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ニーナ 迷宮の子供たち  作者: 岸田太陽
第一部 迷宮都市の表裏
3/8

3 マルティナ・ノール

    3 マルティナ・ノール



「――それで、なんとかここまで逃げてきたの」

「さっきの爆発音はそれか……」


 ロッテが投げた黒い筒は、ニーナが以前持たせた閃光弾だ。普段は気弱なくせに、緊急時になると考えるより前に体が動くタイプのロッテが危なっかしいので、逃走用の道具として渡しておいたのだが、まさか本当に使用することになるとは思っていなかった。 


「ロクなことしないわね、あいつら」


 ニーナは深いため息を落とした。

 一口に平民派と言っても、全員が全員、話に出てきた少年のような考えなしの乱暴者という訳ではない。だが、少年が主犯の恐喝事件や傷害事件が少なくないのも事実だ。


「……とりあえずロッテとマルティナちゃん、家まで送るわ。タローも付いてきて」


 床に寝そべっていたタロットが、ぐるる、と唸って身じろぎをする。それを見てマルティナがビクリと身を竦ませた。


「ね、ねえ、なんなの、それ?」


 怯えた様子で、タロットを指す。


「ああ、マルティナちゃんさっきからおとなしいと思ったら、タローが怖かったんだ」


 ロッテがそう言って頷いた。


「こ、怖がってなんか、ない」


 とマルティナは言ったが、ニーナとロッテの目から見て、強がっていることは明らかだ。


「大丈夫だよ、怖くないから。ほらね」


 ロッテはそう言ってタロットに近づき、首筋に抱きついた。


「君は相変わらずふわふわだねぇ」


 タロットはちょっと迷惑そうな顔をしたが、振り払うことはしない。この少女がタロットに抱きつくのは店に来る度の恒例行事であり、いまさらのことだ。ニーナはたまに、ロッテはタロットに会いにこの店に来ているのではないかと思うことがある。


「名前はタロット。白氷竜っていうドラゴンだよ」


 その様子を見ながらニーナがマルティナに言った。


「ドラゴン、なのは、分かるけど、なんで、こんな所に……?」

「前に拾ったんだ」


 まるで犬猫でも拾ってきたかのようにニーナは言うが、ドラゴンを飼っている人など普通はいない。ドラゴンは個体数が少なく、滅多に人里には現れないのだ。そうでなくとも、普通はドラゴンは人には懐かない。


「触ってみてもいいよ、暴れたりしないから」


 ニーナに促され、マルティナは恐る恐るタロットに近寄った。ロッテがタロットから離れてスペースを空けると、マルティナはそこに屈んだ。タロットが銀色の虹彩をマルティナの青い瞳に向ける。

 マルティナがそろりと伸ばした手が、タロットの鬣に触れた。


「うわぁ……」


 小さく感嘆の声を漏らしながら、マルティナはタロットの首筋を撫でた。


「どう? 気に入った?」


 ニーナが後ろから声を掛けると、マルティナははっとしたように手を離した。


「べ、別に、その、そう、珍しいから、触ってるだけ」


 バツが悪そうに頬を赤らめてマルティナは言い訳をする。どうも意地っ張りな性格のようだ。それが微笑ましくて、ニーナはくすりと笑った。


「タロー、おいで」


 ニーナの声に応えて、タロットがのそりと動く。足元にやって来たタロットの首に、ニーナは革製の首輪を付けた。

 首輪の中心に、涙滴状の紅い宝石がはめ込まれている。ニーナがそこを軽く叩くと、宝石は虹色に輝きだした。みるみるうちにタロットの姿が縮んでいく。猫ほどの大きさになったところで、変化は止まった。


 タロット専用に店主が調整した魔導具だ。体は小さくなるが、力が制限されることはない。タロットは外で連れ歩くには目立ちすぎるが、こうして小さくしておけば、亜龍(デミドラゴン)として誤魔化せる(それくらいなら連れ歩いている迷宮狩人もいる)。


