7 尾行(2)
7 尾行(2)
「それで、ラルフ・デットはどこにいるの?」
店を出たところで、ロッテはニーナに尋ねた。
「さあ?」
ニーナのあっけらかんとした答えを聞いて、ロッテはがくりと肩を落とす。
「無計画……」
「とりあえず、〝平民派〟のたまり場に行ってみましょ」
そんな会話があって、ニーナとロッテは例の教会に来ている。見つからないように近くの細い路地に隠れ、塀の影から慎重に顔を覗き出して、教会の様子を伺った。
ちなみに、タロットは目立つので、背負い鞄の中に入っている。
「なんか出そうな建物ね」
朽ちた外観の教会を見て、ロッテが呟いた。
「ここより東に行けば、もっとボロボロの建物がいくらでもあるよ」
何でもない事のように言うニーナの答えを聞いて、ロッテは少し眉を顰めた。
「ロッテのせいじゃないよ」
その表情を見て、ニーナは言葉を重ねる。
「分かってる。でも……」
この都市の構造は、百年以上の時をかけて作られたものだ。その歴史の十分の一も生きていないニーナやロッテにとっては、生まれた時から変わらない状況である。
それは分かっているが、東に行けば貧困にあえいでいる人達がいる一方で、単に貴族に生まれたというだけの自分が何不自由ない暮らしをしていることが、ロッテには理不尽に感じられるのだ。
「そういうことで悩むのは後にしなさい」
「……はぁい」
ロッテは不満げに頷いた。
「それじゃ、ちょっと中覗いてみようか」
「い、いいの?」
「バレなきゃ大丈夫だって。どうせあいつらも不法占拠だし」
この教会が打ち捨てられた経緯は知らないが、少なくとも少年たちの誰かの持ち物ということはないだろう。似たような廃墟の中で、比較的大きなここが選ばれているに過ぎない。
「ほら行くよ」
ニーナはそう言うと、小走りで建物の影から影に移動するように教会に近づく。人通りが少ないからいいものの、その動きは普通に移動するより怪しい。ロッテはため息をついて、ニーナの後を追った。
「ふうむ、どうやら対象はいないようだねロッテ君」
教会の脇の伸び放題の生け垣に体を隠して、窓から中を伺うと、ニーナは妙に芝居がかった口調で言った。教会の中には、数人の少年が見えるが、ラルフの姿は認められない。
「どうするの?」
「とりあえずしばらく張り込みね」
「うえぇー?」
ロッテは露骨に嫌そうな声を出した。
「ロッテ君、捜査は忍耐だよ」
「ニーナちゃん、何か小説読んだでしょ。殺人事件が起こって探偵が出てくるようなやつ」
ニーナは目を逸らして、
「な、何のことかな、君ぃ」
「やっぱりそうなんだ……」
「ぬぬぬ、ここまでか。そうだよ、君の言うとおりだ。可愛い探偵君」
「いつの間にかニーナちゃんが犯人役になってる!」
「あのさ、何やってるの?」
唐突に――実際は二人共会話に夢中で足音に気付かなかっただけだが――後ろからそんな声を掛けられて、ニーナとロッテは慌てて振り向いた。
そこにいたのは、十歳かそこらの年齢の、丸眼鏡をかけた気の弱そうな黒髪の男の子だった。
ニーナが昨日見た顔ではない。そもそもあの時は、年上の少年しかいなかった。
「あ~、えっと、その――」
ニーナは目を泳がせる。
「もしかして、誰かに用事?」
男の子はそう言って教会を指す。
「あんまり君たちみたいな小さい女の子が来るような場所じゃないよ、ここは」
「むっ、小さい女の子!?」
ニーナは憤慨して反論した。
「どう見てもあんたのほうが年下でしょう!」
男の子は、あー、と言いながら頬を掻く。
「まあ、慣れてるけどね。僕一応、これでも十四歳なんだ」
『えっ!?』
ニーナとロッテは同時に驚きの声を上げた。身長もニーナ達より小さいし、顔つきも幼い。が、表情はどうも嘘を吐いているようにも見えない。
「あ、うん。――ごめんなさい」
ニーナは男の子に頭を下げた。
「素直に謝られるとそれはそれでショックなんだけど……」
