1 ニーナ・エルスター
その店は、キーファの東部商店街の一角にある。
丸太組二階建ての建物に赤屋根の、小さな店だ。一階部分が店舗で、二階部分は従業員の家になっている。
中に入るとまず目に付くのが、店内中央の天井付近に浮いた、一対の大きな水晶だ。紐で吊るされた訳でもなく、ゆっくりと回転しながらほぼ同じ場所に漂う透明な六角柱は、内部から優しい光を放っている。それが店内全てを明るく照らしているのだ。
個人商店なので品揃えは大規模な商会に及ぶべくもないが、その代わり扱う商品の品質が良く、珍しい掘り出し物が並ぶことがしばしばあると、迷宮に入る熟練の狩人たちには有名な店である。
店の名前は『クレフ魔法店』という。
1 ニーナ・エルスター
商品棚に並ぶ色とりどりの水薬と軟膏を数え終わって、ニーナ・エルスターは手元の帳簿に数字を書き付けた。
解毒薬は足りているが、傷薬の在庫が少なくなってきている。傷薬は店で作って売っている物だが、その材料も足りないので、早めに仕入れないといけない。
そう報告したいところだが、店主はいない。あの人はしょっちゅう十二歳のニーナ一人に店を任せて、ふらりと姿を消すのだ。
もっとも、いくら店主が適当で放任主義だと言っても、この都市で子供一人に店番をさせるのは少し不用心である。なんとなれば、このキーファの市は荒くれ者の集まる第一種迷宮都市であり、食い詰め者が強盗を働くような事件がたびたび起こるのだ。
なので、今この場にいるのはニーナ一人ではない。しかし、一緒にいるのが人間だという訳でもない。
「終わったよタロー、ご飯にしよっか」
ニーナが掛けた言葉を聞いて、カウンターの脇の床に寝そべっていた生物が、もぞりと身じろぎをした。
月白色に輝く鱗に覆われた胴体。四肢の先端には鋭い爪。肩の付け根から絹のような薄い羽根が二対四枚生えているが、今は折りたたまれている。
首から先は柔らかい被毛に覆われ、狼と蜥蜴を足して二で割ったような、口吻の長い顔が付いている。頭頂部には短く透き通った藍色の角が一本生えていて、その後ろから首にかけて馬のような鬣がある。鬣は先端だけ空色で、光を受けるたびに仄かに輝いた。
白氷竜と呼ばれるドラゴンの一種である。名前はタロットだが、ニーナには愛称のタローで呼ばれている。
大型犬ほどの大きさだが、これでも成体だ。性格はおとなしく、ニーナにも良く懐いているが、ドラゴンはドラゴンである。そんな生き物を番犬代わりにしている店は、少なくともキーファには他にない。この店に初めてやって来た客は、大抵このドラゴンを見て足をすくませる。
カウンターの奥の扉を開けると小さな厨房があり、そこを抜けて部屋の反対側に、二階と地下に伸びる階段と裏庭に出る扉がある。地下は倉庫になっているので、ニーナはそこから丸パンと燻製肉の固まりを持ってきた。それから裏庭の畑に出て、レタスの葉っぱを一枚切り取って持ってくる。ナイフで燻製肉を少し切り取って、スライスした丸パンにレタスと一緒に挟む。残りの肉の塊は、皿に入れてタロットの鼻先に置かれた。
「お預け、タロー」
タロットが口を開いて燻製肉に噛み付こうとした所で、ニーナは言う。ぎゅるっ、とタロットが鳴き声を上げた。
タロットはちらちらと肉をみて、ニーナを見て、また肉を見て、と繰り返す。ニーナはそれを悪い笑顔で見守った。やがてタロットが哀しそうに、きゅる、と声を出したのを聞いて、ニーナはようやく、
「よし」
の合図を出した。
ぎゅるる、と一声鳴いてタロットは肉に噛み付いた。ニーナはそれを見届けてから、自分のパンを口に運ぶ。
