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3、 謁見 (1)


 3、謁見



 クッシリュ……キリャコたち、北の使者が滞在するようになって、ラグア家では連日宴が開かれていた。

 同じことの繰り返しに、どれくらいの日時が過ぎたかも分からなくなっていたが、おそらく一週間は経ったであろうか。さすがに屋敷の者たちの表情にも疲れが滲み出ているのが分かる。それでも何かに突き動かされるように、毎晩贅沢な食事を供し、派手な音楽を奏で、踊りに興じる姿は、滑稽ですらある。

 使者たちも徐々に違和感を感じ始め、あるとき使者団の代表であるキリャコに詰め寄った。


「キリャコどの。我々は本当に歓迎されているのであろうか。サパ・インカは謁見してくださる意思がおありなのだろうか。こんな扱いを、いつまで甘んじて受け入れていればよいのか」


 キリャコもそれは疑問に感じていたところではあるが、代表として仲間の不安を煽るようなことを口にするわけにはいかなかった。


「サパ・インカご自身がアタワルパ様をお呼びになったのだ。我らはその代理。謁見を拒まれる謂われはない。陛下はご多忙なのだ。なかなかお身体が空かないのであろう。その分、こうしてお気遣いくださっている。ありがたいことと思って、待とうではないか」


 キリャコは自分でそう話しながら、自身の中の不安も慰めていた。しかし何よりも、コイリュルとの逢瀬の機会を一日でも多く持ちたいというのが本音だ。同時にその気持ちは仲間への裏切りでもあると、罪悪感も抱いていた。

 仲間は純粋にキリャコを信じた。


「確かに。我々が焦ったところで、悪い方にしかいきませんな。これもアタワルパ閣下のため。耐えることも軍人には重要な務めですな」


 キリャコの言葉を後押しするように、最初に問い掛けた者とは別の仲間がそう言うと、その場の全員が大きく頷いた。キリャコだけが、頷かずに鋭い視線を天井に向けた。



 ちょうど同じ頃、コイリュルはラグア夫人に呼び出されて夫人の部屋にいた。


「姫君を連日の宴会に駆り出してしまい、申し訳ありませぬ。しかも、その容姿を隠しながらご臨席なさるのは、さぞ難儀であったでしょうな。しかし、これだけ時間を設ければ何か感ずるところもおありではないかと。

 さて、姫からご覧になった北の者たちの印象は、どうでありましょうや」


 コイリュルはクッシリュを擁護する機会を与えられて心が弾んだ。サパ・インカの娘として率直に感じたことを話せば、ワスカルの頑な心を解くことができるかもしれない。自分の目は何ら政治的意図を持つものではないと、ワスカルもラグア夫人も承知の上だ。だからこそクッシリュや北の者たちの誤解を解くことができる。


「はい。この目で直接彼らの姿を見ることは叶いませんでしたが、だからこそ彼らの振る舞いや言葉から、彼らの人となりを感じ取ることができました。彼らはとても純粋で人間味のある人たちです」


「はて。『彼ら』とは妙なおっしゃりよう……。姫君はいつも同じ方と踊っていらっしゃったはず……」


「これは、私の言葉が足りませんでした。私を踊りに誘ってくださったあの方が、北のことについて、あれこれと教えてくださったのです。北はとても風光明媚な土地で、人々の心も温かいと。そう話してくださったあの方も、踊りの間、私の身体を気遣ってくださいました。彼は、ラグア様が北の民謡で歓迎してくださったことに感動しておりました。ラグア様は客人を温かく迎えてくださるお優しい方だと。こんな素晴らしい歓待を受けて感謝に耐えないと」


「それはそれは……。随分と高く買っていただいたこと。客人をもてなすのは、クスコの貴族として最低限の礼儀です。それを知らないとは。果たして彼は本当に皇族の名代として相応しい者なのかのう……」


 コイリュルの言葉が、かえってラグア夫人の疑惑を煽ることになり、コイリュルは焦った。まさかそのような解釈をされるとは思いもしなかった。コイリュルは慌てて弁解をするように言葉を継いだ。


「そんなことはありません。彼は、ラグア様が北のことを理解されていることに感激していたのです。北のことをよくご存じのラグア様なればこそ、親しみを感じると。いくらもてなしをしようとしても、彼らの喜ぶことを知っているかどうかでは、大きく違うのではないですか? ラグア様のお心遣いを感じ取って、彼は感謝の気持ちを抱いたのだと思います」


 北の使者への誤解を解く絶好の機会だというのに逆効果になってはいけないと、コイリュルはまくし立てた。焦りから、コイリュルは自分の言葉に随分と力が籠っていることに気付かなかった。これまでラグアの夫人の前では常に平静を保っていたコイリュルが、感情を顕わにして語る姿が、夫人の疑念をますます強めることになろうとは、コイリュルには思いもよらなかった。

 ひと通りコイリュルの話を聞いたあと、夫人は椅子の背もたれに大きく寄りかかり、微かな微笑みを浮かべてコイリュルを眺めていた。

 コイリュルは、必死の弁解が伝わったかどうか気になり、ラグア夫人の顔を険しい表情で見つめていた。


「……姫君がそのように必死になるとは、『北の者』は随分と姫君のお心を動かしたようですな。そういえばあの『北の者』は、宴が始まると真っ先に姫君を踊りに誘っておりましたなぁ。こちらも微笑ましくなるくらい、一途で……。若いとは良いものだと思っておりましたが。なるほど、あの熱心さに心を動かされない女性はおりますまい。気高い姫君の心を動かすほどの者であれば、彼は悪い人間では無いのでしょう。心に留め置いておきまする」


