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2、 運命の出会い (6)


 月に照らされて、丘一面を覆う背の低い草が光っている。風は時折優しく吹いては凪ぐ。手を繋いで丘を上る間、ふたりは言葉を交わすことをしなかった。気恥ずかしいのでも、緊張していたのでもない。ただ、再びこうして巡り合い、ふたりきりで過ごすことができるなど、未だ信じることができないでいたのだ。


 コイリュルは、握ったクッシリュの手の感触で、昔のことをありありと思い起こしていた。あの日少年はいきなり彼女の手を掴んで走り出した。クッシリュにとっては日常によくある何気ない行動だったのかもしれないが、コイリュルにはまるで天地がひっくり返ったような衝撃だった。異性の子と、いやそうでなくても、物心付いてからその時まで、少女クイが直に誰かの肌に触れることを知らなかったからだ。伯母に叩かれたことなら何度もある。けれどそれは、温もりを感じ取れるような温かな触れ合いではない。だから自分の手を通して誰かの温もりが伝わってくるという感触に、彼女は衝撃を覚えたのだ。

 はじめは驚きと怖さが混じっていた。けれど、クッシリュにとってそんなことは当たり前過ぎることだったのだろう。少年が無邪気に手を添え、手を繋ぎ、ときに頭を撫でるのを、彼女は驚きながらも心地よく感じるようになっていった。その後も彼女が温もりを伝え合えた相手は、クッシリュとパパリャしかいなかった。


 久しく会うことのなかった少年は、すっかり別の人になっていた。あのときコイリュルの大きさとさほど変わらなかった掌は、彼女の手をすっぽりと包み込むほどになっていて、骨ばって皮膚も硬かった。とても柔らかさは感じられないが、温かさは変わらないどころか、遠い記憶のそれよりもずっと熱かった。

 少し前に立ってコイリュルを誘うように丘を上るかつての少年の肩先を見つめるうちに、知らずにコイリュルの目から涙が零れた。彼が振り返らないうちに涙を拭い去ろうとすればするほど、ますます涙は溢れてきてコイリュルを困らせた。

 

 丘の頂上までやってきて、クッシリュは手を離し、コイリュルに向き合った。傾きかけた月を背にしてクッシリュの大きな黒い影がコイリュルを包み込む。コイリュルはたくさん涙を拭った顔を見られて恥ずかしくなり、俯いた。クッシリュは容赦なく、身を屈めてその顔を覗き込んできた。


「私は……。ぼくはあの時、宝物を発見したんだ。透明で太陽の光に溶け込んでしまいそうな美しい女の子。誰にもその姿を知られていないのなら、ぼくだけの宝物だった。だから誇らしかった。君と一緒にいることそのものが、優越感だった。だから誰にも知られたくなかったし、独り占めしておきたかった。

 けれど会っているうちに、君はそんなか弱い子では無いとわかった。ぼくに容赦なく向かってくる喧嘩仲間みたいに強かった。すぐに砕けてしまう薄い氷のように弱いのか、どんな斧も歯が立たない岩壁のように強いのか、君がいったいどんな子だったのか、ぼくには結局分からなかった。でも、ひとつ言えるのは、君のような人には、その後どこに行っても会えなかったということだ。

 だからぼくは、ずっと忘れられなかった。いつも心の隅に君が居た。もしもこうやって再会できなかったとしても、死ぬまであの時の君が心の奥に居ただろう。ぼくにとって、君は何物にも代えられない存在だった」


 クッシリュはそう言ってコイリュルの頬に手を添えた。クッシリュの影が動き、少し上げたコイリュルの顔に月の光が当たる。顔に塗っていた日よけ薬が涙でところどころ落ちて、彼女の白い肌を顕わにしていた。潤んだ碧い瞳は輝く玻璃はりのようだった。クッシリュが最初に出会った少女が、時を超えてそのままそこに立っていた。


「……私の方もそうよ。私を心から友達として認めてくれたのは、クッシリュとパパリャしかいない。でも、パパリャにはあまりにも助けてもらうことばかりで、対等では無かったわ。私にとってお姉さんのような存在だったから。一緒に遊んでぶつかり合って、遠慮のないことも言い合える存在はクッシリュしか居なかった。多分、これからもずっとそうよ。私の周りには、私を利用しようとする人たちしか居ない。クッシリュが唯一、私という人間を認めてくれた人だった。

 ねえ、まさか、クッシリュも私のことを利用するためにやってきたのではないわよね。もしそうなら、私は唯一の心の拠り所を失くしてしまうの!」


 もしも本当にその通りなら、聞いても誤魔化されるだけだろう。それでもコイリュルはクッシリュに聞かずにはいられなかった。

 クッシリュはコイリュルの追及にも動じず、頬に手を添えたままじっとコイリュルの瞳を覗き込んでいた。そのまま視線を外さずに、クッシリュは答えた。


「私は、クイのお父上が疑念を抱いているアタワルパ様の名代みょうだいだ。立場はどう言い繕っても変わらない。だから、君が何を想像したとしても、それを全く否定することは出来ない。私にその意思が無いと言っても、私の意思とは違う方向に行く可能性もある。

 ただ、ひとつ。私はクイのことを誰にも話したことはない。そして今宵、ここで再会したことを誰にも話すつもりはない。これだけは真実だ」


 コイリュルは、ワスカルが本当の父では無いと、クッシリュに話す必要を感じなかった。立場を考えてしまえば、どんなに信じたくても信じられなくなる。今、ここで、幼馴染が再び巡り合ったこと、それだけが真実なのだ。


 コイリュルはクッシリュの首に手を回してしがみついた。幼い頃は友達でありライバルだった。だから彼にすがろうという気など抱かなかった。けれどこうして成長し、彼の存在の大きさを目の当たりにして、コイリュルは自然とクッシリュに縋りたいという気持ちが湧いてきた。それに彼が幻ではないことを確かめたかったのだ。

 コイリュルの身体を受け止めて、クッシリュも彼女を包み込む。回した腕に徐々に力が籠っていく。手放してしまった秘密の宝物をやっと取り戻し、二度と失くしたくないという気持ちの表れだった。


 月明かりの下、ただじっと抱き合って二人は長い時を過ごした。言葉を交わす時間も惜しかった。欲しかったのはお互いの温もりであり、もしも離れてしまったら手に入らないのもその温もりだった。ここまでの時間もこれからの時間も、二人には必要は無かった。ただ触れ合える位置にいるこの瞬間だけが必要だった。


 月は丘の向こうに傾こうとしている。空は微かに色を付けてきたようだ。これ以上の時間が無いことをどちらからともなく悟り、名残惜しそうに身体を離す。

 クッシリュの腕にコイリュルのかつらが絡みつき、身体が離れた瞬間にコイリュルの頭からそれを引き離してしまった。

 クッシリュの目の前に、見たことのない金の髪の精霊が現れた。クッシリュは手にしたかつらを一瞬見て、再びコイリュルの姿を眺めた。


「…………知らなかった。もちろん、一筋の金の髪と君の話で想像はしていた。けれど、これほどまでに美しいものだとは想像も付かなかった。

 あのとき幼いぼくは、とんでもない宝物を手にしていたんだ」


 一旦離した身体を引き寄せ、クッシリュはコイリュルの柔らかい金の髪を撫でた。そして互いの額を突き合わせ、どちらからともなく唇を重ねた。

 手を繋ぐことしか知らなかった幼い友達はもうそこには居ない。初めてこの丘で出会い、恋に落ちたふたりが居るだけだった。




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