降りると それは巨大な石の塀に囲まれた家の門だが

石に刻まれた 高杉家 の白い文字だけで インターフォンも何も無い

門から覗くと 石畳の道が延びていて 左右は松の木や 椿の花がみごとに咲いていて 大きな平屋のお寺のような家に続いている 




「ごめんくださ〜〜い  ごめんくださ〜〜い」 

声をかけてみるが やはり留守のようだ 

オープンになっている入り口から中に入って 30分ほど 見事な庭を見て歩きながら 帰りを待ってみたが 誰も帰ってくる様子もない。


・・・さて 明日 また出直して来よう・・と 門を出た


あたりは田畑が広がるばかりで 隣の家と言っても かなり遠くに離れていて 見渡すかぎり人っ子一人 犬猫さえ全くいない 

ただただ 高杉家から流れ出る 清らかな澄んだ空気 お香の微かな香りだけが 夕暮れに漂っている。




高杉家の門を出て 国道の方に歩き始めた時 軽トラが1台 急ブレーキの音をきしませながら真横に停まったかと思ったら


「おい! お前 そこで何しよるがぞ!」 


 !!!!!!!!うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


突然 大声で怒鳴られたのに驚いて 思わず逃げ出してしまった

「こら またんか!   こら!」

追いつかれて 襟首を押さえられて 引倒され 仰向けに抑え込まれた ・・・・タスケテ・・


『かつお こら ! 乱暴はやめろや!!』

 違う声がした


「けんどこいつ今 留守の義久んとこから 走って出てきたけん 泥棒やろう〜が?」    ・・・はしって・・ない・・・

『ええけん待て 先ず その手を離せ かつお!』

「ああ・・・」


馬乗りから解放されたが 状況がまったく理解出来ない

『お前 ここで何しよるがぞ?』

「ちょっと待ってください・・・今  今話します・・・」


見上げると 80歳くらいの老人と 作業服を着た50代のがっしりした男が 僕を睨みつけていた。




『・・・そうか・・義久は東京で 人に使われているのか・・・かわいそうに・・・・』

おじいさんがつぶやいた


いよいよあたりは暗くなって 寒さが増して来た

高杉さんが 僕の父親と一緒に働いていた事や 犬神様や おゆきさんの話 宿毛の民話の話を聞かせてくれた事など うそも交えながら ここに来た理由を話した。

そして僕は 駆け出しの小説家として説明した


「長多おんちゃん  もう暗ろうなってきたぞ これからどうするが?」

『そうやな・・ あんたこれからどうするがぞ?』


おじいさんは“長多と言うらしい・・・

「あっはい 市内に行ってホテルをさがそうかと・・・」

『じゃ 家にくるか? 今の義久の話も聞きたいし  どや?』

「はい 是非  僕も出来れば地元の人の話を聞きたいので お願いします」

『じゃ  かつお 送ってくれ』   「はい・・」


それから まだ寒い 3月の軽トラの荷台に乗せられ 身体が冷えきった頃に 山沿いの1軒の家の前に停まった。

荷台から降りると「さっきは悪かったねや」と かつおが言い 仏頂面のまま煙を巻き上げて 軽トラは走り去って行った。



家に入ると 大きな日本間に これも大きな液晶テレビがドンと座った部屋で 10人は座れそうな 大きなこたつに入った。


『飲むか?』  「????」  『ああ 酒 飲めるか?』  「あっ はい」   『ばあさんおらんから あては漬け物しかないぞ』  「はい・・」


長多おじさんの言葉の意味は 半分も分からないけど 雰囲気だけで返事をする事にした。


「高杉さんの不思議な話とか 聞かせていただけますか?」  キッチンらしき隣の部屋にいる 長多おじさんに声をかけると  『ああ  ちょっと待ってろ』と 

山盛りのタクアンと 焼酎の一升瓶を持って 長多おじさんもこたつに入り チビチビ飲みはじめた そして ボソボソと語りはじめた。






   4、  “産土神うぶすながみ


  その人が生まれた土地の神様で その人を一生守護する氏神様” である。




『うん  高杉家は 元々 ここ吉名の産土神ながよ』

「えっ!  神様なんですか?」

『ああ 家系的には 四万十市(旧 中村市)の一条神社の 一条氏の家系よりもずっと古い 土着の氏神様ながよ』


「へ〜 そんな古くからの家系なのですか?」

『ああ 吉名神社には 高杉の家系図もある・・・しかし それでなくても 日本の歴史にちょくちょく出て来る  あんた・・長宗我部信親 知ってるか?』


「長宗我部って言うと・・たしか・・ 四国を平定した戦国武将ですよね?」

『あれは元親 信親はその嫡男よ』




  5 戦国時代  長宗我部元親 嫡男信親 信親の御学友 高杉義元


   

