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2、 金の星 (2)



 パパリャの言葉から部屋の中にしばらく沈黙が流れた。やがてその静寂を破ったのは女主人の足許に立っている侍女だった。

「……奥様、いよいよこの時がやってきたのですね」

 侍女の言葉に寝台の上の老婦人がゆっくりと頷いた。置かれている状況が何も分からないクイも、そして事の大きさをある程度予想していたパパリャさえも、予想外の深刻な事態に繋がっていくことを感じ取って身を引き締めた。

 ふたりの視線の先で老婦人が僅かに口を開き、掠れた声を発する。

「それでは儀式の準備を進めておくれ。介添えはこの飯炊き娘にお願いするとしよう」

 視線は少女たちに向けられたままだが、老婦人の言葉は侍女に向けられたものだった。 

 女主人の傍に仕えてきた侍女は、すべての事情を知りこの日に備えて女主人と打ち合わせをしてきたようだ。今は身体を容易に動かすことのできない主人に代わって計画を進める用意があるようだ。

「畏まりました。奥様。お任せくださいませ」

 侍女が胸に手を当てて軽く腰を折る。そして少女たちの傍にやってきて二人の背中に手を添えた。

「これからすぐに支度を始めますよ。パパリャ、お前はお嬢様の介添えとしてこれから三日間お嬢様の傍でお世話をしてもらいます。さあ、こちらへいらっしゃい」

 侍女はそのままふたりの背中を押して外へ出るように促した。


 嬉しいこと、奥様もお喜びになる……パパリャは確かにそう云った。けれど事態はまったく逆の方向へと進んでいく。伯母の部屋に連れて行かれることになったときから不安を感じていたクイには予想どおりであったが、パパリャの言葉に期待していなかったわけでもない。悪い予感のほうが現実となり、クイはパパリャを恨みがましく見た。するとパパリャのほうが余程弱りきった顔でクイを見つめ返した。侍女に追い立てられるように歩きながらパパリャの瞳はクイにすまないと告げている。クイは、いつも気丈なパパリャのすっかり弱った表情にさらに不安を覚え、慌てて視線を逸らした。

 心と呼応するかのように、クイは再び腹に重苦しさを感じた。しかし先を往く侍女にも隣を歩くパパリャにもそれを訴えることは躊躇われた。額に脂汗を滲ませながら痛みに耐え、侍女の後を付いていくしかなかった。


 ふたりが連れて来られたのは、伯母の部屋の並びにある広い部屋だった。屋敷の奥まった場所にあるその部屋はたいへん立派な石造りであるが、長年使った形跡のない殺風景な部屋だった。主が無くても常に綺麗に掃除されているようだが、生活の跡が無いと酷く寒々しく感じられる。牢獄とはこんな場所ではないだろうかとクイは思った。

 侍女は少女たちを部屋に通して入り口の厚い掛け布を下ろした。三人だけになると侍女は二人に向き合いこれから行われることを説明しようとした。

「お嬢様、まずはご成人の兆しおめでとうございます」

 当のクイは未だ何が起きているのか理解できず、侍女の言葉に首を傾げた。

「待ってください。私、今朝とつぜんお腹が痛くなって、今も苦しいのです。なぜそれがおめでたいことなのですか?」

 侍女は今度はパパリャに視線を移して怪訝な顔をした。

「パパリャ、お嬢様に何も説明していないのかい?」

 パパリャは縮こまって答える。

「すみません。奥様にご報告するのが先と思い……」

 侍女は小さく溜め息を吐き、再びクイに向き直った。

「お嬢様、貴女のお身体は大人になる準備を始めたのです。子を宿すことのできる身体になろうとしているのですよ。これから儀式を経て貴女さまは成人の女性に成られるのです。

