1、翳りゆく陽光
1、翳りゆく陽光
北の地は陽光に満ち溢れ、暖かな大地に抱かれた神の地だ。遥か昔、先祖は南の湖より出でて北へ北へとのぼっていった。そこで湖よりも温かく、湖と同じ恵みをもたらす地を見つけた。それが都だ。
偉大なる祖先たちは永き時に渡り、都を守り続けた。しかし……。
神は旅を続ける。より良き土地を求め、より良き民を得るために。そして今上皇帝は再び、新たな都を探し当てたのだ。正しくは、探し当てたのは先代であったが、それを首都にするべく尽力した。
新都キート。クスコを中心に発展し続けた国に新たな時代が訪れようとしている。皇帝はそう信じていた。そして彼に従い新たな開拓に精を出す多くの貴族兵士たちも。
しかし北の地に古くから住まう民は、皇帝とタワンティン・スーユに従うことを強く拒んだ。彼らがクスコからやってきた新参者に支配されることを嫌った。当然である。太陽の通い道に最も近い北はクスコのように寒く乾いた土地ではない。あたたかな光と豊かな水によって無数の実りを居ながらに手に入れられる楽園である。なぜ故、彼らがそのパラダイスを、南より突然侵入してきた者たちによって追われなければならないのか。太古より北の地に根差していた民族は団結して反旗を翻す。一方、サパ・インカに率いられたクスコの軍隊は、北の地の野蛮な人々に秩序をもたらすためにやって来たのだと、大義名分をかざして彼らをねじ伏せた。
かくして北の地の混沌は幾年も幾年も続き、もはや解決の糸口を見い出すのは難しくなっていた。
ワイナ・カパック帝は、美しく過ごしやすいキートをこよなく愛していた。さらに北の地の各所で絶え間なく起こる反乱を制すために、北都を離れられなくなっていた。最愛の息子にして、自身亡きあとはそのすべてを託すことのできる資質を備えたニナン・クヨチ。気性は荒いが、軍部の采配にかけては天賦の才能を持つ皇子アタワルパ。そして幾世代に及びこの大地にて最強と恐れられてきたタワンティン・スーユの武者たちが居れば、今やキートがクスコに代わる都といっても過言ではない。
老皇帝は、北に骨を埋める心づもりだったのだろう。
世は新しい世代を迎え、タワンティン・スーユの首都がキートへと遷る。
ひとつの時代を終え、新たな時代が始まる。人々は不安と期待を胸に、そのときを静かに見つめていたのだった。
太陽がその光を徐々に弱めつつあった。北の地では、かつて南都クスコで起きた異変と騒然をなぞるように動揺が広がっていった。夕暮れにはまだ遠い。いや、太陽は昇り始めたばかりで未だ中空にも達していない。しかし明らかにその光は弱まっていく。首都の歴史資料館になら、この現象を描いたレリーフを見ることができただろう。あるいは古参の歴史学者ならその伝承を諳んじることができただろう。しかしそのような知識はすべてクスコに置き去りにされていた。
日食……太陽の一部に影が差し一時的にその光を弱めるということを、北の人々は識らなかった。いや識っている者がいたとしても、同時に起こっている大事とその現象を、結び付けずにはいられなかった。
太陽の光が弱まるとともに、老皇帝の顔から生気が薄れていく。皇帝が病床にあることは、宮殿の奥の近しい者たちしか報らされていなかったが、もう幾月も皇帝の姿が見えないことに市井の民ですら異変を感じていたのだ。時でもない薄暗さは誰の心にも不安をもたらす。人々はその不安の現況を、彼らの太陽の命に関わることと察していた。
影は完全に太陽を消し去ることはしなかった。しかし闇は確実にすぐ傍を掠めていった。再び光が活気を取り戻したとき、人々は彼らの懸念が杞憂に終わったと安堵した。息を潜めて成り行きを見守っていた人々が、復活した光の中で歓声を上げているとき、宮殿の奥ではひとつの時代の終わりを告げられた人々が悲嘆に暮れていた。
―― 皇帝崩御 ――
これが古来からの都クスコであったなら、後に続く儀式に向けてすぐに準備が始められたであろう。しかし。
今や国は、新都キートと古都クスコとに分けられていた。悪いことに、古都の貴族は新都の貴族を快くは思っていない。いくら新都が皇帝の御膝下といっても古都には古都の伝統と誇りがある。皇帝の権威があればこそ、新都に刃を向けることを自粛していただけだ。事が露見すれば古都は必ずや復権を望んで彼らに都合の良い後継者を立てるだろう。その前に同じく新都派の皇帝を戴冠させねばならない。
宮殿では速やかに、秘密裡の策が練られた。すなわち、皇帝の死をできるだけ公に知られないうちに、遺体を南都へ運ぶこと。南都への道程の途中にある都市トゥミパンパに居る皇太子を伴って、南都に到着後、速やかに戴冠してもらうのだ。いくら北都が栄えつつあるといっても、すべての伝統は未だ南都で守られている。葬儀の祭典も、新皇帝の戴冠も、北都にはそれを行える神官もおらず、設備も整っていなかったのだ。
北都が南都に代わってこの国の都として機能するには、時期尚早だったのである。
皇帝の崩御により、北都の貴族は南都の貴族をこれまで以上に警戒するようになった。このときの北都の疑心暗鬼が、やがて国を決定的に分断する事態への序章だったのである。