男の子は困ったように笑う。
「それはともかく、誰に用事? 呼んでこようか?」
「や、その、用事、ってわけでも、なくて……」
「――なんてね」
男の子はイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「へ?」
「君たちのどっちかが『クレフ魔法店』のニーナ・エルスターちゃん、でしょ?」
「げ」
ニーナは顔を引き攣らせた。確かに昨日名乗ったのだから話が伝わっていても不思議ではないが、最初からバレていたのだろうか。温和そうな見かけによらず、人の悪い少年だ。
「なるほど、君がそうか。用があるのはラルフにだよね? 残念だけど、今はいないよ」
「そ、そうみたいね。また出直すわ」
「そう? ならそれでもいいけど、今の時間ならラルフは倉庫街にいると思うよ。帰ってくるのは日没よりも後かな」
「どういうこと?」
ニーナは首をかしげた。ありがたい情報ではあるけれど、それをニーナ達に伝える理由がわからない。
「それじゃ、頑張ってね」
そう言うと、男の子はニーナとロッテに手を振って、教会の中に入っていった。
「……なんなんだろう」
訝しげに、ぽつりとニーナは呟く。
「さあ……。でも、丁度よく情報手に入ったし、倉庫街の方に行こうよ」
「丁度よく、ってより、わざと情報流されたとしか思えないんだけど」
「まあねえ……」
ロッテも怪訝な表情で同意した。
§
倉庫街は、キーファの南側郊外にある、流通の拠点である。商会の倉庫がいくつも並び、迷宮の産物を発送すると同時に、市民の食料や生活必需品、探索の道具などが運び込まれる。
迷宮狩人を目指してこの都市に来て、それだけでは食えずに倉庫で力仕事をしている者も多い。
倉庫街といっても、かなり広い。建物の中にいるか外にいるかも分からない人を探すのは骨である。通りの端で立ち並ぶ建物を見渡しながら、
「どうせなら、どこで働いてるかも教えてくれればいいのに」
とニーナはぼやいた。
「さすがにそこまでは知らなかったんじゃない?」
ロッテが適当な想像を口にする。ともあれ、ここからラルフを探すとなると――、
「――聞き込みね」
「まだ探偵ごっこ続けるの?」
「当然」ニーナは頷く。それから眉を寄せて、「――っていうか、ごっこって言うな」
倉庫には労働者は多いが、流石に十五になっていない子供の数は少ない。ラルフがいつもここで働いているなら、知っている大人もいるだろう。
「さっきは失敗したけど、もうあんなミスは犯さない。いい?」
ニーナは腰に手を当て、真剣な表情で言った。
「私とロッテは、急ぎの用事があって友達のラルフに会いに来た。そういう設定にするから。あんな奴、嘘でも友達とか言うのは癪だけど」
「まあ、いいけど……」
「それと一応偽名も決めておきましょ。私はアンナにする。ロッテはビアンカね」
その名前を聞いて、ロッテは首をかしげた。
「それどういう基準なの?」
「三人目がいたらクララにしてた。四人目ならディートリント」
「あー、なるほど」
アルファベート順か、とロッテは納得した。
「そうね。タローのことはクララと呼ぼう」
「やめたげてよ!」
ロッテは思わず突っ込んだ。タロットは雄のはずだ。いくらなんでもクララはないだろう。
「そう? じゃあ、タローの偽名はトランプ。愛称はトラで」
「んん、まあ、それならいい、かな……?」
ロッテは釈然としないように言った。
聞き込み四人目で、ラルフを知る人物に当たった。
「へえ、坊主の友達か」
そう言ったのは、三十前後くらいの労働者の男である。よくラルフと同じ現場で働くと言った男は、
「ほおーう、ほうほうほう」
顎に生えた髭をさすりながらニーナとロッテを見比べた。
「坊主も隅に置けねえなぁ。で、どっちが彼女なんだ?」
「彼女?」ニーナは嫌そうな顔をした。「どっちも違うよ!」