 コイリュルの額から、みるみる汗が滲み出てきた。コイリュルの弁解は、まったく思いもしなかった方向へと伝わってしまった。さらにふたりの秘めた想いまで暴かれてしまうとは。


「そんなことはありません! 私たちはたまたま、一緒に踊っていただけ…………」


「何も隠すことはありますまい。一緒に踊っていても飽きない相手、それだけでも十分親しいといえるのではありませぬか」


 ラグア夫人は笑いながらそう言った。夫人にとっては、まだ若いふたりが意気投合し、無邪気に踊りを愉しむことも悪くないという程度であろうが、コイリュルにとっては、決して知られてはいけない秘め事を白日のもとに晒されてしまったようなものだ。

 実際クッシリュとは、満月の丘の逢瀬以来、男女の関係を続けている。もうふたりは幼い友達ではなく、真剣に結婚を考え始めた恋人同士なのだ。だからこそ、二人が少しでも近い関係にあることを他の誰にも知られてはならなかったのだ。


 それ以上コイリュルは何も言えなかった。いや、何かをこれ以上口にすれば、もっと酷いことになるだろう。怒りと気恥ずかしさに顔を真っ赤にして俯いた。


「よろしいのですよ。姫君はまだお若い。殿方に憧れる気持ちを持つことを、誰が咎めることができましょうや。姫が見込んだあの青年を、サパ・インカも悪いようにはなさりますまい」


 ラグア夫人は、コイリュルが北の使者の代表に憧れていると告げるつもりなのだろうか。せめてそれだけは制止しなければならない。


「どうか、お父様にはそのような出まかせはおっしゃらないで! 私たちはそのような関係ではありません。あの方が良い方だと思ったのは事実ですが、それ以上の気持ちはありませんから」


 嘘を吐いた。実際には全くその逆だが、彼を守るためには嘘を吐かねばならなかった。そしてそれが嘘だと気付かれてはならない。クッシリュを守るために、コイリュルは心の底からクッシリュへの想いを否定しているつもりになった。


「……わたくしは、そんな軽々しいことをサパ・インカに申し上げるつもりはありません。しかし、すでにあの宴には宮殿の遣いが数名、北の使者の様子を探るために紛れておりましたから、彼らからどう見えたのか、そこまではわたくしには分かりかねますわ」


 何という事だろうか。コイリュルは自分の浅はかなふるまいを激しく後悔した。




「どうしたの」


 もうすでに三日月は西へと沈みかけ、辺りが暗闇と静寂に包まれていた。やわらかい草の上に横たわるコイリュルを庇うようにクッシリュは彼女の上に覆いかぶさっていた。クッシリュの背中に回したコイリュルの腕が小刻みに震えていることに気付き、クッシリュはコイリュルの顔を上から覗き込んで聞いた。見つめるクッシリュの前で、コイリュルの瞳からみるみる涙が溢れ出てきた。


「私……愚かだったわ。あなたを追い詰めることをしてしまった……」


 そしてぽつりぽつりと、昼間のラグア夫人とのやり取りを話した。


「ごめんなさい。私、ただ、あなたといることが幸せで、うれしくて、こんなことになるとは思いもしなかったの。こうして二人で会うところを見られさえしなければ大丈夫だと……。私の態度が、あなたを想っていることを周りに知らしめてしまうなんて、思いもしなかったから……」


 そうしてコイリュルはしゃくりあげた。クッシリュはそんな彼女を頭を抱え込んで、湿った頬に自分の頬を擦り合わせた。


「大丈夫。単なる憶測に過ぎない。それに、奥方様は、君が見込んだ者なら、サパ・インカも悪いようにはなさらないとおっしゃったのだろう? それは私にとっても願ったりだ。警戒されるよりよほどいい」


「本当にそう思うの?」


「ああ、本当だ。君に感謝しなくてはいけない。これで我々も務めを果たすことができる」


「クッシリュ……。私は本当は、サパ・インカ・ワスカルの娘ではないの。私は、ニナン・クヨチの娘。ワスカルは私を利用しようとしている……」


「……それなら、尚更。君が何を思おうと何をしようと、自由なはずじゃないか。君を縛るものは何もない」


「クッシリュ!」


 コイリュルがその身体に縋りつくと、クッシリュはさらに強くコイリュルを抱きしめた。三日月はすっかり丘の向こうへ姿を消し、無数の星が二人の上に降ってきた。二人にとって、これが最後の夜になるかもしれないと思うと、何度溶け合っても満ち足りることはない。空が色を増してくるまで、ふたりは愛し合った。


 薄らと空が色づいてきたのを感じ取って、身を起こしたクッシリュは言った。


「結婚しよう、クイ……いや、コイリュル。私はこの役目を終えたら、君を北へ連れていく。私が宮殿に呼ばれたら、私の帰りを、街道の外れで待っていてくれないか。むかし、君と武術の稽古をしたあの場所だ。あの小屋で落ち合おう。そしてふたりで北へ行って暮らそう」


「……ほん、とう?」


「本気さ」


「約束よ」


「約束する」


「私、待っているわ。あなたが戻ってくるまで、毎日、あの丘に行くわ。あなたも、私が居なかったら待っていて。必ず行くから」


「ああ、いつまでも待っているよ。君に逢えるまで」


 二人が固く抱き合ったとき、空の色は一気に色づいてきた。そのまま固く手を繋ぎ、ふたりは地下水路の入口へと走っていった。



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