月代(さかやき)について
月代は、難読漢字でもあり、読みの問題にも出てきます。 本日は、特徴的な武士の髪型の、月代についてのお話です。
月代とは、ご存じの通り、頭頂部の髪を剃った部分を指します。 江戸時代になると、武士はおしゃれになり、蝋と油で固めた髷を月代の上に固定する独特の髪型に発展しました。
月代の始まりは何時ごろで、何の為に行われたのでしょうか?
公家:九条兼実の日記『玉葉』の安元2年(1176)の記述に、「自件簾中、時忠卿指出首、其鬢不正、月代太見苦、面色殊損」とあります。 この意味は、平家の公卿:平時忠(清盛の義弟)が宮中に出仕した時の月代がとても見苦しくて恥をかいたという事です。つまり、平安末期には、武家では一般的であり、公卿になっても平氏は月代を剃っていた事が判ります。
次に、月代を剃る理由を考えてみます。
実際に、兜と鎧を付けて、冬以外に長時間 運動してみると、大変蒸れて暑い事が判ります。 (一方で、冬は、金属が冷却板になり、大変寒いのですが)
特に、頭は、非常に蒸れます。 兜を付ける時には、髷をほどいてザンバラ髪にして、頭頂に手ぬぐいを置いて被りますが、髪は汗でびっしょりになります。
四十代になった男性には、実体験から判り易い事ですが、男性の抜け毛は頭頂と、前の生え際から始まります。 ですから、月代を剃るのは、兜で蒸れる事の緩和と、以下は体験からの想像ですが、どうぜ禿げるなら剃っておけ、又は蒸れるのが禿げの原因と考え、禿げを少しでも緩和しようという、涙ぐましい努力だと考えることが出来ます。
平安時代の前半、前九年、後三年の役などの頃の、古い兜では、兜の鉢(頭にかぶるヘルメット部分)の中心に、八幡座という大き目の穴が開いておりました。古い時代の兜では、烏帽子を被り、その上に兜をかぶります。古いスタイルの兜では、八幡座穴に、髷を包んだ烏帽子を出して、鉢の上から縛り、兜を固定したと言われています。
しかし、兜の頂上に、烏帽子と髷を出せるだけの穴をあけると、当時の金属加工技術では強度不足を招いた事は、容易に想像出来ます。 このようなスタイルの兜は、すぐに廃れて、八幡座の穴は小さくなり、換気が出来る程度になります。 恐らくは、平家物語の世界(平安末期)では、このような八幡座から髷や烏帽子を出して固定する事は無いようです。想像するに、髷で兜を固定するよりも、兜の強度と蒸れて禿げる事の防止が重要だったのでしょうね。
始めに紹介した、平時忠の月代のお話を見ても、平家が隆盛になった頃には、月代は武士の姿として定着した事が判ります。事実、これ以降の軍記に出てくる武士たちは、戦闘時には月代を剃っている事が判ります。(太平記などの記述)武士たちの日常で、月代を常時剃っていたのかは判り難いのですが、少なくとも戦闘時の姿として月代が剃られている事ははっきりとしています。
時は進み、戦国時代になると戦闘が日常化するので、月代は常時剃られます。 これは当時の武将達の肖像画が、肩衣や直垂など、日常の服装であるのに、月代が剃られている事からも判ります。 当時の文献を見ると、月代を剃る事が日常になると、永久脱毛をしようと、毛抜きで毛を抜く人も出て、抜いた後が化膿して困った記述などが出て、思わず笑ってしまいます。 これは、現代の女性が、わき毛の処理で直面する問題にも共通しております。 髪型、服装で、身分や役割を表す事は、多くの社会で行われています。戦国時代では、月代を剃っている事は、戦う人間の標識ともなりました。
さて、戦国時代が終わり、江戸時代になると、月代は 農民や町人にも普及します。 幕府が、なぜ規制しなかったかは不明ですが、恐らく武士から帰農する人や、商人に転職する人も多かったらかもしれません。これにより本来 月代が兜をかぶる時に蒸れない為という目的や、武士のシンボルという意味から離れてゆきます。一方で、江戸時代で、月代を剃らなかった人を考えてみると、朝廷(公家や官人など)、神主、山伏や僧侶(頭は剃っていますが)などの宗教関係者、医者、学者などの専門家、そして身分外の存在(被差別民)です。 つまり、武家社会の統制下にある男は月代を剃り、それ以外は月代は剃らないという見方が適切かもしれません。
平和な江戸時代では、月代もファッションとなり、武士と町人では多少異なります。武士の場合には、月代は細めに剃り(兜は不要になったのですね)、髷を後方に剃らせて前方に折り返す大銀杏が典型となります。 元服前では、頭頂部のみ剃り、前髪を残す若衆髷などもあります。 これなどは、男色がタブーでない時代ですから、とてもセクシーだと男女両方から人気がありました。若い人は毛髪が十分ありますから、毛のある部分を剃ると、青みがかったように見えます。それが更にセクシーだともてはやされるので、江戸中期以降の男娼などは、剃った部分を青く塗りました。 これなどは、現在の女性のアイシャドーとも通じる、青を魅力的と見る化粧法だと思います。歌舞伎のカツラでも、若い武士の月代は青くなっていますが、これは当時の価値観の「剃り跡の青はセクシー」を反映したものだと思います。