長多おじさんの話では 長宗我部元親の嫡男 信親が5歳の頃 その遊び相手 いわば御学友に 元親が選んだのが ここ吉名の豪族の息子 高杉義元であった。

義元の元は 元親が名付け親となった名であった

そして 信親と義元は まるで双子のように 競って勉強し 武を磨いて 逞しい青年に成長していった


史料によると信親は 身の丈6尺1寸 184cm [色白く柔和にして・・」と書かれてるように 爽やかな青年だったようだ。

そして義元も 「信親に劣らず・・」とあるように 逞しい男だったようだ。


信親の噂を聞いた信長は はるばる土佐に使いを出して 養子に欲しいと言ったが 元親は丁重に断った


信親の信は 信長から下府されたものである。





時代は戦国時代 信長が 本能寺で明智光秀に殺された後 長宗我部元親は 秀吉による四国征伐に降参し  元の土佐1国の大名にされてしまった。

そして 秀吉の九州征伐に先陣として組み込まれ 元親 信親親子とともに 高杉義元も 九州の覇者 島津家と戦う為 北九州の戸次川の戦いに参戦した。

 



秀吉が九州征伐に選んだ軍監が 早くから秀吉の家人であった 仙石久秀ごんべえ

そして 仙石ごんべい率いる部隊の中には かつて四国で長宗我部元親に何度も破れた 阿波の十河存保とその兵も雑えていた。


そして 当時 日本最強と言われた 薩摩の島津家久軍と 戸次川で一戦を交えた仙石ごんべえは 島津軍猛攻撃に 戦い早々身一つで逃げてしまった

それを見た仙石ごんべえ軍は 瞬く間に全軍敗走してしまった。

ごんべえの逃げ方は悲惨で 馬で見方の兵を蹴散らしながら 大将の衣装が目立つと それを脱ぎ捨て 兵卒にまぎれて一目散に下関まで逃げ出してしまった。


戦場に残されたのは 長宗我部元親 信親軍3000と 十河存保軍200

十河存保は この機会に 長宗我部親子に 昔年の恨みを晴らすべきと 自らの命をかけて 島津軍との無謀な戦いを主張した。

若さと勇気に栄える信親は その謀に乗せられ 数万の島津軍に挑んで行った。


そして その後の戦国史に語り継がれる 長宗我部信親主従の 壮絶な戦いが始まった。



島津軍数万の兵を相手に 無謀な戦いの中で十河存保は闘死し 日本1剽悍と言われる土佐兵3000も その数を減らす中 父 元親を戦場から離脱させた信親は 2万6千の島津兵に囲まれ わずか700人の土佐兵とともに 自らも剣を抜き戦った。


そして 高杉義元は 長宗我部信親に迫る敵の刃を 己の身体に受けながら 全身創痍 阿修羅のごとく駆け回っていた。



もはやこれまで・・と 高杉義元は 信親を落とそうと道を探すが すでに時は遅し 津波のような島津兵に囲まれ どこにも脱出すべき隙は無い。


それを察した信親は 「義元 ここを我が死所と心得たぞ!」と

そして土佐の残党700人に叫んだ 「ご苦労であった もはやこれまで 各々土佐に落ちよ! 最後まで この信親に命を預けてくれて ありがたかったぞよ〜〜!」   それを3度叫んで 敵陣に乗り込んで行った


信親を死なせてはならずと  義元も 『御とも!』と 血刀を突き上げて 信親の左に敵陣めがけて駈けた

するとそれを見た土佐兵達は 「御とも!御とも!御とも!!  殿と共に! 殿と共に死せん!!」

と  土佐兵700が死兵となって 信親に従った。


死兵となった土佐兵は 狂犬の如く薩摩島津兵に噛み付いた

その迫力に怯え 逃げ惑う薩摩兵は あちらこちらで土佐刃物の下に屍をさらした。


しかしそれも1刻 体制を新たに整えた薩摩軍が 総攻撃に転ずると 疲れきった土佐兵は 次第にその数を減らしていった。

そして薩摩島津軍の放った矢が 信親の身体をハリネズミのように貫いた後 最後まで残った土佐の兵十数人も その場で立ち腹を切って 長宗我部信親と共に 九州戸次川に壊滅した。