 奥様はお嬢様が大人に成られるまでご成長を見守ってこられました。けれどお嬢様が成人されれば皇族として高い地位が与えられます。もう奥様が見守る必要も無くなるのです」

「皇族としての地位?」

 これまでクイは自分が貴族の出身だということは聞かされていた。両親が首都に住んでいたことも。けれど『皇族』とは貴族の中でも特に皇帝に(ゆかり)の深い一族であるということだ。自分の出自がそれほどまでに高い位であることなど思いもしなかった。それならば何故、伯母は自分を疎むのか。そして長年厳しい下働きをさせられなければならなかったのか。考えれば考えるほど腑に落ちないことばかりだ。

 パパリャにしても同じ思いだった。クイが貴族であることを知りながらも、下働きと同じ生活を送らなければならないクイはすでにその地位を失くしてしまったも同然なのだと思っていた。そんな彼女を不憫に思い、畏れながらも同じ立場の者に相対するように接してきたのだ。しかし『皇族』となれば平民にとって神にも等しく畏れ多い存在なのである。

 ふたりの表情がそれぞれ強張ったのを見て取って、侍女は付け加えた。

「詳しいことはすべての儀式を終えたあと奥様からお話があります。先ずは無事に成人の儀式を済まさなければなりません。パパリャ、お前はお嬢様が最も信頼を置いている者なのですから、これから三日の間、お嬢様のお世話の一切を任せます。重要な役目なのです。動揺していてはいけませんよ」

 するとクイはパパリャの手を取って力強く握った。パパリャがクイの顔を見つめると、クイは少し不安な表情を残したままそれでも微笑んで頷いた。彼女の表情はこう語っているようだ。

『パパリャ、貴女だけが頼りよ』

 それを見てパパリャのほうもしっかりせねばと自分を奮い立たせる。何時しかふたりはこれまでと同じ信頼関係を取り戻していた。


 儀式とはこれから三日の間、クイがこの部屋に篭って外部との接触を絶つことだった。それだけでなく飲むことも食べることも禁じられる。いわゆる断食を行うのである。パパリャの役目はクイの健康状態を見守ったり、汚れた着衣を取り替えたりすることであった。

 それに先立ってパパリャはクイの本当の姿を目にすることになる。

 ふたりに儀式の次第を説明したあと、侍女は水の張った(たらい)と手拭を持ってきてクイの顔に塗られた日除け薬を丁寧に落としていった。クイが本来持っている透き通るような白い肌が露わになる。間近で顔を合わすことの多かったパパリャは、クイのその白い肌と、覗くと奥の奥まで見通せそうな薄蒼の瞳はよく識っていたが、驚いたのはその後だった。

 侍女はクイの肌を整え終えると黒毛のかつらを取った。かつらの中に丸めて押し込まれていた豊かな髪がはらはらとクイの肩に滑り落ちる。その色はまるで老婆の白髪のようだった。

 パパリャは驚いて言葉を失った。まだ若いクイの髪が真っ白であることに何度も目を疑う。しかしよくよく見ていると、さらさらと流れるような髪は窓から差し込んでいる陽の光をはね返して艶やかに輝いていた。時折窓から吹き込む微風に揺らされれば、それは尚一層キラキラと眩く光るのだった。パパリャは遠くからしか見たことはないが、祭典のときに神輿に飾り付けられた『太陽の汗』(金)の色を思い浮かべた。

 本当の姿を初めて親友の前で晒されて、クイはパパリャが自分の容姿を恐れるのではないかと不安に思った。

 そんなクイの心など察することなく、侍女はまるで何事も無いかのようにクイの髪を手早く櫛で梳き、必要なものを揃えて部屋を出て行ってしまった。クイは身支度を終えたままの姿勢で、パパリャはその傍に突っ立ったまま、暫し無言の時が流れる。けれどパパリャはすぐに気を取り直し、クイに明るく言った。

「その髪、クイによく似合っているよ。黒い癖毛なんかよりずっと」

 クイも笑顔で返す。

「ありがとう。嬉しいわ、パパリャ」




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