ワスカルとアタワルパ
この物語で、主役の次に中心となる人物、ワスカルとアタワルパについて、解説したいと思います。
インカ帝国が滅んだのは、スペイン人の侵略によるものというのが通説ですが、実はこの二人の皇帝の争いが無ければ、崩壊に至ることまでは無かったのかもしれません。
侵略者ピサロさえ、はじめはこんな大帝国をあっさり征服できるなどと思っていなかったでしょう。
ピサロにとっては、運が味方したといえるかもしれません。
ワスカルとアタワルパ。
作中で語っている通り、ワスカルが首都クスコを中心とした勢力で、アタワルパが現エクアドルを中心とした北部地域を本拠地としていました。
アタワルパは、長年北に駐留していたため、一説に、『前皇帝ワイナ・カパックが、北の異部族の王女に生ませた皇子である』というものもありましたが、れっきとしたクスコ出身の皇子です。
この二人の確執の根底には、『異なる家系同士の争い』というものがありました。
地域の断絶というよりも、もともとクスコの皇族たちの間にあった溝が深まったといえるでしょう。
ワスカルは、第10代皇帝トゥパック・ユパンキが創設した『カパック・アイユ』という家系であり、アタワルパは、第9代皇帝パチャクティが創設した『ハトゥン・アイユ』という家系です。
この家系同士の確執というのは根深く、例えばカパック・アイユの者は、ハトゥン・アイユの祖であるパチャクティについて語ることもはばかるくらいだったと言われています。
それゆえに、征服後にスペイン王室が、インカの歴史を調査しようとしたとき、語る者の出自によって、歴代皇帝の実績や存在が抹消されているということが起こったくらいなのです。
文字記録が無かったために、口頭伝承の中で自然と、おそらくは故意的に語られなくなったのだろうと思われますが。
それほどまでに、この『家系』へのこだわりや誇りが強かったのだということです。
この家系というものは、母親の出自によって決まります。
つまり、ワスカルの母が『カパック・アイユ』出身であり、アタワルパの母が『ハトゥン・アイユ』出身だったのです。
そして、ワイナ・カパック帝の正妃がワスカルの母であったため、ワスカルが正統な後継者と思われがちなのですが。
ここで、インカの皇位継承は、必ずしも正妃の子どもや長子ではないということが混乱の原因になってきます。
インカ皇帝には、その時々で、最も能力のある皇子が選ばれることとなっていましたし、決定権は皇帝自身による使命や、権力のある皇族たちの推薦、または神託にありました。
本来なら、皇帝自身が生前に後継者を指名しておけば問題はないのですが、この物語で述べた通り、ワイナ・カパック帝は、スペイン人によって持ち込まれた未知の病、天然痘によって、突然亡くなってしまいました。
その時点で、皇帝自身が指名していた後継者は、ニナン・クヨチでした。彼は、皇帝の指名、有力皇族たちの推薦、さらに神託で吉と出るなど、あらゆる点で後継者としての条件を満たしていたので、他に後継者を立てる必要は無かったのです。
ここで、インカ皇族たちにとって予想外の出来事が起きてしまいます。
まだ若いニナン・クヨチも、ワイナ・カパック帝と同時期に天然痘によって命を落としてしまったのです。
この病はこれまで大陸に無かったものなので、ニナン・クヨチの死は誰も予想できない出来事でした。
こうして急遽、クスコの貴族はワスカルを皇帝として擁立したのですが、彼の即位に反対する皇族は多く、さらに神託でも凶と出て、不満を募らせる者が続出したのです。
ワスカルの皇帝即位に関しても、彼の生母、ラウラ・オクリョの画策で、正規の手順を踏まずに、性急に強引に行われた印象があり、これによって対立する貴族の不満が高まった可能性が高いのです。
アタワルパははじめ、ワスカルの即位を好意的に見ていました。新皇帝のために、北部に別宮を建てたり、多くの祝いの品を贈ったりしました。
しかし、すでにワスカルに不満を抱いていた貴族たちによって、ワスカルの対立候補に仕立て上げられていったのです。
ただ、ワスカル自身は、新皇帝としての責務を自覚し、様々な改革に意欲的に取り込んでいたのではないかと思われます。
そのひとつとして、歴代皇帝たちとその一族が所有する莫大な不動産、財産を没収し、それを均等に分配しようとしていました。
ただこの改革は、多くの有力皇族を敵に回すことになり、結果的に次々と反対勢力をつくることとなってしまいます。
これらの反対派が頼るはアタワルパのみ。さらには、アタワルパの許には、先代皇帝の時代から、北の保安のために多くの有能な軍人が集っていたために、軍事力の差は歴然でした。
ワスカルが気付いたときには、アタワルパ側の勢力は、歯が立たないほど膨大になっていたのです。
この内戦については、今後の物語の中で語っていく予定ですが。
これに付け込んだピサロは、最後の皇帝アタワルパを処刑する理由をつくるために、彼の罪状を『クーデターを起こし、正統な後継者ワスカルから権力を奪ったうえ、国内を混乱に陥れた罪』としました。そうして正式にスペイン王室に処刑の許可を得たのです。
結局、同じ民族間で起こった壮絶な内乱は、縁もゆかりもない異邦人の利益として吸い上げられて、終結するのです。
ワスカルとアタワルパは、どちらも有能な為政者だったのかもしれません。
ただ、多くのアクシデントと大勢の思惑が複雑に絡み合い、残酷な運命を辿らなければならなかったのではないかと思われます。