「しかし義元は・・・・生きていたんじゃ・・」


『えっ! 信親と共に 闘死したんじゃ・・・』


「ああ どうやら戦闘中にやられて 脳振盪か出血多量かで死にかけてたようじゃが・・・その後 村人に助けられたらしい・・・そして意識が戻ったのが 戸次川の戦いからは もう一月も経ってからやったようじゃ・・・」   


『・・・・・』




“かわいそうに・・・” と思った

生きていて良かったと思うのが普通だろうが 高杉義元にとって その状況で生きている事が どれほどの不幸か・・と思った。


「あんたもそう思うやろ?」   『???』


「生と死 この世ではただ 生きる事はよく 死は不幸な事だと決めつけている  しかし 人には 人生でいろいろな状況がある・・・」


『はい 確かにそうですね・・』


「人とは 産まれおちた立場と 死に様が大事なんじゃ・・・」


『死に様・・・ですか?』      「ああ・・」


高杉さんの死に様は どうだっただろう と ふと思った

そして 高杉義元はどんな死に様を・・・?  


『高杉義元はその後 どうなったんですか?』   「ああ・・」




戸次川の戦いで秀吉軍を破り 九州から追い払った島津軍は 凱旋鹿児島城に帰り 島津家久に報告した。


献上される数々の首級の中で 家久が特別気にしたのが 土佐の長宗我部信親の首だった。

武士達の話によると 馬上の信親と義元の姿は 猛々しくも優美であり 信親に命をあずけた土佐兵700人と共に 炎のごとく近寄りがたく まるで真っ赤な蓮の花に立つ いにしえの四天王 毘沙門天と持国天のごとくあったと言う。


“さすがの薩摩武士も 肝を冷やす” 爽やかさだったと言う。


話を聞きながら さすがの家久も涙を流し「そのような武士ならば 殺さざるものを 元親殿もさぞや悲しんでおる事だろう・・・信親殿の首を丁重に土佐にお返ししろ」  と

そして古戦場 戸次川のほとりに 長宗我部信親と土佐兵700人の 主従の慰霊塔を建て供養した。


慰霊塔は今も 同じ場所に立っている。




ある朝 高杉義元が隠れている農家の馬小屋に ドカドカと兵が入って来て

義元はそのまま連れ去られて行った。


そして 薩摩城の島津家久の御前に召し出され 主君信親の首桶と お言葉を託された。


“生も死も戦国の常 この度 長宗我部元親殿の嫡男 信親殿の事は残念に思う 粛々と御埋葬されよ   島津家久”     と


見聞役の兵20人と共に 長宗我部信親の首桶を 大切に抱えて 高杉義元は土佐路についた。



 

「土佐の岡豊城下では かわいそうに義元は さんざん罵られたようじゃ・・」


岡豊の城に着いた義元一行は そのまま城下のお寺で待たされた

しかし 1日 2日と待てども 元親からの呼び出しが来ない

その間義元は 信親を祭った仏前に座り 一心に念仏を唱え 一睡もせずに待った。


「夜になると 本堂には あちこちから石が投げつけられ “この卑怯者” “腰抜けが”  “はよ死ねや” と 罵声が飛び交うたと 」 『はあ?』


酔った土佐の若者達が 生きて帰った義元に 怒りをぶつけるのに お寺の回りに集まって来るのだった。


5日目に やっと登城を許され 長宗我部元親の御前に出て 信親の首桶と 島津家久からの手紙を差し出すと 元親は不機嫌さも隠さず そっぽを向いたまま「ご苦労であった・・・」と言った


