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2、 金の星 (5)



 紹介を受けてひとりの男が伯母の席の前へと進み出てきた。陰となっていたその姿を光がはっきりと照らし出す。

 父の代理と云う割には未だ二十代はじめと思われる若者だった。兄と云うにはかなり年が離れているがクイの父親と云う年齢でもない。しかしその立ち居振る舞いはどこか老成したような落ち着きがあった。

「お身体がお辛いでしょう。どうぞこちらに腰を下ろしてください」

 青年皇族は、まずはクイの身体を気遣って伯母の席の前に敷かれた大きな敷布に座るように勧めた。クイはちょうど立っているのが辛くなっていたので勧められるままに敷布に腰を下ろした。クイが席に落ち着いたのを見届け、青年はその正面に跪いた。そして大袈裟なほどゆったりと片腕を広げそれを胸の前に置いて深々と頭を垂れる。そうしてクイに最大限の敬意を示すとゆっくり顔を上げ、改めて挨拶を述べた。

「このたびはご成人、誠におめでとうございます。お初にお目に掛かります、姫君。サパ・インカ、ワイナ・カパックと妃ラウラ・オクリョが息子、クシ・トパ・ワルパにございます。広くはワスカルと呼ばれております。本日は、お父上ニナン・クヨチさまの代理として姫のご成人を見守らせていただきたく存じます」

 クイは挨拶を返す礼儀も忘れて、思わず気になったことを口にした。

「私の父はニナン・クヨチと云う名なのですね。父はどうしてこの場に来てくださらないの?」

 これまで伯母からクイの父がどんな人物かは聞かされていた。この屋敷に来る前には父の元で暮らしていたというから、クイの記憶のどこかには父の面影もあるはずなのだが、そのときのクイはあまりにも幼かったため、その記憶を見つけ出すことは難しかった。だから伯母の話す厳格で無口な人物というのがクイの頭のなかの父親像だ。母はクイが生まれると同時に亡くなったという。唯一の肉親である父に会える日をクイは密かに楽しみにしていた。しかし成人という大きな節目を迎えても父に会うことが叶わないと知ってクイは落胆した。ようやく大人になり厳しい伯母の監視の許から解放されるときが来たというのに、彼女を待っていたのは頼れる身内のない孤独だったのだ。

 クイの薄蒼の瞳が哀しげに揺れるのを見て、皇子ワスカルは彼女に同情するように眉を顰めた。

「姫、お父上にお会いできる日を心待ちにされていたのですね。それを、お父上の代わりに参ったのがわたくしだったとは、さぞかしがっかりなさったことでしょう」

「いいえ。その様なことは……」

 口では否定しながらも、クイは未だ浮かない表情を隠せないでいた。

「いいのですよ。そのようなお気持ちになられるのは当然のことです。しかしご安心なさってください。お父上も姫のご成人を心待ちにされていたのですよ。お父上は皇帝陛下のお供で(チンチャイ)にいらっしゃるのです。いまはどうしても都に戻ることが出来ず、心苦しく思っていらっしゃいます。だからこそ、信頼を置いてくださっている異母弟のわたくしに数々のお祝いの品を託され、姫のご成人を見守ってほしいと頼まれたのです」

「本当ですか」

「ええ。その証拠にこちらに並んだ品はすべてお父上から贈られたものなのですよ」

 ワスカルの指し示す方へ目を遣ると、そこには美しい織りの着物や帯が数着、意匠の凝らされた装飾品が数点、そして丈夫そうなサンダルが置かれていた。それはこれまで侍女と変わらない質素な服しか身に付けたことのなかったクイにはとても贅沢なものに見えた。

「こんなにたくさん……。お父さまが私のために……」

 クイの顔に喜びが滲み出てくるのを見て、ワスカルは満足そうに頷いた。

「まだ喜ばれるのは早いですよ。わたくしはお父上より貴女さまのお名前を預かってまいりました。貴女さまがお生まれになったときに思いつかれたお名前なのだそうです。お父上はようやくその名を貴女に授けることができると大変お喜びです」

 クイはますます目を輝かせてワスカルを見た。ワスカルの方では摩訶不思議な光を放つその瞳に魅入られクイから目が離せなくなった。

―― なんという色なのだ。この娘を世間から隠さねばならない理由が分かる ――

「クイ。本来なら多くの者たちに祝福を受けて成人を迎えるものですが、貴女は特別なのです。ですから貴女の成人は私とこのワスカル皇子しか見届けることができません。分かりますね」

 呆然としているワスカルの背後から伯母が彼の説明を補うように云った。その声でクイを見つめていたワスカルは我に返った。そして老婦人に一礼すると速やかに脇に退き、そこに置かれた来客用の敷布に腰を下ろした。


「……はい」

 伯母に答えたあとクイの顔にまた翳が差す。皇女ならば多くの召し使いがクイの身体を清めその身体に美しい着物を着せ付けてくれるのではないだろうか。そして立派な宮殿の広間で大勢の貴族、皇族たちにお披露目されるのではないだろうか。例え庶民だとしても、パパリャの話にあったように村中の者から祝福されるのではないだろうか。

 だだ広い部屋の中で伯母と、父の代理とはいえ初めて会った男性と、三人きり。とても祝いの席には思えない。

「……けれど貴女の成人は、国中の者が待ち望んでいたものなのですよ」

 つづいた伯母の意外な言葉にクイは目を見開く。伯母はクイの驚きを承知していたのだろう。そのままゆったりとした口調でクイに語りかけた。

「これまできっと何度も、自分は生まれてきてはいけなかったのではないかと思ったことだろうね。なぜこんな辛い目に合うのだろうと思ったろうね。そして私を憎く思ったことだろう……」

 クイは瞬きもせずに伯母を見つめていた。

「貴女のその肌の色、瞳の色、髪の色、どれをとってもわが国の、いやこの大地のどの部族の民にも見られないものです。しかし貴女は紛れもなく、サパ・インカの第一皇子であり、我が妹の忘れ形見でもある皇太子ニナン・クヨチと、その正妃ユユとの間に生まれた皇女なのです」





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