鉄について:日本刀にまつわる思いと現実
日本刀については、ロマンや宗教的な価値を感じる人が多いようで、それだけに色々な伝説や思い込み、そして勘違いもあるようです。 そんな日本刀を、工業製品や道具としての観点で、材料である鉄との関係から、語ってみます。 日本刀の精神的価値を重視したり、思い入れがある人には、以下は不快になる内容からもしれませんのでご注意を。
日本刀の特徴は、折れにくく、曲がりにくく、良く切れる点と思います。
以下の話しは、この三点を「良い日本刀」の定義として、美術的な美しさや宗教的な価値観は、脇におきます。(否定ではなく、ここでは扱わないという意味です)
1.鉄の話し
日本刀の材料には、玉鋼が用いられると良く書かかれています。 日本古来の製鉄法は、砂鉄を川などで集め、これらを木炭を用いた小規模な製鉄炉:たたら炉で熱して、玉鋼を得ると言われています。 この技術は、今も再現されており、日立金属が島根県で、江戸期の近世たたら法による、製鉄を行っています。 たたらには、多量の木材(木炭)が必要なので、その為の山を植林しながら継続的に行っています。 ここでは、3mくらいの炉を用いて、木炭とフイゴで加熱します。 材料として、砂鉄13トン、木炭約13トンを用いて、できるケラは2.8トン、ズクは0.8トンです。 ケラとは、鋼のもとになる塊で、2.8トンのケラから、玉鋼が1トン弱とれます。 ズクは、炭素量の多い鉄で、鋳物や包丁などに使われます。 材料の歩留まりで言えば、13tの砂鉄と、同重量の木炭で、1トン弱しかとれないのが玉鋼です。 日本刀 一振打つのに、玉鋼が5-10KG必要と言われます。ですから、これだけの材料から、制作可能な日本刀は二百振 未満となります。
このことから、玉鋼が高価で貴重だと言う事は言えますが、それだけ効率が悪く、鋼を得るには歩留まりが悪い製鉄法とも言えます。
たたら製鉄は千年前から伝わった古い技術で、それを江戸時代まで継続していた為で、これは戦争の無い平和な時代であった証拠でもあります。(大量生産が出来ない)
砂鉄と木炭を使って行う製鉄法の特徴は、小規模な設備でも鋼を得られるのが利点です。
天然に存在する鉄は、他の金属(銅など)が含まれ、更に炭素(C),硫黄(S)、リン(P)などの化合物が存在しています。また、木炭は燃焼時に発生する一酸化炭素(CO)による還元性があるので、鉄に含まれる不純物(主に炭素)を、ある程度減らす事が出来ます。
一方で、前述のように生産効率が悪く、良質な鋼を得るには更に金床と金槌で叩いて炭素を減らす手間が必要な点です。
2.鋼について
さて、日本刀に限らず、武器には 良質な鋼が必要です。
鋼とは、鉄に含まれる炭素が重量比0.5%~2%くらいになった状態を指します。
(この回では、以下の濃度は重量濃度を指します)
当然ながら、他の不純物が無い事が望ましいのです。 この為、昔の刀鍛冶は、鉄を熱して叩いて鍛錬する事で、炭素や不純物を減らす努力をしてきました。
ここで誤解してはいけないのは、鍛錬をするのは炭素や不純物を減らし、堅牢な鋼を得る為の手段であり、それ自体が目的ではない事です。また、玉鋼も、たたら製鉄の中で得られる貴重で効果な鋼の材料ですが、それが日本刀作りに必須な訳ではありません。
たたらも、日本刀の基本的な製造法も、平安末期には ほぼ確立されていました。 その時代では、適切な方法だったと思います。 但し、それ以降 より良い鋼を得る方法があれば、それに伴った変化が起きても良かったように思います。
ましてや、現代では工業生産による、純度の高い鋼や、添加物や合金により 様々な特徴を持つ鉄が存在しています。 その部分を、どのように扱うのかが、良い武器として、良い道具としての日本刀の課題なのかもしれません。
とある、現代の刀工にお会いした時に言われた言葉が非常に印象的でした。
「日本刀も鉄による工業製品なのだから、良いものを作るために自分は電動槌も使うし、温度管理が出来て不純物が混じらない電気炉も使う。作業の時は安全の為に、ゴーグルもするし普通の作業着を着ます。但し、日本刀に価値を求める人は、そのような姿を望まないから、仕事始めなどでは白水干に侍烏帽子を付けて注連縄を張り、槌をふるう必要があります。」
折れにくく、曲がりにくく、良く切れる日本刀を求めるならば、必要な現代の技術を必要な範囲で用いる方が、現実的です。 それをあえて古式の方法と玉鋼により求めるのか、近代以降の技術も用いて実現するかは、どこまでなら使ってよいのか、多くの刀工が悩み選択している点のようです。これは、日本刀に求められる、お客の側でも価値観自体が様々で、客自身でもはっきりしない事も原因です(武器、道具なのか、美術品なのか、魂の憑代なのか)。 これは日本刀を使う側にも共通しています。私も、短い期間ですが、居合を習っていましたが、居合にも 切る事を追求する流派(稽古は竹芯藁束などの据えもの切り)と、刀は武士の魂だから藁束などは切らないとして、型稽古を中心にする流派がありました。
居合はマイナーな競技ですから、日本刀を愛するもの同志仲良くすれば良いと思うのですが、両派では求める刀の好みも異なっていました。 居合をやる人でも、日本刀の好みが異なるのですから、それ以外の人が求めるものは更に広い範囲になると思います。