そして「義元 そちは無事でよかったな〜」と

義元は顔をあげ 『殿 殿に是非受け取ってもらいたい物が ここにお持ちしてよろしいでしょうか?』 と

  「なんじゃ  はよせい」  『はい』


義元は部下とともに隣の部屋に行った  そして5分後 戻って来た部下のお盆の上には さっきまでそこに座っていた 高杉義元の首が乗っていた。




その夜 城下では 有能な若者達十数名が 腹を切って 義元に続いた。





「それを伝え聞いた ここ幡多郡の吉名でも 義元に準ずる者や そうでないものも含めて 10人程の葬儀が続いた   ほんま 不思議なもんや・・・」


『何がですか?』


「今も昔も 高杉の血が流れると 10人程がついて行く・・」 『・・・・』

「義久も死んだんやろ?」  『えっ!』

「この1月の吉名の葬式は 普通じゃ考えられん・・・そこにお前さんが東京から来て 高杉の家に入った」  『・・・・』

「他にないやろ?」  『はい・・・』



長多おじさんは そのままコタツで寝てしまった

俺も酔った しかも不思議な酔いだ

このゆらゆら揺れる山小屋のような部屋も 長多おじさんの話に引き込まれた戦国武将の話しも 高杉の庭の石やお香の匂いも なにかこの世のものとも思えぬ不思議な世界が ここにはあるような気がする。




硝煙の中で鬨の声が響きわたる

京都御所の蛤御門の前では 薩摩軍と長州軍の激しい戦闘が続いている。


夢だと分かっている

ここは幕末の京都 “禁門の変”(蛤御門の変)  の真っ最中だ。

白刃の戦いを真近に見るのは 夢だと思っても恐ろしい光景だ

しかし 何故か その続きを臨んでいる自分がいる。



蛤御門の変 文久3年(1863) 久坂玄端 寺島中三郎 来島又兵衛   


会津藩 薩摩藩の陰謀により 京を追われた三条実美ら 7人の公家の無実を晴らすべきと 来島又兵衛率いる長州軍が京都御所に迫った。


蛤御門を攻めた又兵衛の働きは見事なもので 一時は会津軍を葬り去る寸前までいった。

しかし それに気がついた 西郷隆盛率いる薩摩軍が応援に駆けつけてから 戦況が一変した。

西郷は戦況を冷静に判断し “なんだ あの大将さえ打ち取ればよい”  と 狙撃兵に命じた。

そして 又兵衛が狙撃されると間もなく 長州軍が総崩れに至った。


その時 蛤御紋まえでは 「久坂君 もはやこれまで 我々も落ちよう」

『高杉君 我々はここで腹を切る 君はこの状況を 長州の殿に伝えてくれ』

と言って 久坂玄端は寺島中三郎とともに 御門の前で立ち腹を切った。


しかし 報告を託された高杉も ここを脱出することが出来ず その場で薩摩軍の銃弾に倒れた。


この時の“高杉”は 高杉晋作だと思われていたが 後に土佐の郷士“高杉喜久馬”だと分かった。

この時期の高杉晋作は 既に肺結核が進み 山口下関で 闘病生活をしていた。


夢の中で ホッ とした 

 

長多おじさんの話の途中 ずっと胸につっかえていたものが やっとすっきりした感じだ。

そう 確か“高杉喜久馬”は 早くから脱藩して 長州藩に身を寄せていたが 元は土佐の西 幡多群の出身だと 何かで読んだ覚えがある。


それがここ 今は 幡多郡 宿毛市の吉名 高杉の家系のようだ。




6、  犬神様  


・・・犬神は 狐憑きなどと同じように 西日本各地に存在し 特に 四国高知では 現在も根強く信じられている。


犬神の憑依現象は 平安時代にはその呪術が存在し 犬の頭部のみを出して生き埋めにし 目の前に餌を置いて 餓死寸前の時に首をはね その首を 人々が往来する辻に埋めて怨念を増し 呪物として使う方法などがある。


