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2、 クッシリュ (2)


 はじめて目にする街の様子は、クイの想像とはだいぶ違った。重厚な石積みの建物が建ち並ぶさまは、確かに街はずれの鄙びた風景とはまったく違う。往来にも剥き出しの土はほとんどなく、平らな石が美しい模様を描くように敷き詰められていて、ぬかるんだ場所で足を取られることもない。道に沿うように掘られた水路には、地面に溜まった雨や山から流れてくる湧き水が集まって規則正しい流れを作っている。街の中を歩いてみれば、背の高い建物が両脇に迫っていて非常に窮屈な感じがした。

 何よりも違和感を覚えるのは、自然の草木や動物たちの姿が見当たらないこと。ときどきすれ違うのは、飼いならされた家畜が猿轡を嵌められて主人の後を不満そうに付いていく姿だ。そして、クイが想像していたような人で溢れる賑やかな街ではなく、まったく閑散として、ぽつりぽつりと往来を行き交う人々の目には何の感情も見出せない。

 クッシリュに手を引かれて街の中を進んでいくうちに、クイは得体のしれない不安と寂しさを覚えていった。

 街には父が住んでいる。記憶には無いが、生まれたときはクイもこの街に居たはずだ。自分が他とは異なる容姿でなければ、この街で育ちこの風景を当たり前のものと見ていたのかもしれない。そうすれば此処を好きになっていただろうか。

 少なくとも、郊外の自然に囲まれた屋敷で物心ついたクイは、これからどんなに頑張っても此処を好きになれないだろう。そしていずれは此処に戻らねばならないとしたら、それは壁磨きよりも苦痛だろうと思った。


 一方、クッシリュのほうは得意だった。荘厳な石積みの屋敷などは田舎暮らしのクイには驚くべきものだろう。入り組んだ路地はかくれんぼにはもってこいだ。見通しの悪い路地裏は数歩先に何が待っているのか分からない。ときどき人目を盗んで屋敷の壁によじ登り、中から顔を覗かせている枝になった果実を失敬することもある。それは子どもたちにとってわくわくする空間だ。路地を抜ければ広場があり、整備された石畳の上で思いっきり走り回ることができる。クッシリュがこれまで自然と覚えてきた遊び。それはこの街の中だからこそ楽しいのだ。

 クッシリュは街の中のすべてを紹介するように、クイの手を引いてぐるぐると路地を歩き回った。


 しばらく歩いて、ちょうど水汲み場に行き当たった。石の壁の穴から澄んだ水が勢いよく噴出して下の水溜めに落ち、飛沫を上げていた。

「そうだ。待っていて。ここで水を汲んで家に届けてしまえば、そのあとゆっくり遊ぶことができる」

 クッシリュは背中に結びつけていた甕を下ろすと、穴から噴き出す水にその口をあてがった。手を解放されたクイは、水溜めを囲っている低い石壁に腰を下ろし、サンダルを脱いで水に足を浸してみた。歩き回ってむくんだ足に心地よい刺激が加わった。

 そういえば、屋敷で使う水は屋敷の裏山から水路を伝って直接敷地内に流れてくる。これまで遠くから水を汲んで運ぶなど考えたことは無かったが、街に暮らす者はここで水を汲んで家まで運ばなければならないのだ。クイは自分の生活が意外にも豊かで不自由のないことを知った。

 甕の入り口から溢れるほどなみなみの水を汲んで、クッシリュはまた甕を背負った。何倍も重くなった甕を持ち上げるのに、さすがのクッシリュでも一瞬よろめいた。クイは素早く甕の底を支えて手伝った。

「ありがとう。何時もやっているから、これくらい簡単に持ち上がるはずなのに、今日は欲張り過ぎたかな」

 強がりを付け加えるのを忘れないクッシリュに、クイは思わずくすっと笑った。クッシリュの自尊心を傷つけないように、さりげなく寄り添って甕を支える。前屈みになってゆっくりと歩きだしたクッシリュの横に並んで、クイも同じ歩調で歩き出した。

 さっきまで早足のクッシリュに付いていくのに必死だったが、歩調を緩めて改めて辺りを眺めてみると、先ほど感じた違和感や不安感が少しやわらいでいた。そそり立つ暗灰色の石壁もひとつひとつ丁寧に磨かれて輝いている。明らかに人の手が加えられて整えられた街の様子は、ここが忘れ去られた空間でないことを証明していた。


 突然クッシリュが立ち止まった。クッシリュの背中に手を添えていたクイは、クッシリュの身体に押されてよろめいた。

「まずい……」

 忌々しそうに呟くとクッシリュは、クイの手を強く掴んで踵を返し、走り出した。クッシリュに引き摺られるようにして、クイも全力で走らなければならなかった。

「クッシリュ! クッシリュー」

 後ろから呼びかける声が聞こえたが、すぐに遠ざかった。

 クッシリュの背中の甕から水が溢れてふたりの服を濡らす。クイの喉からヒューヒューと苦しそうな息が漏れ、どんどん激しくなる。黒毛のかつらが風に煽られ飛ばされそうになり、必死に押さえて走り続ける。

 声はもう聞こえないのにクッシリュは速度を緩めてはくれなかった。


 しばらく路地を縫うように走り回って、クッシリュはようやく止まった。クイはもう息も絶え絶えで、その場にしゃがみこんでしまった。クッシリュも荒い息を吐きながらクイの前にしゃがんでその顔を覗きこんだ。

「遊び仲間なんだ。君を見たらいろいろ訊いてくるだろうし。君も困るよね」

 確かにそうだが、知り合いに会いそうな場所にわざわざ連れていったクッシリュも悪いのではないか。クイはクッシリュの問いかけを無視して、必死に息を整えている風を続けた。

「これを家に置いてきたら、今度は街の外に行こう。ぼくのとっておきの場所があるんだ」

 見るとそこは小ぢんまりとした家の前だった。小さな家ではあるが、周囲を大人の背たけほどの壁が囲っている。壁の入り口の脇にしゃがみこんでいるクイを残し、クッシリュは中へと入っていった。せっかく汲んだ水はもう半分ほど減ってしまっているかもしれない。それでも中からざあっと水を汲み足す威勢のいい音が響いてきた。

 街なかで見た、平らに磨かれて隙間無く組み合わされた美しい石壁とは異なり、その家の壁はいびつな形の石を積み上げて白い土を塗っただけの簡素なものだった。クイの屋敷よりもずっと粗末な造りだ。辺りを見回すと同じような造りの家が通りに沿って並んでいた。

 中心街と同じく往来に人影はまばらで静かだったが、背の高い壁に囲まれた場所とは違って明るい日差しが降り注ぐその辺りの景色に、緊張していたクイの心は和んだ。

 それからほどなく、水甕を置いて身軽になったクッシリュが姿を現した。さきほどクッシリュの行動を不満に思ったことなどすっかり忘れて、クイは笑顔で立ち上がった。

「さあ、行こう」

 日が暮れるまでにはまだ時間がありそうだ。クッシリュの手を自分から握って、クイは弾むような足取りで彼に従った。





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