「それじゃあ行こう」


 タロットを肩に乗せて、ニーナは二人を促した。

 先にニーナだけ店の外に出て、周囲を伺う。さっきの少年たちがとりあえず見える範囲にいない事を確認して、ロッテとマルティナを呼んだ。



    §



 幸い、少年たちに出くわすことはなく、ニーナ達は町の西側へ入ることができた。

 官庁街を越えると、石組みの壁の大きな屋敷が立ち並び、同じ市とは思えないほどに景観が変わる。


 綺麗だとは思うが、貴族街のどうにも無機質な感じが、ニーナは苦手だ。

 マルティナの家――もとい邸宅は、その貴族街の中でも一等地にある大きな屋敷だった。


「ほえー……」


 屋敷に近づくにつれ見えてきたその偉容に、ニーナは阿呆のような声を出した。


「ああ、ノールって、そうか、この家なんだね」


 ロッテが得心したように言う。

 敷地を囲う塀は高く、正門の前には二人の人が立っている。向い合って話しているようだ。


「あれって門番さん?」

「どうだろう? 片方はそれっぽいけど……」


 ニーナとロッテがそんな会話をしていると、片方の人がニーナ達の方を向いて、


「お嬢様!!」


 と大声を出した。

 それから駆け寄ってきたのは、紺色のワンピースに白いエプロンを付けた、三十歳ほどの女性だった。格好からして、おそらくこの屋敷の使用人だろう。


「ひ、ヒルデ……」


 マルティナが気まずそうに目を逸らした。


「ご無事で安心しました! 旦那様も心配していらっしゃいましたよ」

「う、うん。ごめんなさい」


 ニーナとロッテは顔を見合わす。


「何あんた、家出してたの?」


 ニーナが尋ねると、マルティナはビクリと肩を震わせた。


「えと、その――」

「お嬢様をあんた呼ばわりとはどういうことですかッ!!」


 マルティナが答えを返す前に、ヒルデと呼ばれた女性が爆発した。ニーナの服装と、肩に乗ったタロットに目を走らせ、顔をしかめる。


「そもそも何なのですか貴方は! こんな所に下町の平民が、汚らわしい! まさか貴方がお嬢様を連れだしたんじゃ――」

「ひ、ヒルデ、待って、違うの」


 ニーナが剣幕に押されてたじろいでいると、マルティナがそれを押しとどめた。


「お嬢様も、このような者には毅然とした態度で臨んでください! そうしないと付け上がるだけですわ!」

「ちょっと、貴方ね――」


 見かねてロッテが口を挟んだ。


「いいよ、ロッテ」


 ニーナは首を横に振った。こういった選民思想に侵された暴言を浴びるのは初めてではない。それこそ、下町どころか昔はスラムにいたこともあるのだ。


「私達はマルティナちゃ――お嬢様(丶丶丶)を保護して、連れてきただけよ。お嬢様がどうして下町にいたのか、詳しいことは知らないし、そっちの事情に口を出したいとも思わないわ。だから、これで帰らせてもらう。いいわよね? それじゃあね、お嬢様」