犬神を呪術として扱う 術者 山伏 巫女などの血筋が 地域に伝承されて 子々孫々世代を追って 離れる事なく 犬神筋とか 犬神持ち と言われて 現在も存在する。


犬神の家系は 何故か裕福な家が多く 地域の重責を勤めていたり 大きな商売に成功していたりする。





『おはよう 』  「・・・・おはよう・・ございます・・・」


目は覚めたが 見上げる天井が ぐるぐる回っていて 完全な二日酔いだ。


『寝よってもええけんど 鍋にみそ汁があるけん 自分で飯と漬け物で食え』 

「はい ありがとうございます」

『おんちゃんはお寺いかんといかんけど あんたは今日はどうするがぞ?』

「はい 高杉さんから聞いた “犬神様”について調べてみようと思ってます」

『犬神か・・・また それも怖い事を・・・まっ 今日も宿毛におるがなら 婆さんも入院しておらんし また泊まりに来てもええぞ』

「あっ!  ほんとうですか?  是非お願いします」  『ああ じゃ出てくるわ』


お金がないので助かった 宿毛市で安い宿で探しても 素泊まりで5000円はかかる それが1週間で・・と計算していたのだが 長多おじさんの申し出はありがたい。



「あっ! あの・・犬神様の事について 誰か知り合いは居ませんか?」

『んん・・・ああ・・ ワシから聞いたと言わんでくれよ・・』  「はい」

『なら  ツガの川に 猪谷さんって言う 占いみたいな事をしてる爺さんがいるから そいつに聞けばええ  タクシーで言えばすぐに分かるから』

「はい ツガの川の猪谷さん ですね」  『ああ けんど 他の人に めったに犬神の事を口にしたらいかんぞ どの地域でも 犬神の家系はタブーやけん』  「・・・はい」 


そう言うと 長多おじさんは出て行った

急に家の中が寒くなって 空気まで重くなったような気がする。




長多おじさんの家からタクシー会社に電話すると 15分程でクラクションが鳴った。

運転手さんに “ツガの川の猪谷”と言うとすぐに分かったようだ。


「ずいぶん狭い橋ですね  古い橋なんですか?」 

『ああ はい 地元・・と言うか  橋の向こう側の人しか通らんけん 荒瀬には 家は10軒程しかないけんね〜』   「へえ〜」


宿毛市内に戻り 松田側を渡る橋に差し掛かると 車1台の幅が いっぱいいっぱいの 車同士がとてもすれ違いなど出来ない程の狭い橋が 100mくらい 向こう側にのびているのだ。

タクシーは その橋を渡ると左折し 狭いつづら折りの山道をひたすら登って行った。


『そこが“荒瀬山”の峠やけん もうすぐ猪谷さんとこ着きますよ  ほら ええ景色でしょう 今日は天気もええし 宿毛が一望や』  「ええ さっきからみとれてましたよ」 『お客さん この荒瀬山はの 大昔から四国1の霊山と言われよってな 昔は修験者がぎょうさんおったらしいわ』   「霊山ですか?」

『ええ ここは御四国88カ所参りの通り道でもあり 戦国 江戸時代を通して 要害の地でもあるがです』   「そうなんですか」


御四国参りの お遍路さんや 山伏 お坊さん 神主さんが ここ荒瀬山に庵を結んで 呪術や妖術を修行し 体得して山を下り 弘法大師と共に巡礼を続け 結実するのだと言う。


ちなみに現在でも 1人旅のお遍路さんの白装束や編み笠に ”同行2人” と書かれているのは 御四国88カ所参りの 1番札所を出発すると どこからか弘法大師が現れて 同行してくれているので  ”同行2人” と書かれている。


そんな話しを聞きいて 眼下を見ると 古の修験者も見たであろう 大きな松田川が 源流の山の方にかすみ 新緑の田んぼや 菜の花らしき黄色の絨毯が敷き詰められて のどかな春の里山の景色が広がっている。

南国土佐の春の景色なのか 日本の原風景なのか 初めて見るはずのこの田舎の景色に 何故か涙が流れていた。


『アッハハッハハハ〜〜〜 さすが東京の物書きは違うな〜 いきなり“犬神様”について教えてくれって 面と向かって言われたがは 産まれて初めてや〜〜あっははっはっはは〜〜』

「はあ  すみません・・・ 失礼でしたか?・・・」

『まあええ ええ  ほんまはその方が話が早い   ちくと待っちょれ』

と言って 玄関から奥に消えた。




   7、荒瀬神社   ・・・贄・・・



猪谷の 家 土地は どう説明していいか・・・やたらに広い

宿毛市内からは 山の上のようだが 山道が開けると 野球のグラウンド3〜4つ分くらいの土地に 大きな日本建築の平屋の家が3軒建ち 真ん中の新しい建物は 神社のようだ。 


仕事は建設業らしく 家から離れた所に ユンボやブルドウザー トラックが置かれた 体育館のような車庫? 作業所?のような建物 広い土地のそこここで 作業員が数人働いていた。