幻獣として名高いドラゴンも、この店では犬とそう変わらないのだった。
§
軽い昼食を済ませて、ニーナが帳簿整理をしていると、店の扉が開いた。ドアベルの音が店内に響く。
「いらっしゃいませー」
反射的にそう声を出しながらニーナは入り口に目を向けた。
「やあ、こんにちはニーナちゃん」
「テオバルトさん! こんにちは!」
そこに現れた男性を見て、ニーナは喜色を見せた。
テオバルト・バルシュミーデ。凄腕の迷宮狩人で、リリアン魔法店の得意客だ。ニーナは聞いたことがないが年齢はおそらく二十代半ば、長身に整った優しい顔立ちで、貴族のお嬢様方の中にまでファンがいるらしい。
無理からぬことだ、とニーナは思う。かく言うファンの中に、ニーナ自身も含まれているのだから。
そういうわけで、たまにテオバルトが店に訪れる時間が、ニーナにとっては幸せのひとときなのである。
「ニーナちゃん、店長はまたいませんか?」
「ごめんなさい、また朝からどっか行ってて」
特に今日のように店主がいない時は、接客を全てニーナが行うことができる。だからこの時ばかりは店主の放浪癖にも感謝したくなる。
「もし用事があるなら、伝えておきますよ」
「いえ、いるなら挨拶しておこうと思っただけです。今日はいつもどおり、素材の売却と消耗品の補充に」
そう言うとテオバルト背負っていた鞄を下ろし、中から革袋を取り出した。袋の中身を開けると、いくつかの輝石と金属の塊が現れる。
「うわぁ、今日はたくさんありますね!」
テオバルトが持ち込んだ石と金属は、それぞれ魔宝玉、魔鉱石と呼ばれる迷宮の産物である。多量の魔力が固着しているので、魔導具の原料として重要な資源だ。
クレフ魔法店では、魔導具の作成も行う。そのため、他の買取業者より少し高く得意客から直接その材料を仕入れている。
「碧紋石が三個に、紅閃石が一個、魔鉱石は、フレミウムとレンテルですね。これだけ採れたってことは、随分長い間潜ってたんですか?」
魔宝玉も魔鉱石も迷宮の産物だが、数多く取れるものではない。特にテオバルトが持ち込んだ物は、相当深い階層まで降りないと手に入れられない物だ。いくらテオバルトが有能でも、危険の伴うような場所である。
「あまり、無理はしないでくださいね?」
「大丈夫ですよ。たまたま、いい採取地に出会っただけですから」
「ならいいけど……。これくらいでどうでしょう?」
ニーナは買取価格を提示した。すぐにテオバルトが「いいですよ」と答える。値段交渉は行われない。互いに信頼があるからだ。
いくつかの金貨と銀貨を渡し、受け取った魔宝玉と魔鉱石は一旦カウンターの裏の棚にしまう。テオバルトは店内を見て回って、薬や松明などの消耗品を集めて来た。
それらの会計が終わってから、テオバルトが商品を鞄に仕舞っている間に、
「あ、ちょっと待っていて下さい」
ニーナはそう言うと地下に行って、水薬の瓶を持って帰ってきた。
「これ、良かったら使って下さい。こないだ師匠に教わって作れるようになった上級回復薬です」
「いいんですか? そんなもの貰って」
「まだちゃんとお店に並べるほど作れないから、お試しってことで。あ、試飲はしてみたから、毒じゃないですよ」
魔法薬の類は、調合に失敗するととんでもない毒物が出来上がることがある。原材料の品質が安定しないので、レシピ通りに作ればいいというものでもないのだ。
「そうですか、じゃあありがたく」
「使ったら感想をくださいね」
「ええ。それではまた寄らせてもらいます。タロットも、ちゃんとニーナちゃんを守ってあげるんですよ」
テオバルトが声を掛けると、タロットはぐきゅる、と鳴いた。