 ニーナは早口でまくし立てる。お嬢様、とニーナが口にするたびに、マルティナの表情が曇った。ニーナは軽く頭を下げると、踵を返した。


「あ――」


 マルティナが小さく声を上げる。何か言いたげに手を伸ばしかけたが、ヒルデの顔色を見て、口をつぐんだ。


 ロッテはニーナとマルティナの様子を見比べていたが、


「来ないと置いてくよー」

「ま、待ってよニーナちゃん!」


 ニーナの言葉を聞いて、慌てて駈け出した。





「……あれは、大変だわ」


 マルティナとヒルデの姿が見えなくなった所で、ニーナはぽつりと呟いた。


「逃げ出したくもなるよ」

「……どうすればいいのかな」


 ロッテが首を少しかしげた。


「……さあ。直接どうにかしたいなら、ロッテにしか出来ないと思うよ。私じゃ話聞いてもらえないだろうから」


 ニーナは肩をすくめて言う。そもそもの原因は、この都市の構造から来ているのだ。一朝一夕でどうにかなる話ではない。


 使用人の態度は、主人の思想に影響される。ヒルデの態度はつまり、マルティナの親が普段からとっている態度なのだろう。

 マルティナには大分無理している様子が見て取れた。ニーナもどうにかしたいとは思うが、ただの平民の子供に何ができようか。


「そう、だよね……」


 ロッテが気落ちしたように言う。


「ま、相談には乗るからさ。機会があったらまたマルティナちゃんにも会ってあげればいいよ」

「うん、そうする」


「ところで、ノール家ってどういう家なの?」

「うーん……、詳しいことは知らない。子爵だったと思うけど」


 ロッテは首をひねりながら言った。社交界方面は主要貴族しか覚えていないのだ。


「成金?」


 ニーナの直裁的な言い方に、ロッテは苦笑した。この場合の成金とは、成金貴族――つまり、金で爵位を買った貴族のことだ。

 公的に爵位に値段が付けられている訳ではない。叙爵される条件は、国に対して一定の功績を上げた者であることで、国庫に対する献金もその功績に含まれる、という訳だ。ついでに言うなら、その功績を認めさせるために各方面に渡す袖の下も含めて、爵位の代金らしい。


 シェーラー家の場合は、この地に迷宮が出来た時に、遠い先祖が森林を拓いて町を興した功績が認められた貴族だ。身分だけで言うなら子爵よりも一つ上の伯爵になる。もっとも、最近はぱっとしないというのは前にも述べたとおりである。


「たしかそうだったと思うけど、詳しいことはわからない」

「そっか」


 それきり、しばらく会話が途絶えた。ロッテの家に向かう道のりを、黙って歩く。今更会話を探さなければいけないような間柄ではない。

 ロッテの家の前まで来たところで、


「それじゃあね。また閃光弾の代わりを持ってくる」


 とニーナ足を止めてが口を開いた。


「あはは、ありがと」

「でも作らなきゃいけないから時間がかかるよ。それまで商店街にはなるべく来ないようにね」

「えー? タローにも会えないの?」


 ロッテは頬をふくらませた。


「しょうがないでしょ。閃光弾なんて坑獣にはあんまり効かないんだから。在庫がないの。本当に使う日が来るとは思ってなかったし」

「はーい」


 ロッテは不満そうに返事をする。そして、


「それじゃあ今思う存分可愛がればいいのね」


 そう言うが早いか、ロッテはニーナの肩に乗ったタロットを持ち上げた。両手で胸に抱いて、頬ずりをする。


「うりうりー、ちっちゃくなっちゃってもう、可愛い可愛い」


 タロットは迷惑そうに手足をじたばたさせた。もちろん本気ではない。体が小さくなっても、力はそのままだ。その気になれば振り払うこともできるが、タロットはそんなことをすればロッテに傷をつけてしまうことを知っている。仕方なく、こうして抵抗の意志を示しているのだ。

 もっとも、その動作はどうもロッテに対しては逆効果のようである。


「ロッテ、タローが嫌がってる」

「えー? そんなことないよねー」

「どう見ても暴れてるでしょうが!」

「ニーナなんていつでもタローと触れ合い放題のくせに! そうだタロー、うちの子になろ?」

「なーらーなーい! ほらタローを返して!」


「何やってるの、二人とも」


 ニーナとロッテがタロットを挟んで言い争いをしていると、シェーラー家の玄関が開いて、横から声が掛けられた。ニーナとロッテは揃って体を硬直させる。

 ロッテの五歳年上の姉、グレーテルである。全体的にロッテをさらに薄くしたような色調で、身に纏うドレスもそれに合わせたような純白。美人だが、氷のような印象を受ける。何を考えているのか分からないので、ニーナはこの人が苦手だった。


「あ、あはは、いえ、その、こんにちは、グレーテルさん」

「あ、お、お姉ちゃん、ただいま」

「こんにちは、おかえり。仲がいいのはいいけど、あまりうちの前で騒がないで」


 平坦な調子の声で、グレーテルは言う。逆に怖い。


「は、はい、すみません」

「ご、ごめんなさい。はいニーナちゃん、タロー返すね」


 ロッテはタロットをニーナの肩に戻した。


「ニーナちゃん、うちでご飯食べてく?」


 グレーテルは表情を変えないまま、そう尋ねた。


「い、いえ、結構です。その、店長に何も言わずに出てきたので、早く帰らないと」

「そう。ならいいわ」


 そう言うと、グレーテルは家の中に入っていった。


「……え、えっと、それじゃあ私、もう帰るね」

「う、うん。じゃあねニーナちゃん、タローも。今日はありがと」


 二人は少し乾いた笑みを浮かべながら、互いに手を振った。




 貴族街から平民街に戻り、店の前に着く。


「……さて」


 とニーナはひとりごちた。


 もう一つ、やるべきことがある。

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