『ええぞ あがれや』  「・・・・はい」

靴を脱いで 長い廊下を声のする方に歩いて行くと 障子を開けた30畳程の部屋があった  見ると 部屋の窓の側に ポツリと猪谷さんが座って手招きをしていた。

『はよ来い ほら メジロがきちょるぞ』



開け放した窓の外は 新緑の葉っぱが透き通るようで 窓際のこたつを挟んで座布団に座り 猪谷さんは話だした。


『犬神様の家系と言ってもな 当たり前やが 今では呪詛も呪術もなんもしよらん 親父も 爺ちゃんの時代も 普通に仕事をして 普通に暮らしよるだけやけんど 世間の目はそうじゃないらしい。


言いとうないけんど・・・ 普段は 一緒に買い物に行ったり 旅行に行ったり 仲良くしよる友達家族でも いざ結婚話しとかになるとガラリと変わるんや 

そや 犬神筋との婚姻は 親戚の端々まで猛反対や 

結婚とか 血族の話しになると 犬神筋の家系は 忌み嫌われるんや・・・わかるか?』


「・・・・分かりません・・・」  『そうやろな・・  都会のもんにはわからんやろ』    「はい・・・」


その他にも 言われのない差別が 沢山語り継がれていると言う


例えば 犬神筋の家の子供の4人に1人は 必ず犬神憑きが産まれて 屋敷の奥にある檻の中で 一生 犬のように飼われて暮らす    とか


犬神筋の女の子は 肌が雪のように白く 天女のように美しい娘ばかりが産まれる  しかし 20歳を過ぎると 顔や身体の肌が溶けてきて 化け物のような姿になる     とか


犬神の家が 代々お金持ちなのは 敵になりそうな者を 夜な夜な密かに呪い殺しているからだ  だから犬神筋に 恨まれないように 気をつけて付き合わなければ    とか


『そんな話しを ようもまあ200年も300年も語り継いでるもんやな〜と 逆に感心するわい』

「酷いですね〜」   『ああ じゃけんど いちいちそれは違うと 説明して回る訳にもいかんでな   やけん 代々ただ黙って 受け止めるしかないがよ』      「そうですね・・・・」



「犬神様の家系のおかげで 何かメリット と言うか 得する事は無いのですか?  例えば 霊が見える とか 予知が出来る  とか?  あっ! 猪谷さんは 占いしていますよね?」


『ああ 嫌な思いはようするけんど 得したと思った事はないな・・・

占いは 昔 爺さんが暇つぶしにやりよったけん わしもたまに頼まれてやるくらいで けんど お金はいっさい貰ろうた事はないぞ』


「そうなんですか・・・」

『ああ やけんど てぶらじゃ悪い思うんやろ 犬神様に・・って果物やお餅とか 神棚のお飾りを持って来る人が多いな』

「そうなんですか」


『易はな 爺さんが好きで 幼い頃からわしに 毎日毎日教えよったけん それなりに 答えられるくらいの知識はあると思うんじゃが 決して悪い易は言わんようにしておる

明日からの生活に ちょっとプラスになるような たわいのない占いをするだけよ』      「そうですか」


『信也君・・言うたか?  都会人にしては お前はええ奴やな  そろそろ昼や 飯でも食うていけや』    「あっはい ありがとうございます  いいんですか?」

『ええええ 天気もええし 縁側で食おう   お〜〜い くみ〜 おるか〜〜?』  『は〜い』   『おお おるか 昼飯 お客さんの分も 縁側にはこんじょってくれや〜  ビールもな 』  『は〜〜〜い』



猪谷さんの後に続いて 廊下の反対側の部屋にはいると そこが内庭側の縁側になっていた。 


縁側の板にそのまま座り 気持ちよい風を感じながら広大な庭を眺める

そこは これまでの田舎の御屋敷のような 築山でも庭園でもなく 広大な敷地のそこここに 山桜のような木々が 離れ小島のように配置されていて 夏場はさぞ 涼しげな日陰を作るであろうと想像させる。 



『どうぞ・・』 と 声がしたので 振り返ってから驚いた

そこには 天使のような少女が 食事を乗せたトレーを手に 微笑んでいたのだ。


「・・・・ああ ありがとうございます・・・・」

『おい! 何を ボ〜っとしちょる  昼飯よ 食え』 と 猪谷さんが怒鳴った。

2人分のお昼ご飯を用意した後 『 ごゆっくり 』と 爽やかな微風を残して 廊下に消えた。


『なにをボ〜っとしちょる あれはわしの孫や にーちょうろ?』 

   「 ぜんぜん・・・・」

『あほ! くみは今年 上智大学に入ったけん 何日後かに東京に引っ越すけんど お前のような貧乏な物書きには教えん 売れて大金持ちになったらまたここに来い』   「・・そんな意味じゃ・・・・」