一方で、都市の町人は、清潔感のアピールなのか月代を広く剃りあげ、頭頂部はツルツル。後方に小さく髷を結う本田髷が典型的なスタイルになります。
本田髷の特徴は、月代を広く剃る事に加え、鬢(側頭部の毛)を耳際まで剃ります。もともとは、旗本奴など、かぶいたスタイルなのでしょうが、様々なバリエーションが出来ました。この為、頻繁に通う髪結い床が男の社交場になりました。
商人や対面販売をする簿手振りなどは、清潔感をアピールする意味でも、頻繁に月代を剃ったようです。
農民の場合は、村方役人などは富裕ですから、人手も使い綺麗に月代を剃ったでしょうけれど、小作などは、月代を剃る暇も無く、ボウボウと無精毛が生えている状況だと思います。
浪人の場合でも、収入があれば、身ぎれいに出来ますが、収入が無ければ身なりにも構えず、月代が剃られておらず無精毛が生えている状態は、経済状態やその人のすさんだ心理状態を移す外観ともなります。 小説でも、そうした細かい描写に活かすことが出来るかもしれません。
こうして江戸時代には、武士だけでなく、武家政治体制に組み込まれた多くの人々に普及した月代ですが、幕末には急速に廃れてゆきます。 その理由は、面倒だったからだと想像します。 リアルで私に会った人はお判りですが、私も髷をクワイ頭に結っております。髪の毛は後退していますが、生え際までは毎朝剃っています。 このひげや、不要な頭頂部を、毎日剃る作業は、かなり面倒なのです。女性も、無駄毛を剃っているから理解しやすいと思いますが、少しでも毛が生えているとみっともない領域が、頭頂という目立つ場所に大きくある事は、大変な手間を毎日かける必要があります。
月代の消滅は、明治になる前の幕末に始まります。
幕末には、西洋の兵器や知識が流入し、西洋式軍隊の導入が盛んに始まります。
西洋風の軍制改革は、服装や防具に及び、兜はもはや無縁になり、地を這い走り回る散兵戦術では、髷は乱れ邪魔になってきます。 幕府は西欧列強の圧力を、装用の知識を取り入れ乗り切る為に様々な改革を行います。 その中に薩摩など有力大名からの進言や建議を取り入れた「文久の改革」があります。 文久の改革では、人事面では一橋慶喜を将軍後見職に、越前藩の前藩主・松平慶永を新設の政事総裁職に任命、会津藩の松平容保を京都守護職に据えるなどが有名です。この改革は、軍事面にも及び、その中で「服制変革ノ令」の発布が行われます。 この「服制変革ノ令」では、軍服として洋装の採用と、髪形も「月代勝手タルベシ」となり、幕臣でも月代を剃ることが必須ではなくなりました。
こうなると、本音では月代は面倒だったのか、月代は古いスタイルで剃らないのが新しいファッションとなったのか、月代は幕府歩兵や、新たな幕政改革の中で活躍する人の中では急速に廃れてゆきます。 幕府の武芸教習所である講武所では、月代の面積を極小にした講武所風が流行るのもこの時代です。
芝増上寺に隣接する徳川家茂の墓所を東京プリンスホテル建設の為に改葬する時に、発掘調査が行われました。 この時に徳川家茂の遺体の調査が行われましたが頭蓋骨にはふさふさの頭髪が髷の状態で残っており、月代をそっていない状態あった事が判りました。この事からも、月代を剃る手間がまったく問題にならない幕府トップである徳川家茂でも、この時点で月代を剃っていない事が判りました。
つまり、この時点では、月代は武家体制の内部にいる人間という標識の役目を公的に失いつつあったとも考えられます。
このように、月代は、すでに幕末時点で、西欧風の改革を取り入れてゆく人々の中では消滅しつつあり、西欧流をとりいれる事がトップエリートには重要になり、それは髪型にも顕れました。そして、明治4年に散髪脱刀令が出る事で、月代は更に減ってゆきます。 この散髪脱刀令は、髷や月代を禁止するものではありませんので、その後も一部には髷や月代のままの人もおります。
ですから、小説の描写としても、幕末では西洋歩兵は、髷があっても月代が無い状態が望ましいし、理想の武士を目指した新撰組は しっかりと月代を剃り大銀杏を結うのが相応しいのです。 そして、明治になっても、映画『柘榴坂の仇討』の主人公のように、江戸の武士の心意気を守るような人は、月代を毎朝剃り髷を結い、帯刀しているのが描写としては相応しいのだと思います。明治の時代の変革について行けない人にも相応しい姿です。 髪型や服装でも、このように登場人物の思想や心情をあらわします。 時代小説に限らずファンタジーでもご自身で設定をして髪型や服飾などの描写をすれば良いのです。
皆様の作品でも、そんな描写をされると、ぐっとくる読み物になるのではと思います。
久しぶりの投稿です。 年末年始の時間で、他のネタも書きたいと思います。




