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2、 クッシリュ (3)



 まるで天の果てから人の世界を眺めているようだ。都から出て、小高い丘を上った先で振り返ると、街の隅から隅までもが一望できた。背の低い草に覆われた殺風景な丘だが、その眺めを振り返った途端クイは、自分の背中に翼が生えて天に飛び立ったのではないかと錯覚した。


 クッシリュが『とっておきの場所』と言ったのは、その丘の頂上に立つ小さな泥レンガの小屋だった。街から延びる大街道から少し外れたその場所に、どうしてこんな小屋があるのか不思議に思ったが、本当かどうかクッシリュの説では、大街道が整備される前はこの辺りに街道が敷かれていて、街に出入りする人を見張るために役人が常駐していた小屋なのだという。

 打ち捨てられて久しいことを物語る朽ち掛けた藁葺き屋根やところどころ崩れた泥壁は、周囲の草の乾いた色と相まって侘しさを感じるが、そこからの眺めはまるで人々の世界を全て手の中に収めているような贅沢さがあった。

「街が全部見渡せるんだ。凄いだろ。でもこの中にはもっと凄い宝物があるんだ」

 クッシリュはそう言ってクイの手を引いて小屋の中へと入っていった。

 藁屋根の朽ちた部分に開いた穴から日の光が差して中を照らしていた。光の筋が床に反射して小屋の中をぼんやりと明るくしている。小さな小屋にはいくつもの棚が設えてあり、そこに何か道具が並んでいる。役人が此処を利用することがなくなっても、彼らが使っていた道具がそっくりそのまま残されているのだ。

 中に入ってクッシリュは、クイの手を離すとその棚のひとつに近づいて何かを探し始めた。やがて目当てのものを見つけたのか、それを両手で大事そうに抱えてクイの前に戻ってきた。

 クイがクッシリュの腕を覗くと、そこには頑丈そうな木の棒に嵌め込まれた石の()があった。石斧(せきふ)だ。少なくとも狩猟の道具では無いだろう。街を守るために役人が携帯していた武器なのだ。

 しかし柄の部分の木の棒も刃の石も、使い込まれたせいなのか、丁寧に手入れされていたからなのか、クイの影がうっすらと映るほどつるつるに磨かれていた。

「きれい……」

 人を殺めるものだと分かっていながら、クイは思わずその輝きに目を見張った。

「凄いだろ。本物だぞ。これで悪い奴をやっつけるんだ」

 クッシリュがその石斧に感じる魅力はクイのそれとは少しずれているようだ。しかし彼にとってここは宝の山なのだということはクイにも分かった。

 クッシリュは斧を片手に持って天井へと突き上げた。丁度光の筋が刃の部分にぶつかり眩しい光を放った。高々と持ち上げた斧を見上げたままクッシリュは言った。

「ぼくの父さんは皇帝さま(サパ・インカ)に仕える軍人なんだ。こんな武器を軽々と持って悪い奴をばっさばっさと斬っていくんだ。とっても強いんだ」

 クイにはクッシリュの自慢の意味が少し分かりづらかったが、それでも彼が父親に憧れていることがよく分かる。そして仲が良いことも。クッシリュにとってこの場所は憧れの父親に近づくことのできる場所なのだ。

「その斧を触らせて」

 クイが頼むと、クッシリュは斧を下ろして両手で平らに持った。

「見た目よりずっと重いんだ。ちゃんと持たないと足の上に落としてけがするぞ」

 言われてクイは両腕を緊張しながら差し出した。クイの差し出した腕の上に、クッシリュは慎重に斧を置いた。クッシリュが持っていた手をそっと離すと斧の重さは一気にクイの腕に移り、支えきれずに思わず落としそうになった。クイはさらに腕に力を込めてなんとか持ち堪えた。

 よろめいたクイを見てクッシリュは笑った。

「ほら、言わんこっちゃない!」

「本当だわ。こんな重いものを振り回すなんて、信じられないわ」

「そうだよ。普通の力じゃ持てないさ」

 クッシリュはふたたびクイの腕から斧を取り上げた。

「ぼくは父さんみたいな軍人になりたいんだ。でも今、学校でも武器の使い方を教えてくれないらしい。だからぼくは学校には行かない。自分でこの小屋に残っている武器を使って練習しているんだ。もうこの斧もうまく振れるようになった。投げ石だって、棍棒だってできるようになってきた」

「お父さんは教えてくれないの?」

「父さんはインカさまに従って、ずっと北の(くに)に行ったきりだ。ぼくが小さいころに一度会ったきりなんだ。今度帰ってきたときには、どんな武器も使いこなせるようになって、父さんを驚かせてやるんだ」

「まあ、そうだったの。私、てっきりお父さんと仲良しなんだと思っていたわ」

「仲良しさ。気持ちはいっつも繋がっている」

 クッシリュがそう言って笑ったので、彼を一瞬でも羨ましいと思ったことを後ろめたく思っていたクイの気持ちが和んだ。


「私にも出来るようになるかしら?」

「え、クイが?」

 クッシリュは目をまんまるにした。自分が武器を扱えることを女の子に自慢してみたかった気持ちが無かったわけじゃない。おそらく誰も知らないところで努力していることを誰かに知ってほしかったのが本当のところだろう。その自慢した相手が、まさか自分もやってみたいと言い出すとは思ってもいなかった。

「女の子にはたいへんだよ」

「クッシリュだって最初はたいへんだったのでしょう? 練習すれば私だって出来るようになるんじゃないの」

「そうかもしれないけれど、本当に辛いぞ」

「我慢できるわ」

おれ(・・)は厳しいぞ」

 急に大人びた言い方になったクッシリュに、クイは負けまいと答える。

「大丈夫よ。そのほうが上達するわ」

「覚悟しろよ」

「もちろん、覚悟できているわ」

 あれこれと言い方を変えて思い止まらせようとするクッシリュに、クイはまったく動じない。結局クッシリュの方が根負けして、自分の秘密の特訓をクイに伝授することを約束させられてしまったのだ。しかし秘密を分かち合える仲間が出来たことはクッシリュにも大きな張り合いとなる。自慢だけでは終わらなかったが、クッシリュには大きな楽しみが出来たのだ。


 こうして些細なきっかけで始まった戯れが、やがて来る時代を生き抜く大きな力になることなど、このときのふたりにどうして予見できただろうか。


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