猪谷さんは なんか変に勘違いしていうるようだが それにしても あんな透明な 清らかな美しい女の子は初めて見た  と ぼうっと思っていると


『 いいとうなかったけんど・・・・ええ事も あったんじや・・』

・・・・・・えっ?   「なんですか?」

『ん?・・ああ   やっぱ 犬神様の血筋やな としか思えん事で わしも何度か命拾いした事がある・・・言うこっちゃ・・・』

「・・・よかったら 教えてください  」

『ああ ・・・・もう ええやろ・・』


『 さっきのくみにはな 3歳違いの かずえと言う姉がおったがやけんど 6年前に そこの荒瀬神社の火事で死んでもうたがよ・・・』

「あっ この並びの 真新しい神社ですね?」

『そや  それも・・・わしのせいながよ・・・』

「・・・・・はい・・・?・・・」




時代と共に 公共事業がどんどん減らされ 親父の代から ほそぼそとやってきたわしんとこの建設業も 10年ほどまえには借金で首が回らないようになってしもうて・・・

そんな時期に 隣の愛媛県に出来る 大型ショッピングセンターの下請けに この宿毛市の建設業者も かなりの数入れたがよ。


ここ 猪谷建設も久々の大型下請けに わしも思い切って ユンボやらダンプを新しくして 1年半ショッピングセンターに携わった。

仲間の業者も これで一息つけると みな喜んでいた


ところが 完成と同時に 元請けの大阪の建設会社が倒産

この日本有数の建設会社の倒産は 西日本全体の建設業者の連鎖倒産になった


この宿毛市でも 愛媛での建設に関わった業者が軒並みに倒産し 自殺者や夜逃げが相次いだ  わしの友人も 嫁と2人で首を括った


わしも 億の金の支払いが迫っていて もう 自分の生命保険でしか支払う方法がないのは分かっておった

そして 覚悟を決める為に 初めて“犬神様”の庵に籠った


6年前の春・・・ この季節じゃ・・・・・・


午前2時半 松田川で禊をし 白装束に身を整え 神主に身を置く そしてお赤飯と白米を炊いて お炊き上げをし 


神の意を表す御犬様が 古代よりの修験者達の神山 荒瀬山の霊力を得 その霊力を遺憾なく発揮頂くために 神酒 神葉 貢とともに奉納をする


ご神前において 神火を熾し 願者 または 呪者が 夜明け前には 奉納品と共に庵に籠って始まる。


・・・・・・・


・・それがな・・・ 教わった事もないはずなのに 何故か知っちょるんじゃ・・



3日目の夜 犬神様は現れた

そして 結願した・・  と おっしゃった ・・  そして 庵から出て行けと・・


わしは やっとの思いで庵を出ると これで安心して死ねる・・と 生も根も尽き果て気をうしなってしまった。


あまりの騒ぎと 明るさと熱さに 重い頭を上げると  犬神様の神社が 真っ赤に燃えていた  しかし もうどうでもよくなって 再び気を失のうてしもうた。


次に目覚めた時に なんと 孫のかずえが 神社の火事で死んだと・・・

それも 犬神様の本尊を安置しておった祭壇で 骨になっておったと・・・


・・・・・・・・


ああ・・それから・・ 腑抜けになったわしが 何もしておらんのに あちこちの二束三文の土地が 馬鹿みたいな値段で売れて 知らん間に借金が終わってもうた。

そう話すと猪谷さんは ゴロリと横になった 

昼間のビールが効いたのか 縁側でそのまま目を閉じ ゴーゴーと鼾をかいて寝てしまった。




いつの間にか作業員の姿は居なくなり サワサワと 静かな風が 庭の木々を揺らしている。

ここにも 高杉家に似た 清らかな空気と 不思議な安らぎが漂っている。



猪谷さんを縁側に残して 玄関から庭に出た 

犬神様に挨拶をしてから帰ろうと 神社の方に歩いて行くと 白いワンピース姿の 猪谷さんのお孫さん くみさんがお参りをしていた。



 




 
















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