「なーるほど、まだその前の段階か」
男は一人勝手に納得して数回頷いた。彼女もなにも、現時点でニーナとラルフの間の直接の接点は、昨日の一件しかないし、ロッテに至っては顔を合わせたこともないのだが、誤解を解くのも面倒だし話をさせるにはちょうどいいので、もうそういうことにしておこう、とニーナは反論を諦める。
「んで、坊主の居場所だったな? ほれ、あそこにでっけえ倉庫があるだろ?」
そう言って男が指した先には、周囲の建物の中でも一際大きな石造りの建物があった。
「あそこで働いてるの?」
「んにゃ。ありゃ貴族サマの建物だ。俺らとは関係ねえよ。あの倉庫をぐるっと迂回して、裏っかわに小さい倉庫がいくつか並んでる。その中に、小人のマークの上に『R:G』って書いた看板付けた倉庫がある。坊主はそン中にいるだろうよ」
「小人の看板ね。分かった、ありがとう。それじゃ行こうか、ロ……ビアンカ」
「そうね。ありがとうございました」
「なあに、大したことじゃねえ。頑張りなよ、嬢ちゃん達」
男はにやにやと笑いながら声援を送ってきた。
小人のマークに『R:G』の看板はすぐに見つかった。例の巨大倉庫と比べると十分の一くらいしかない木造の建物だ。
「どっかから中の様子見えないかな」
少し離れた位置から建物を伺って、ニーナはそう呟いた。
「倉庫でしょ? 窓もあんまりないみたいだし――」「! 隠れて!」
ニーナはロッテを近くの塀の影に引っ張りこんだ。一人の少年が、『R:G』の倉庫から外に出てきている。言うまでもないが、ラルフ・デットである。
「あれが?」
「うん。そう」
先ほど教会を伺っていた時と同じように、塀の影からラルフの様子を伺う。
ラルフは続いて出てきた中年の男性と二言三言交わして、頷いた。
「会話が聞き取れないわね。読唇術でもやっておくべきだったかな……」
ニーナは大真面目にそう言う。
「むしろニーナちゃんがここで読唇術できたらびっくりなんだけど」
「あ、対象が動いた。行こう」
ニーナはそう言って、隣の路地に駆け込み、そこからまたラルフの様子を伺う。ロッテはその後を追って路地に入り、
「あのさ、ニーナちゃん」
と話しかける。
「何? 今無駄口を叩いてる暇はないわよ」
ニーナはラルフを凝視したまま答えた。
「いや、その、こういう人目の多い場所だと、普通に歩いた方が多分、目立たないよ。この動き余計に怪しいもん」
「う。そ、そう?」
「絶対そう」
ロッテは確信をもって頷く。ニーナは気まずそうに路地から出た。
付かず離れずの距離を保ってラルフを追う。しばらく後を追うと、倉庫街の外れまで来た。
「人通りが少なくなってきたね」
ロッテがぽつりと言う。
「隠れて追ったほうが、――っ!」
突然、ラルフが走りだした。曲がり角を曲がってその先に消える。
ニーナは後を追って走りだしたが、
「……ダメ。見失った」
ラルフの消えた道を覗くと、同じような路地が左右に伸びていて、どこに曲がったか分からない。ニーナが苦虫を噛み潰したような表情を作っていると、
「尾行がバレてた?」ニーナに追いついたロッテが首をかしげながら言った。「私達の方を見た素振りはなかったけど……」
「初めから予定通りみたいな動きだった。けど、バレてないとも言い切れないし」
「まあ、所詮私もニーナちゃんも素人だもんね」
ニーナとロッテは、揃ってため息をついた。
「……とりあえず、帰ろっか」
「だね」
「ごめんね、休日を無駄にさせちゃって」
ニーナは背負い鞄を開けて、中からタロットを出す。
「いいよ、どうせ最初からそうなるとは思ってたし」
ロッテはニーナの手からタロットを奪い取って胸に抱きかかえた。
「そ、そうだった?」
「ニーナが無計画に始めたことって、あんまり上手く行った例がないから」
ロッテの身も蓋もない発言に、ニーナは、ぐぬ、と言葉をつまらせた。