このように人により、日本刀に求める価値観が異なる点は、書く側も気を付けた方が良い点でもあります。
3.気になる記述
さて、創作小説や、ネットで出てくる日本刀に関する、気になる記述についてです。
1)斬鉄剣
アニメにも出てきますが、鉄を切るのも弾丸を切るのも、日本刀は鋼なので当然の事です。
それは単に金属の固さの問題ですから、低い炭素の純度の高い鋼ならば、鋼でない鉄を切れますし、鉛製の弾丸なら更に容易です。 難しいのは、切る時に刃筋を立てる事だけです。 映像やアニメで出てくると凄いと思うかもしれませんが、日本刀しか出来ないのではなく、鋼の剣ならば同様に出来る事です。これは、鋼の質を確保すれば、十分に可能です。
故人ですが刀工「小林康宏」は、スウェーデン鋼など、不純物が少なく、低炭素な鋼を用いて、その日本刀で鉄切りを実現しています。(小林康宏氏は、そのような鋼を「清浄な鋼」と呼び、工業製品だろうが外国産だろうが構いませんでした)
現代の刀工(海外も含む)でも、そのような刀が欲しいと言えば、作れる人がかなりいると思います。
刃紋の美しさを気にせず、包丁のような単純な構造の方が容易ですし、現代の金属加工技術ならば、鋳物で鋼も作れますので、単に切れる刀を求めるならば量産も可能と思います。(同時に安価)
但し、前述のたたら製法による玉鋼を用いて、鍛錬により実現しろと言われれば、非常に困難で、非常な手間(当然に費用も)がかかるのです。手間を考えれば、値段は数百万円以上になりますが、それで思い切って鉄を切れるかを考えれば、チャレンジには不向きな刀だと判ります。
伝統的製法のみにより、刃紋の美しさと玉鋼から作られる手間を求めるならば、斬鉄剣としての機能を、同時に求める事は不可能だと思います。もちろん、小説だからこそ、どちらも実現できた素晴らしい刀を期待する気持も当然だと思います。 それでも、こうした事実を理解した上で書くのと、玉鋼を手間暇かけて鍛錬する事が良い日本刀を実現する唯一の方法と誤解しているのでは、表現には違いが出てくると思います。
2)日本刀鍛錬の折り曲げや構造について
時代小説などで、鍛錬の過程で何度も折り曲げる事や、鉄棒を芯にしてそれを鋼で包み込むような複雑な構造(特に四方詰)が、折れず曲がらずの堅牢な構造にするような記述を見受けられます。 しかし、私は、これを信じません。 手間がかかっているのは事実ですが、それが堅牢さに繋がっていないように思えます。 堅牢さを求めるならば、刀身の構造は一体化した鋼の塊から加工するのが当然です。折り返したり、金属を張り合わせれば、そこには不連続な境界面が出来ます。 これを無くすには、非常な高温(最低でも800℃以上)で熱して鍛錬する必要がありますが、外気の中で人間が金槌でいくら叩いても、境界面が癒着するだけで一体化は出来ません。 単に癒着しただけの金属は、衝撃で境界面が破断する危険があります(刃まくれや、折れ)。 ですから、複雑な構造の刀身は、堅牢さとは逆方向に向かうように思えます。
前述の刀工 小林康宏氏も、複雑な構造はとらない、刀身にする鉄を折り返す場合には1000℃以上の高温の場合のみにしていました。 もちろん、複雑な構造が、研いだときに美しい刃紋や景色になる事は否定しません。ですから、工芸品としての姿の美しさを求めるならば、このような方法は有効だと思います。
この他、日本刀に関する誤解や欠点は、「百人切り論争」でも随分と指摘されています。 ですから、ここで指摘されてきた事については、今回は触れません。
4.チートねた
さて、結びにチート知識のネタです。
近代的な鉄鋼の量産技術は、調べれば判るので書きません。
日本刀に限らず、良い武器(鎧等の防具を含むし、火砲も同様)には鋼は重要な材料です。
堅牢な鋼は、純度が高く、低炭素(2%以下)である事が必要です。
鉄は面白い性質をもっていて、クロムなど少量を混ぜると耐蝕性が上がります。
鋼の場合では、炭素濃度が0.2%以下になると、一時的に硬さが下がり粘り気が上がります。(錬鉄と呼ばれ、近代では建築材料、レールなどに用いられた)
そのまま炭素濃度を減らし鉄の純度を上げると更に弱くなるかと思えば、純度99.999%以上になると特殊な性質を示します。 酸に耐蝕性が非常に高くなり、鉄は低温(-20度以下)ではもろくなるのですが、その弱みが激減します。このような鉄を「超高純度鉄」と呼びます。 もし魔法や錬金術で、物質の組成を管理できるのならば、このような鉄の加工により、堅牢な刀剣、防具、そして鉄砲や砲も実現可能です。
鉄が低温に弱いのは、高空を飛ぶ飛行機では大きな悩みですが、この問題も解決できます。
現在は、この超高純度鉄は、日本で開発され先端分野での利用が始められています。
この「超高純度鉄」は日本発でもあり、現代の玉鋼と言えるかもしれません。
繰り返しますが、工芸品としても美しい日本刀や、今でも玉鋼を使い古来の方法で作られた奉納刀などの宗教的価値を否定する気はありません。
あくまで、鋼という材料と、武器としての日本刀の関係を語っている点はご了解ください。