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2、 運命の出会い (4)


「…………」


 どこかで虫の羽音がしたと思い、コイリュルはさして気にも留めなかった。しかし羽音はだんだんと近づいてきて、コイリュルの背後で大きな音を立てた。


「……クーイ!」


 飛び上がって振り返ると、そこにはパパリャが立っていた。


「嫌だな、どうしたっていうんだい。あたしを不審者のような目で見て。まあ、この屋敷に勝手に潜り込んでいるんだから、確かに不審者だけどね」


 パパリャの冗談が終わらないうちに、コイリュルはパパリャに飛びついた。


「え? ますますおかしなことをするよ。どうかしたのかい」


「ああ、パパリャ。私のこれまでの苦労は無駄ではなかったわ。私はこの時のために、此処に来る運命だったのよ」


「この時って」


「運命の人に会ったの。昔私を救ってくれた人が、また私を救いに来てくれたのよ」


「昔……何時のことだい」


「伯母さまの屋敷に居たとき。パパリャの次に出来た友達よ。彼にまた出会ったの」


「それは本当かい? あの、いつの間にか居なくなってしなったという友達に」


「そうよ。彼は北から戻ってきてくれたのよ」


 それを聞いて、パパリャはそっとコイリュルの身体を自分から引き離し、その目を覗き込んだ。パパリャの顔は険しかった。


「クイ……。それって、北の使者が、その友達だったってことかい?」


「その通りよ!」


 パパリャの訝し気な表情にもコイリュルは全く気付かず、興奮気味に返事をする。パパリャはそんなコイリュルの両腕を強めに掴んだ。


「ダメだ、クイ。それは罠だよ。クイの気持ちを惹きつけてクイを利用しようとしているんだ」


 コイリュルの満面の笑みが俄かに泣き顔に変わる。その表情の変わりように、パパリャはコイリュルが少々正気を失っていると判断した。


「何故? ひどいわ。ワスカルさまも、ラグア夫人も、パパリャまで! なんでそんなに北の人を悪く言うの? 彼は何にも知らないわ。私が此処に居ることなんて、知るわけがないじゃない! 私はそれでなくても、存在を隠していなくてはならないというのに。どうやったらクスコが敵だと思っている北の人間が、そんなことを知ることができるというの!」


 パパリャはコイリュルの剣幕に押し黙った。コイリュルが興奮しているのは確かだが、彼女の話は決して妄想ではない。よく考えれば、北の人間があらゆることを画策しているという根拠の方が曖昧なのだ。

 パパリャは掴んでいた手を緩めてしばらく考えた。


「……確かに。クイの言う通りかもしれない。北の使者がわざわざクイの居場所を探って近づき、あんたを利用しようと企むなんて、とてもできることじゃない」


 クイはぽろぽろと涙を零して、さらに訴えた。


「クッシリュだって驚いていたわ。最初は私だって気付かずにいたのよ。私がサパ・インカの娘だと思って、挨拶のつもりで踊りに誘ってくれたの。けれど一緒に踊っているうちに、かつらの中から一筋金の髪がこぼれて、それで、もしやと思ったんですって。彼が私と出会ったときのことを話し出したのを聞いて、私、思わず目を開けて彼を見てしまったの。でもその時、この瞳を見て確信したんですって。罠に嵌めようとして、そんな演技が出来るはずないでしょう? それにクッシリュとの思い出は、パパリャにさえ話していないことだわ。私と彼だけが知っている秘密なの」


 必死に訴えるコイリュルに、パパリャは済まなそうな表情を浮かべた。


「……ごめんよ、クイ。あたしは、前にクイからその友達の話を聞いたときも、確か気を付けろと言ったよね。あたしはきっと、あんたたちがうらやましいのさ。もしかしたらそのクッシリュとやらに、大切な友達を奪われるんじゃないかって警戒しているのかもしれない」


「まあ、パパリャ。そんなことを気にしていたの」


 コイリュルは潤んだ瞳のまま、今度はころころと笑い出した。


「クッシリュのことは信じるよ。ただね、クイ。都と北の関係が良くないことだけは確かなことだ。だからいくらこの屋敷の中に居るとはいえ、クッシリュと簡単に会ってはいけないよ。罠じゃなくても、罠にされてしまうこともある」


「そんなに……。そんなに事は深刻なの?」


「この際、誤魔化したって仕方ない。いまのところ、サパ・インカに、北の使者団を歓迎する意図はない。使者団の出方次第なんだ。その『クッシリュ』のことをサパ・インカが気に入れば、事態は好転するかもしれない。つまり『クッシリュ』の行動ひとつで運命は決まるんだ」


「それを、事前にラグア夫人が見定めようとしているのね」


「そういうことだ」


 コイリュルの顔に再び翳が差し、項垂れた彼女はじっと床を見つめていた。

 さっきから、自分の言葉がコイリュルの心を何度もかき乱してしまったことをパパリャは後悔した。せめて彼女の心に希望の灯をともす方法はないだろうか。思いを巡らせて、はっとひらめいたパパリャは、項垂れるコイリュルに優しく呼びかけた。


「でもクイ。せっかく友達に会えたんだ。あたしも何とかあんたたちの時間を作ってやりたい。良かったら、あたしの使っている地下水道を教えるよ。その道を通れば、誰にも知られずに館の外へ出ることが出来る。今夜、月が中空に掛かる頃に、この部屋の窓の外で待っていてくれればいい。このことを、クッシリュに伝えることはできるかい?」


 パパリャの方へ向けたコイリュルの顔に、再び笑みが戻っていた。


「ええ、今夜も宴が催される予定よ。そのとき彼はまた、私を踊りに誘うって約束してくれたわ。そのときに伝えることはできるわ」


「分かった。宴が解散したら、ふたりで待っていておくれ。あたしが案内するから」


 コイリュルはもう泣いたり笑ったりしなかった。黙ってパパリャの肩に手を回し、強く強く抱き締めた。それがコイリュルの最大の感謝の表わし方だと察したパパリャは、どんなに危険を冒そうとも誰を敵に回そうとも、ふたりの時間を作ってやらねばと決意を新たにした。


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