日本人の宗教観 その2:近代の宗教観
前からの続きです。
3.近代の日本人の宗教観
前の章では、日本人の倫理観として、勤勉、約束を守り、質素、堅実を重視するという事を上げました。 日本の中にいると判りにくいのですが、海外で仕事をすると、とても感じる事です。 海外では、このような事を当たり前として期待できないので、契約が必要となるし、宗教的な価値観を信じて 同じ宗教同士でしか取引をしないという場合もあります。 (イスラム世界では、未だにあります。)
1)科学と宗教の関係
これに加えて、日本人が当たり前と思っているが、一神教の世界では普通でない事は、科学と宗教を独立したものと捉える事です。 これも、不思議に思われるかもしれませんが、西欧の科学は、教会の中から発達したもので、本来 宗教と科学は セットであり、中世では宗教の中の普遍性を証明するのが科学の役割でもありました。
例としては、地動説です。 ガリレオは、宗教的な世界観を覆す為に天動説を唱えたのではありません。実際に観察した結果から導かれる仮説が、聖書やキリスト教世界の世界観と齟齬があるので、検証のために発表したのです。
現代医療の分野でも、遺伝子組み換えや、堕胎については、まず宗教的な倫理観の面で、それが宗教的な問題でないかが検討されます。 一方で、日本では堕胎は宗教的な問題としては殆ど議論がありませんし、遺伝子組み換えなども同じように、宗教的な問題としては、仏教界や神道の世界で宗教的な激論になっているとは聞いた事がありません。水子地蔵などは存在しますが、これは堕胎された子を悼むものであり、堕胎そのものに対しては、宗教的な罪にしていない点が、キリスト教団体と大きく異なっています。 欧米では、未だに堕胎や遺伝子組み換えを、宗教的な罪として非難する宗教団体があり、時に過激なテロ(施設の襲撃)につながる事件も起きています。
ダーウィンの「進化論」は、未だに米国では聖書の考えに反しているので教科書で教えるべきでないとしている州が存在しますし、キリスト教系の一部の団体は、強固に公的教育で教える事を否定、または進化論と同時に聖書に基づく「創造論」も教えるべきとしています。「創造論」とは、聖書の「創世記」に基づく宇宙の発生や生物進化の考え方で、聖書の教えと、科学との整合性を重視しています。 つまり、宗教と科学は不可分という考え方の典型的な例です。 ここでは、何が正しいという事はここで問題にする気はありませんが、日本人のほとんどが「進化論」を宗教的な見地からは問題にせず、宗教と科学を、独立したものを考えている事は、海外から見ると変わっている事だと言いたいのです。
言い換えれば、宗教は宗教、科学は科学で、それらは独立したもので、相互に矛盾があろうが問題にしないというのが、日本の中の宗教と科学の考えだという事です。
2)科学と宗教の分離:現人神はいたのか?
このような科学と宗教の分離は、いつ頃からあったのでしょうか?
まず戦前、昭和16年から20年の敗戦までを考えてみます。
一部の著作などを見ると、当時は天皇が「現人神」と信じていたなどと書いている人もいますが、私はこれを信じません。少なくとも、私の両親や祖父母、親類の中で生きている人に聞きましたが、本気でそのように信じている人はいませんでした。
これは親類に限らず、私が戦争体験者の聞き取りをした人々にも共通していました。
むしろ、兵役の体験者からは、「テンチャン」という別称や、皇太子(現在の天皇陛下)が誕生した時に、「天皇陛下も普通にするのだ」という事が兵営に話題になり、公の場 で言わない限りは、特に問題にもならなかったという事が、これを裏付けています。
ならば、「御真影」なる両陛下の写真を強制的に拝礼されたとか、それを怠った事で殴られた事はどうなのかという意見もあるかもしれません。 現代の会社でも、創業者の銅像を、順番で社員に磨かせている会社があるそうです。 これに対する礼を忘れると叱られるという事です。 つまり、信仰の対象ではなく、敬意の対象として礼をもって対する事が、過剰に求められていたという事と思います。
それが宗教ではない事は、昭和天皇ご自身が、敗戦後の人間宣言以前にも、天皇機関説に対しても合理的だと言われていますし、元老も皇族もその考えに全く反対していません。
狂信的と言われた軍人が、昭和20年8月の終戦放送を巡って、宮城内で反乱を起こした事件があります。このときの首謀者は、昭和天皇を幽閉し、他の皇族を天皇として即位させる計画まであったと聞きます。 また、反乱軍に指導された近衛兵は、天皇陛下が住まわれる御文庫に向けて機関銃を据え実弾を込めました。
これなどは、昭和天皇を本当に現人神と思っていたらあり得ない話ですね。
という事で、戦前だろうが、実存する天皇を、神だと信じる宗教観は存在しないと考える方が合理的に思います。そうは言いながら、昭和初期から敗戦までは、皇国教育が存在し、敗戦後 GHQに解体された「国家神道」が存在したといわれています。
この起源と変遷について、考えてみたいと思います。
このまま、少しずつ、時代を検証しながら遡っても良いのですが、文字数が多くなるので、時代を江戸後半 文政の頃まで飛びます。




